2−3 逆転アイディア



「そっかぁ、シロさんそう言ったのねぇ……」


 スナックに戻り、渓は城山に言われたことをはざまに伝えた。


 間は「とりあえずお疲れ様!」と言って瓶ビールを二本カウンターに出す。渓が「そんな飲みませんよ」と言いかけたかたわら、花笑はすぐさまそれに手をつけて一気飲みした。


「うふふ……私たちがフリーペーパーを完成させたら、城山さんの写真ちょっと加工して白髪とシワ多めにしちゃうんだから……ふふ……」


「やだー、花笑ちゃんったら意地悪ぅ!」


「うふふ……うふふふふ……」


 花笑は黒い微笑みを浮かべながら、渓のために出された瓶にも手を出して直接あおった。あーあ、先に口つけておけば間接キスになったのに。渓はすぐに飲んでおかなかったことを少しだけ後悔する。


「ああでもね、誤解しないでほしいから一応言っておくけど、シロさん別に悪い人じゃないのよう。自分にも他人にも厳しい人だからねん。あなたたちのことを嫌っているとかそういうわけじゃないと思うわ。アタシが保証する」


 間はつけまつげで飾られた目でばちんとウインクをする。感激したのか花笑は「みっちゃぁぁぁぁん」と叫びながら間に抱きついた。


 おいおい、クソ羨ましいな。自分もオネエになったら花笑に抱きついてもらえるのだろうか、渓は嫉妬の眼差しでその光景を見つめながら、そういえばと思い出す。


「城山さんのお店で美耶って子に会いましたよ。俺たちの他にも同世代の人がこの商店街にいるなんて思ってなかったんでちょっと意外でした」


「ああ美耶ちゃんね。シロさんのお孫さんよ。確か歳は今19だったかしら? 浪人生だって聞いたわ。浪人する時にご両親と喧嘩して、それでシロさんのとこに避難してるんだって」


「なるほど、浪人生か」


「なーにー? イサミン、美耶ちゃんのこと気になるのん?」


「えっ!? いや、そんなんじゃないですよ! すっげぇ感じ悪かったから、どんなやつなのかなーって気になっただけで」


 ニヤニヤと笑みを浮かべる間に対して、渓は慌てて否定した。確かに美耶の第一印象は花笑とはまた違った方向性で美人と言えるものだったが、それ以上にあの氷のような眼差しが忘れられそうにない。


 話題を変えなければ。そう思って渓はわざとらしく周囲を見渡した。


「慶隆さんと長野くんは? 先に帰っちゃったんですかね」


「理人くんはパソコンの充電器を家に置き忘れたらしくて取りに帰ったわ。よしたかっちには今夜の仕込み用の野菜の買出しをお願いしてたんだけど、そう言えば戻ってくるの遅いわねぇ」


 野菜の買い出しと言えば、商店街の一番北に位置するミドリ青果店だろう。渓が初めてこの商店街に来た時に買い物をしようとして花笑に声をかけられた店だ。


「俺、ちょっと様子見てきますよ」


 渓はそう言ってスナックを出た。城山から言われたことを受け止めるためにも、一回一人になって頭を冷やしたかったのだ。




(『お前たちはこの商店街のことを何も分かっていない』か……確かにその通りなんだよな)


 昼間、理人に見せてもらった商店街の情報を思い出す。分かっているのはどんな商品を売っているのかということと商店主の名前くらいで、それぞれがどんな人柄なのかとか、店のこだわりとか、商店街の歴史とか……まだ知らないことばかりだった。


 確かにフリーペーパーは街の紹介をするには良い媒体だが、肝心の作り手がその街のことを知らないんじゃ意味がない。それは確かに「ままごと」だ。


(だけど取材させてくださいってお願いしたところで簡単にうんと言ってもらえる雰囲気でもないしなぁ。よそ者の俺たちが街の人のこと知るためにはどうしたらいいんだろう)


 渓は腕を組んで寒さに耐えながら考える。


 例えば、自分が転校したばかりの時はいつもどうしていたっけ。大抵クラスに一人はやたら面倒見の良いやつがいて、遊びとか行事とかで何かと誘ってくれていた。だがこの商店街にはそういう繋がりはあまり期待できそうにない。むしろ菊地のコネのおかげで間と赤川と打ち解けているだけましだと考えよう。


(もう少し思い出せ。絶対あったはずだ、積極的に話しかけてくるやつがいなかった時の経験が……)


 小学校から高校までの記憶を順々に辿って行こうとした時、ミドリ青果店の方から慶隆のよく通る声が聞こえてきた。


「みどりばあちゃん、大根の段ボールはこっちに置けばいいんだな?」


「ああそうじゃ。上に積んどいてくれればいいからの。それで、次は……」


 渓は店の方へと駆けていく。そこにいた慶隆はまだ真冬だというのに上着を脱いで半袖のTシャツ一枚になっており、重そうな段ボールを二つ重ねて店の裏に運ぼうとしていた。


「うっす、渓! 城山さんのとこはどうだったよ」


「その話は後で……てか何してるんですか?」


「ああこれか。間さんに買い出し頼まれてたんだが、ついでにみどりばあちゃんの手伝いも頼まれてな」


 そう言って慶隆は豪快に笑った。段ボールは相当重いのか彼のよく鍛えられた腕には筋が張っているが、本人はご機嫌そのものである。


「ほれ、立ち話しとらんでさっさと運ばんか!」


 店の奥で作業をしているみどりが杖を振り上げて叫び、慶隆は肩をすくめた。店の中を見てみるとまだまだ運ばなければいけない段ボールがいくつか残っている。


「俺も手伝いますよ」


 渓はそう言って段ボール一つ抱えた。野菜がずっしりと詰め込まれているので想像以上に重い。二つなんて絶対無理だ。渓は一つ抱えるだけで腕を震わせながら慶隆の隣に並んで尋ねた。


「慶隆さんって元ラグビー部なんですよね。なんでやめたんですか?」


 慶隆は「ああ」と言って視線を膝に向ける。


「去年の秋頃に半月板をやっちまったんだ」


 半月板というのは膝の関節にある軟骨のようなものだ。渓の周りにも以前野球をやっていて半月板を損傷したクラスメートがいた。歩くだけでも相当痛がっていたのを思い出し、彼は思わず顔をしかめる。


 しかし慶隆はすでに痛みなどないかのようにケロリとした表情で言った。


「手術しても軽い運動しかしちゃダメだって医者に言われてな。チームのみんなは俺が復帰するのを待ってくれるつもりだったみたいだが、俺が中途半端に居座っていたら卒業までレギュラーを取れない後輩が出る。そうなるくらいなら、とっとと引退した方がチームのためだと思ったんだ」


「……お人よしですね」


「そんなことはない。俺は自分勝手だよ。やめるやめないでキャプテンと喧嘩して、結局ラグビー部の奴らとは疎遠な状態だしな」


「それだけ慶隆さんはチームの人に好かれてたってことでしょ。部活やめてから寂しくなったりしなかったんですか?」


「うーん、そうだな……確かにしばらくは何もやる気が起きなくてボーッとしていたかもしれん。でも今はそうじゃない。花笑がマチカツに誘ってくれたおかげでお前や理人にも会えたし、間さんや赤川さんとも知り合えたからな」


 そう言って慶隆はニカッと笑う。


(あ……この人も俺と同じなんだ)


 渓にとって、慶隆はなんとなく遠い存在だった。性格も過ごしてきた世界もまるで違う。いつか価値観の違いで揉めることになるんじゃないか、そんな余計な懸念までひそかに抱いていたくらいだ。


 だがある一点では共通している。よそ者のくせに、この街に居場所を感じているという点では。




「ほいよ。お疲れさん」


 渓たちが段ボールを運び終えると、老婆は紫色でつぶつぶが浮いている怪しげな液体の入ったグラスを差し出してきた。


「な、なんですかこれは……」


 渓は恐る恐る尋ねる。普段遠慮がない慶隆でさえ手を出すのをためらっていた。


「なんじゃい、いいから飲んでみい。毒など入っとらんわ」


 老婆の声に苛立ちが混ざるのを感じて、二人の男子学生は恐る恐るグラスを手に取った。少し傾けてみるとどろっと粘ついているのがわかる。


「ええい! いただきます!」


 慶隆がぎゅっと目をつむってグラスを一気に煽る。しまった、出遅れた。渓も慌ててそれに続く。


 つぶつぶとした食感、舌の上で香る甘酸っぱいフルーツと、ひんやりと染み渡ってくる新鮮な野菜の繊維。


 一口飲んでハッとした。


「えっ、ちょっと待ってください、このジュース見た目はアレだけどめちゃくちゃ美味しいじゃないですか……!」


 渓がそう言うと、みどりは曲がった腰を浮かせて誇らしげに胸を張った。


「そりゃそうじゃ。ワシはこれを昔っから毎日飲んどるからな。おかげでこうして八十を超えても元気に店に立てとるんじゃよ」


「にしても、なんでこれを俺たちに?」


「最近若いもんの間で『しゅむーじぃー』とやらが流行りなんじゃろう? 時代がようやくワシに追いついたというわけじゃ」


 みどりはカッカッカと隙間の空いた歯を見せて笑った。いつも不機嫌そうな老婆の笑顔を見たのは初めてのことだった。


 店の手伝いをした分の対価として、老婆は渓たちを喜ばせるために若者が好きそうなものを用意してくれた。金銭を介しているわけではないが、そこには互いの互いを思いやる気持ちの取引が行われていたのだ。


 そこまで考えて渓の頭にはあるアイディアがひらめいた。彼は隣に立つ慶隆の両肩を揺さぶる。


「そうだ……! 慶隆さん、ですよ!」


「お、おう、急にどうした?」


「すぐにスナックに戻りましょう。作戦会議です」



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