3−2 フリーペーパーお披露目



 うずら通り商店街の定例会は毎月月初の水曜日、それぞれの店の営業が終わった20時頃に公団団地の集会所を使って開催される。


 この日だけは「スナックHAZAMA」は貸切ということになっており、定例会が終わった後に商店主たちが集まって飲み会をするのがお決まりの流れになっているようだ。


 渓たちは恐る恐る集会所の会議室の扉を開ける。


 室内にはすでに何人かの商店主たちが集まって、ロの字型に並べられたテーブルに着席して談笑していた。


「君たちも参加するんですね」


 すぐ近くで声をかけられ、渓はびくりとする。入り口のすぐ横にパイプ椅子一つ置き、そこに以前城山の店で会った市役所職員の弦田が座っていた。


「えっと、弦田さんでしたっけ。あっちの席には座らないんですか?」


「私は隅で大丈夫です。一応見学に来ているだけですので」


 彼は長い前髪の奥から無愛想にそう言った。


 渓たちも弦田にならって会議室の隅にパイプ椅子を並べようとしたが、間に「こっちにいらっしゃい」と手招きされてテーブルの方に座ることになった。


「遠慮する必要はないのよう。どうせそんな人数いないんだから。今日はあなたたちのフリーペーパーのお披露目会でもあるんだし!」


「へへ……なんだか緊張してきました……」


「んもー花笑ちゃんったら! 自信持ちなさいよう!」




 やがて20時が近づき、商店主たちがぞろぞろと集まってくる。


 城山は渓たちの方を一瞥しただけで、特に何も声をかけることなく会議室の一番奥の席に座った。商店会長である彼がこの会議を取り仕切るのだろう。美耶は店じまいを任されているのでここには来ない。


 「さいとう薬局」の斉藤は、会議室に入ってくるなり渓たちの方へと駆け寄ってきた。どうも様子がおかしい。困惑したような表情できょろきょろと周囲を見渡した後、彼は声を潜めて学生たち耳打ちする。


「申し訳ないんだけど、うちの店がフリーペーパーの掲載を承諾したってことはこの会議では秘密にしといてくれませんかねぇ」


「え、どういうことですか?」


 渓が目を丸くして尋ねると、斉藤はヒソヒソ声を荒げて言った。


「私はてっきり商店街のすべての店が掲載されると思っていたんですよ! だけど高木さんのところとか載せないっていうじゃないですか。困るんですよぉ、うちだけ掲載してたらまるであの方を出し抜いたみたいになってしまって。そうなると立場ってものがね」


 斉藤はせわしなく周囲の様子を確認している。おそらく高木が来る前に話をつけておきたいのだろう。


「でももう印刷してありますし……」


 花笑がフリーペーパーのゲラを見せると、斉藤は目を白黒させた。


「ああああ、まさかこれ今日配るつもりですか?」


「そうですけど」


「どうしようどうしよう……ああ困った……」


 斉藤は手の爪を噛みながら近くをうろうろしていたが、やがて「そうだ」と言って再び声を潜めて言った。


「この掲載店舗ページは今日は見せないってのはどうです? 巻頭の赤川さんとこのインタビューと商店街のマップだけ見せるってことで。うん、それがいい、そうしましょう」


 斉藤は一人納得すると、花笑が持っているゲラの中から掲載店舗一覧のページを勝手に抜きだした。


「ちょ、ちょっと何やっているんですか!」


 渓が慌てて止めようとしたが、城山が「そろそろ始めるぞ」と言ったのをいいことに斉藤は抜いたページを持ってそそくさと自分の席についてしまった。掲載店舗一覧がなくなり、渓たちの手元には表紙と裏表紙、そして巻頭インタビューの数ページ分しか残っていない。




 20時を過ぎて数分経った頃にようやく高木が会議室へとやってきた。


 高木は年齢が60を超えているとは思えないほどたくましい身体つきをした男だった。肩幅の広さなら慶隆といい勝負だろうか。作業着の上からでもよく分かる肥えた腹が彼の大人の貫禄を醸し出している。店は木工家具屋をやっているが、大工として市内の工事に携わることも多いのだという。


「おいおい、なんでこいつらがいるんだよ」


 渓たちを見つけるなり、高木は不満を露わにして言った。それに答えたのは城山だ。


「俺が呼んだ。それより高木、また遅刻だぞ。みんな忙しい中集まっているんだ。あまり時間を無駄にはしたくないんだが」


「へーへー、悪うござんしたよ。相変わらず城山さんはお厳しいこって」


 高木は嫌味たっぷりにそう言いながら斉藤の隣にどかっと座った。美耶が言った「犬猿の仲」というのはどうやら本当だったようだ。


 高木の嫌味に噛み付くことはなく、城山は淡々と会議を始めた。定例会の主な議題は先日の節分祭りの収支報告、老朽化しているアーケードの照明の入れ替えについての進捗報告、新年度の商店会費の収集についてなど、特に当たり障りのないようなテーマが続く。


「照明といえばね、うちの店最近トイレの電球変えたんですけど、どうも色を間違えたみたいで。昼光色って言うんですか? なんか緑っぽくてですね。お化け屋敷みたいだって家内がうるさいんですよぉ」


「ガッハッハ! アホか! そりゃただでさえ少ねぇ客が余計減るぞ!」


「ですよねぇ。でも取り替えようとしたら今度は『最後まで使い切ってからにしろ』って言うんですよ。もう勘弁してほしいですわ」


 会議は時折雑談で盛り上がったりした。というより、本筋の議題では皆ほとんど意見を言わないが、雑談になると水を得た魚のように発言する者が増えた。


(この会議、長いな……)


 渓は重くなってくるまぶたを揉みながら必死で眠気を抑えていた。


 話題の半分は文脈を知らない学生には何の話なのか分からなかったし、半分は興味のない雑談だ。当然発言をする機会はない。そんな状態で一時間近く身動きできずに座っているのは苦痛でしかなかった。


 隣に座る花笑に小突かれてハッとする。一瞬意識を失っていたようだ。


(イサミン、もうすぐだよ)


 花笑が声を潜めてそう言った。その手はテーブルの下で小刻みに震えている。緊張しているのだ。


「じゃあ最後の議題だ。みんなももう知っていると思うが、朽端大学のサークル・マチカツ部が今商店街のことを紹介するフリーペーパーを作ってくれている。今日はその試し刷り版を持ってきてもらった」


 城山が渓たちに視線を投げかける。それを合図に渓と理人は商店主たちにゲラを配りだした。斉藤に奪われた掲載店舗一覧のページが抜けているせいで、ゲラを受け取った商店主たちは「これだけ?」と不思議そうな表情を浮かべた。高木に至っては配ろうとしても「いらん」とはねのけられてしまった。


「えっと、私から説明します。このフリーペーパーは、うずら通り商店街を知らない人に向けて、こんなお店やこんな人がいるんだよっていうのを発信するためのものにしていこうと思っています」


 花笑が席を立って説明する。フリーペーパーの目的は美耶の指摘を踏まえてあの後四人で固めたのだ。そして目的に沿ってデザインを直している。プロが作るものに比べれば当然見劣りはするだろうが、目的にあった内容にはなっているはずだ。商店主たちは手元のゲラを眺めながらふむふむと頷いている。悪くはない手応え。


「それで、創刊号の巻頭インタビューは一番最初に掲載を承諾してくださった赤川さんと、お店のメンチカツについての特集にする予定で」


「わしの店の情報はどこじゃ?」


 花笑が説明している途中に口を挟んだのはミドリ青果店の老婆だった。


「そのページは、その……」


 花笑はちらりと斉藤の方を見やる。しかし斉藤はそしらぬふりをする。


「掲載料だの何だのと言って、年寄りから金をだまし取る気じゃったのか!!」


「ああもうミドリばあちゃん落ち着きなって。きっとまだ完成してないだけでしょ」


「あ、はい、すみません最初に説明しておかなくて……」


「ごめんな花笑ちゃん。ミドリばあちゃん、最近振り込め詐欺に引っかかりそうになって気が立ってるんだよ」


 しゅんとする花笑に、赤川がニカッと笑ってフォローする。


 しかし言いたいことがあるのはみどりだけではなかったらしい。みどりの隣に座っているパン屋の麦田が「うーん」と言って挙手をする。


「赤川んとこのメンチカツ取り上げるなら普通うちの店も紹介するでしょー。メンチカツサンド売ってるんだからさぁ」


(いや、それはあんたがまだ広告掲載料払ってくれてないからで……)


 渓は反論しようとしたが、慶隆に止められてぐっとこらえる。その隙に他の商店主たちも口々に自分の意見を言い出した。


「この地図の間取りだとうちの敷地小さく見えるけど、実際は隣の店舗の1.3倍なんだよ。その分家賃高く払ってるんだから直しといてくれる?」


「このロゴじゃあんまりうずら商店街らしくないんじゃないですか? 由緒ある商店街なのでもう少し和風の方がいい気がしますけどね」


「表紙が赤川の写真ってどうよ? こんなおっさんが写ってるからって商店街に行こうと思うかね」


 始めは一生懸命議事録に残そうと必死にノートPCのキーボードを叩いていた理人は途中でぴたりと手を止めてしまった。それは彼の処理が追いつかなくなったからではない。フリーペーパーの目的を無視した発言や、無関係な意見、理不尽なダメ出しが多くなってきたからだ。


 収拾つかなくなったところで、城山が大きな咳払いをした。


「……こんなところでいいだろう。皆の意見を参考にして、完成させてくれ。楽しみにしているよ」


「はい。頑張ります」


 花笑はそう言ったが、声は震えていた。


 会議室をぐるっと見渡してみる。商店主たちの一部はまだフリーペーパーについての議論を続けていたが、腕を組んで寝ている者もいた。自分たちの方を見ているのは城山と赤川、そして間だけ。


 無関心。


 その三文字が、渓の頭に重くのしかかる。


 人を集めるとか、そういう単純な問題じゃない。もっと根深いものが、この商店街の中にはある。


 気づかなければよかった。


 渓は一瞬そう思った。


 根本の問題に触れるには学生の四年間はあまりに短い。エネルギーもいる。


 だがフリーペーパーだけでも難航しているという現状で、そんな先のことなど見えやしない。


(遠いなぁ……)




 やがて会議は終わり、学生も飲み会に参加しないかと誘われたが四人とも断った。とてもそんな気分にはなれなかったのだ。


 花笑たちと別れ、渓は一人帰路につく。


 シャッターの閉まったうずら通り商店街を歩きながら、小さくため息をついた。


 吐き出される息は、まだ白い。



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