2−5 節分祭り



「オニはー外っ! 福はーうちっ!」


 古巣神社・節分祭り。


 うずら通り商店街を抜けた先の周囲を住宅地に囲まれた小さな神社の境内で、子どもたちが声を揃えて豆をまく。


 お祭りのスタッフに手の平におさまるほどの大豆の小袋を渡された子どもたちが豆を投げつける相手は——茶髪パーマに鬼のお面をつけた男子大学生・伊佐見渓だった。


「僕がオニを退治してやるーっ!」


 一人の少年がそう叫び、豆をまくのではなくて渓に向かって突進してきた。彼に続くようにして子どもたちが鬼を装った渓の周囲に群がっていく。


「いってぇ! 髪ひっぱんな! カツラじゃねぇっての!」


 渓は豆をぶつけてくる子どもたちから逃げながら思う。


(やっぱり鬼役はハズレくじだ……)


 城山に話をしに行ったあの日の後、渓たちは節分祭りを取り仕切る赤川に人手の足りない仕事が何かを聞いた。学生たちに手伝って欲しいと言われたのは屋台の売り子、音響設備の管理、神輿みこし担ぎ、そして鬼の役。向き不向きで分担して行った時に、鬼の役が余って渓が引き受けることにしたのだ。


「渓、大丈夫か? 神輿終わったから代わってやるぞ」


 うずら通り商店街の赤い法被はっぴを着た慶隆が渓に声をかけてきた。真冬ではあるが法被の下は白の半袖Tシャツ一枚で、額には汗をかいている。神輿担ぎでかなり体力を使ったのだろう。渓も様子を見ていたが、周りの担ぎ手が中高年ばかりの中で慶隆の存在はどう見ても一際目立っていたし、一番負担のかかる位置にいたにも関わらず軽々と担ぐ様は男女問わずそこに集まっていた者たちの関心を引いた。


 渓もまた、羨望の眼差しを送っていた者の一人。


 ゆえに、自分の役割まで慶隆に渡してしまうのは気が引けて、渓は鬼の面をかぶったままぶっきらぼうに答えた。


「平気ですよ。こう見えても子どもの扱いには慣れてるんで」


 そう言って渓は節分祭りのチラシを一枚取ると、それを折り紙のように折って、自分を狙いに来た子ども達に向かって投げた。紙飛行機が宙を舞う。


「うおおーっ! オニすげーっ!」


「僕にも作って!」


「はいはい、作り方教えてやるからもう豆投げんのは終わりな」


 子どもたちに紙飛行機を作らせている間、ばんと背中を叩かれて渓はびくりと後ろを振り返った。肉屋の赤川がにこにこしながらそこに立っていた。


「よう、イサミン! お前案外うまくやってるじゃないか」


「あ、ありがとうございます」


「他の子たちも大活躍だよ。いやぁ、名案だったなぁ。若い子たちが手伝ってくれるといつもと全然違う気がするよ」


 赤川にそう言われ、渓は周囲の様子をざっと眺めた。


 境内の入り口の方には商店街が出している屋台が並んでいて、人々が集まっている。


 中でも一番行列ができているのがわたあめの屋台だ。そこには子どもよりも大人の男が多く並んでいる。理由は単純、花笑が売り子をやっている店だからだ。彼女の作るわたあめはかなり形がいびつだが、それでも法被を着て笑顔を振りまく女子大生の集客力は相当なものらしい。


「花笑ちゃん、ウチの店でも売り子やってくんねぇかなぁ。そしたらあのオッパイ毎日拝めんのに」


「冗談でもやめてください」


 横で手をすり合わせる赤川に、渓は不快感あらわにして呟く。


「なんだい、お前あれか? 花笑ちゃんと恋仲だったりすんのか?」


「い、いや、そ、そういうわけじゃないですけど」


「じゃあケチケチすんじゃねぇよ! 見るだけなら公共の財産だ」


「はぁ……」


 そう言われてしまうと真っ向から否定できず、渓は押し黙った。


 以前はざまから聞いた話だと、赤川は相当な女好きのようだ。女性客に対しては店頭で堂々とナンパをしているくらいだという。ただし主なターゲットは団地に住むシングルマザーや中高年の独身女性らしいが。


 話題を逸らすため、渓は神社の拝殿の前に設えられたステージの方へと視線を移した。ステージの脇では、理人が音響設備の業者と何やらやりとしているのが見える。業者も機械に詳しい若者相手だと仕事がしやすいのか、ステージの準備はスムーズに進んでいた。


 そろそろ午後の演目が始まる。


 午前中の古巣中学校書道部、朽端大学落語研究会の演目では、関係者らしき学生とかその親が中心にステージ前に集まっていたが、今度は様相が違う。


 祭りに来ている人たちだけでなく、この演目目的で来たような観客も増えていて、いつの間にやら地域のお祭りとは無縁そうな派手な格好の若者たちがステージ前方を陣取っていた。


「次はどういう団体が出るんでしたっけ?」


「和装ロックバンド『居座りがらす』だよ」


「ロックバンド? バンド名も聞いたことないですね。なんでまたこんな地域のお祭りに出てくるんですか?」


 すると赤川はフフンと得意げな表情を浮かべた。


「なんだい、知らねぇのか。古巣市を中心に活動してるインディーズバンドなんだよ。けっこう人気あるらしいんだが、あくまで趣味でやってるらしくて一度メジャーデビューの誘いを断ったことがあるって噂だぜ」


 赤川の話の途中で、ジャーンとエレキギターの音が響く。ステージの前に集まった人々から歓声が上がった。やがて壇上に登場したのは、和服ベースの派手な衣装に身を包んだ四人組。バンド名通りカラスを形どった黒いクチバシ付きの仮面をしていて素顔は分からない。


 中心に立つエレキギターを持った男がマイクを手に取った。いわゆるヴィジュアル系バンドのように、黒い髪をツンツンと逆立てている細身の男だ。


「古巣神社、節分祭り……『居座り鴉』が今日もく」


 彼が宣言するとともに後方の楽器が演奏を始め、観客たちの喝采が境内中に響く。ギターの男が歌い出すと歓声はさらに大きくなった。ハイトーンで艶やかなボーカルだ。


 渓の隣に立つ赤川も雰囲気に乗ろうとリズムの合わない手拍子をしながら渓に向かって言った。


「インディーズにしちゃ上手いだろ? ただなーんかこの声どっかで聞いたことある気もするんだがなぁ。正体は誰も知らねぇって言うんだ」


「へぇ、そうなんですね」


 言われてみれば確かにギターボーカルの男の立ち姿は渓もどこかで目にしたことがあるような気がしたが、それが誰なのかは思い当たらなかった。






 バンド演奏が終わると辺りは夕焼け色に染まり始め、いよいよ祭りは終わりに近づいていた。屋台では品切れが出て、ステージは解体が始まっている。子どもたちはまだ名残惜しそうに渓が教えた紙飛行機を飛ばしたりして遊んでいたが、やがて親に「夕飯の時間だから」と急かされて帰りだす。


「渓! ちょっとステージの方手伝ってくれないか」


「わかりました。今行きます」


 慶隆に声をかけられ、渓がステージ解体に加わろうとした時、後ろからポンと肩を叩かれた。


「お疲れイサミン。私も手伝おうか?」


 花笑がにっこりと微笑みかけてくる。


 その表情を見て安堵でもしたのか……渓はどっと疲労が押し寄せてくるのを感じた。


 今日は慣れない早起きをして屋台やステージの設営で身体を動かしたし、知らない人ともたくさん話したし、子どもたちには散々追いかけ回された。もう全身くたくただ。


 だがそれに今まで気づかなかったのは、あまりにも普段と違う一日を過ごしたせいで少しハイになっていたからかもしれない。


 何より、疲れ以上に楽しかった。


 あの薄暗い商店街の店主たちが屋台で声を張り上げているのを見られて新鮮だった。この街には意外と多くの子どもたちが住んでいるんだと知った。催し物に参加して場を盛り上げられるほどの才能がある人々がいることがわかった。


 祭りという独特の開放感の中で、新しい発見がたくさんあった。


(やってよかった。俺たちは今日、この街に一気に近づけたんだ)


「イサミン?」


 なかなか返事をしないので心配したのだろう。花笑が首をかしげて顔を覗き込んでくる。


 渓は一人納得して、ようやく花笑に言葉を返した。


「花笑さんは屋台の方をお願いします。こっちは力仕事なんで男だけでやりますよ」


 花笑の顔が一瞬ハッとしたような表情になる。まるで今の言葉で初めて自分を男だと認めてくれたかのようだ……渓はそんなことを思ってふっと笑う。


「わかった。じゃあ、あとちょっと頑張ってね」


 花笑はそう言ってもう一度渓の肩を優しく叩くと、再び屋台の方へと戻っていった。わたあめなのか、何なのか……甘い香りがふわりと渓の鼻をかすめた。


「鼻の下伸びてるよ」


「なっ」


 声をかけてきたのは美耶だった。彼女も元々わたあめを花笑と一緒に売る予定だったのだが、客があまりに花笑のことばかり見ているので他の手伝いに回っていたようだ。


(ま、確かにこいつ美人だけどなんか近寄りがたいもんなぁ)


 渓がそんなことを考えていると、心が読めるわけでもないのに美耶がキッと睨んできた。ほら、そういうところだろ、と突っ込みたくなる衝動を抑える。


 彼女は腕に紙束を抱えていた。節分祭りのポスターだ。


「暇ならポスターはがすの手伝ってくんない? 商店街とか住宅街の掲示板とか色んなところに貼ってあるから」


「わかった。ステージ解体終わったら手伝うよ」


「よろしくね。……あ、そうだ」


 美耶がふと思い出したように手を叩く。


「鬼の役よかったよ。子どもたち楽しそうだった。あんた意外と面倒見いいんだね」


 それは褒められて喜ぶべきかどうなのか……完全に子どものおもちゃにされただけという感覚があった渓は渋い顔をする。それを見た美耶はぷっと吹き出した。


「なんだよ、何がおかしいんだよ」


「いや、だってあの役本当は毎年うちのおじいちゃんがやってたんだから」


「えっ」


「それで怖すぎて子どもたち全然豆投げれなくってさぁ。いや、本当、あんたたちに手伝ってもらえてよかった」


 美耶曰く、城山の威圧感に毎年泣き出してしまう子どももいたのだという。


「いや、ちょっと待って、それって俺がちびっ子たちに舐められてるってこと?」


「んー……まぁそれでいいんじゃない?」


 そう言って美耶は笑った。笑うとキュッと目尻にしわができた。それは同世代の女の子らしい親しげな表情で、渓は普段からこういう表情でいればいいのにと思いながらステージ解体の方に合流しにいった。





 祭りの片づけが終わり、渓たちは城山に呼ばれた。日はすっかり落ちて法被だけではかなり寒い。人気ひとけの少なくなった古巣神社の境内の中で、城山の低い声が響く。


「今日の節分祭りはどうだった?」


 別の話かと身構えていた学生たちはその言葉に少し拍子抜けしたが、花笑は迷いなく答える。


「大変でしたけど、楽しかったです。お祭りを作る人も、遊びに来ている人も……素敵な人ばかりだなって思いました」


 相変わらず城山は固い表情をしていたが、花笑の言葉に腕を組んで「そうか」と頷くと、着ているダウンジャケットのポケットから茶封筒を取り出して花笑に手渡した。


 一瞬何かと思ったが、花笑が封筒を裏返したことで学生たちはハッと顔を見合わせる。


 そこには「フリーペーパー広告掲載料 城山虎雄」と書かれていたのだ。


「今日一日でお前たちがこの街に本気で関わるつもりだってことがわかったからな。フリーペーパーに効果があるかは分からんが、まずは自分たちの企画をやってみるといい」


「ありがとうございます、城山さん……!」


 花笑が礼を言うと、照れ隠しなのか城山は学生たちから目をそらした。


「……勘違いするなよ。これはあくまで『しろやま家電』の分だけだ。他の店舗の分は自分たちで説得するんだぞ」


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