1−7 酒とメンチカツと勢いで



「やぁ、やってるかい?」


「うーっす、みっちゃん! 店がヒマすぎて遊びに来ちゃったぜぇ」


「あらー菊地センセ! それにあっくんまで!」


 はざまがどたばたとスナックの玄関に立つ客を出迎えた。


 一人は小柄で白髪のスーツを着た男、朽端くちばし大学教授の菊地だった。花笑たちの活動のきっかけである「まちづくり」授業の担当教員だ。もう一人のあっくんと呼ばれた方は作業服に白いエプロンを着た朗らかな雰囲気の初老の男。


 菊地の方が渓に気づいてにっこりと柔和な笑みを浮かべ、「お、新しい子が加わったんですか」と言う。渓が口を開こうとする前に花笑が興奮気味に答えた。


「菊地先生! 彼、商学部の伊佐見くんって言うんですけど、すごいんですよ! フリーペーパーの印刷代は広告掲載料として商店街の人に出してもらったらってアドバイスしてくれて!」


「ほう、それはいい考えですね。やっぱり学部が違うメンバーが集まると発想の幅が出て面白い。やりましたね、武森さん」


「あ、あの、俺はただ見学しに来ただけで……」


「めでたいねぇ! 俺、店に戻って差し入れ持ってくるから待ってな!」


 否定する渓の言葉は「あっくん」の大声にかき消されて菊地の耳には届かない。


 花笑も事情をちゃんと説明する気はなさそうで、慶隆や理人とともにスナックのテーブルを移動させて大人数が座れる席を作りだした。そこに間が手際よくつまみと瓶ビールを並べ、まだ夕方だというのにすっかり宴会の準備ができあがってしまった。


「今日は歓迎会ね! いつもよりサービスしちゃうわよーう!」


 見学だけでいいと言った張本人は、自分の発言をすっかり忘れてしまったかのようである。


「あの、だから、俺はまだ……」


「細かいことはいいだろ! せっかくだから飯くらい一緒に食おう! 間さんの料理は超美味いから!」


 慶隆が豪快に笑いながら渓の背中を叩いた。衝撃が強すぎて渓は言葉を詰まらせる。無理やり席につかされ、目の前のグラスにはとくとくと黄金色のビールが注がれていった。


「お待たせ! メンチカツ持ってきたぜぇ!」


 「あっくん」が店に戻ってきて、メンチカツが敷き詰められたバッドをテーブルの中央に置く。バッドの側面には「お肉のあかがわ」と書かれていた。どうやら「あっくん」というのは「赤川」の愛称らしい。メンチカツからは香ばしい油の匂いが漂ってきて、渓は思わず唾を飲んだ。


「お前、肉屋の揚げもん食ったことあるか?」


「ないです。コンビニとか冷凍のやつしか」


「おいおいそりゃもったいないなぁ! 遠慮せず食ってみろ! 揚げたてのうちが美味いぞ!」


「ちょっとあっくん、その前にまずは乾杯でしょうー?」


 間が頬を膨らませながらビールの入ったグラスを赤川に手渡した。全員がグラスを持ったのを見て、花笑が「それじゃあ」とグラスを高く掲げる。


「伊佐見くんをマチカツ部に歓迎するということで」


「いや、入ると決めたわけじゃ——」


「乾杯!」


 渓以外の皆が声を揃えて「乾杯!」とグラスを合わせた。もうこの飲み会から逃げられる雰囲気じゃない。渓は渋々流れに従う。


 ビールを一口飲もうとした時、皆が急に競うようにしてテーブル中央のメンチカツの山に箸を伸ばした。


「イサミンも早く! 美味しいからすぐなくなっちゃうよ!」


 花笑が渓の肩を小突いた。


(え、今『イサミン』って呼ばれた……?)


 美人な先輩にニックネームで。しかもボディタッチ。アルコールで赤くなりやすい体質なのか、花笑の頬はほんのり色づいている。


 そもそも「イサミン」というニックネームを最初に考えたのは間だが、この際都合よく忘れておくことにする。


 理人が箸を差し出してきて、渓はハッと我に返る。確かに、あれだけ大量にあるように見えたメンチカツがものすごい勢いで減っている。主犯は慶隆だ。見た目にたがわず食欲旺盛らしい。彼の食べっぷりを間がうっとりと見つめている。


 渓は遅れをとらないよう慌ててメンチカツを取って一気に頬張った。口の中にジュワッと肉汁が広がる。脂っこすぎず、それでいてジューシー。肉本来の味を引き立たせるために塩胡椒は控えめな味付けだ。


「これ、すっごくおいしいです!」


 渓がそう言うと、赤川はニッと歯を見せて「だろ?」と得意げに笑った。


 そんなやり取りの最中、慶隆がすでに五つ目にあたるメンチカツに手を伸ばし始めていた。渓が「食いすぎですよ」と言おうとした時、ドンと強い衝撃と共に一瞬テーブルが縦に揺れた。花笑がビールの入ったグラスを——いや、いつの間に手をつけていたのかビール瓶を、勢いよく置いたのだ。中身はすでに空になっている。


「……慶隆くん。みんなのペースに合わせてって、いつも言ってるよね?」


 彼女の微笑みこそは普段と変わらなかったが、その言葉には慶隆の筋肉に勝る威圧感が込められている気がした。渓は横から見ているだけだったが、それでもぞっとするものを感じて身震いする。


(花笑さんて酒豪だったのか……)


「あの人、飲むとすごくドSになるから気をつけた方がいいですよ」


 渓の思いを察したかのように、理人がぼそりと言った。彼は最初からウーロン茶しか飲んでいない。


「長野くんは飲まないの?」


「浪人してるから年齢的には飲めるんですけど、僕酒が入ると延々と語り始めちゃうんで」


「へ、へぇ……そうなんだ」


 おそらくアニメのことだろうな。バッグのキーホルダーの他にもちらりと見えたスマートフォンの待受画像や、パーカーの下に着ている何かのイベントTシャツから容易に想像がつく。彼は相当なオタクのようだ。


 美人で巨乳な先輩と、マッチョな元ラグビー部に、アニメオタクの一年生。まるでバラバラな三人が集まって、この小さな店の中で一つのことをしようとしている。


(……変なの)


 渓はビールを飲みながらそう思った。彼らをつなぎとめるだけのものが、「マチカツ」にあるってことなんだろうか。






 飲み会が始まって一時間。花笑とは裏腹に酒に弱いらしい慶隆はテーブルに突っ伏していびきをかきながら寝ており、赤川と間は店内のカラオケでデュエットを歌い始めた。普段年末の歌番組でしか聞かないような演歌だ。


「どうかな? 楽しめていますか」


 いつの間にか菊地が隣に座ってきて、アルコールが回って気を抜いていた渓は慌てて姿勢を正した。


「えっと……なんかまだ自分でもよく分かってないですけど、一人で家でコンビニ弁当食べてる時よりは全然楽しいです」


「ははは、そりゃそうでしょうね。ちなみに私は元々みっちゃんやあっくんと飲み友達でして。彼ら、この商店街の中ではとっつきやすい人間だから、武森さんたちの活動にも協力してくれるだろうと思って紹介したんですよ」


「ああなるほど、そういうことだったんですね」


 そうでもなければ、学生がいきなり古びた商店街のスナックに入っていけるはずがない。渓はようやく花笑や間たちの関係性について腑に落ちた気がした。


「ところで君、本当はまちづくりなんて興味ないんでしょう」


 菊地のその一言に、渓は飲みかけていたビールでむせた。急に本心を突かれて、一気に酔いが覚めていく。なんと返せばいいのだろう。うまく言葉が思いつかないでいると、菊地は話を続けた。


「大丈夫大丈夫、別に責めるつもりで言ったわけではないですよ。私はね、別に社会のためとか地域貢献とか、そういう複雑なことは考えなくたっていいと思っているんです。私があの授業で君たち学生に伝えたいことはいつもたった一つだけでね」


「そうなんですか?」


 菊地は「うん」と微笑む。


「せっかく同じ街で四年間過ごすんだから、この街のこと好きになってほしい……ただそれだけなんですよ」


「街を、好きに……」


 渓はハッとした。


 最近まで近所にあるこの商店街の名前すら知らなかった。どんな店があるかとか、どんな人がいるかとか、想像したことすらなかった。


 この街は大学に通うために住んでいるだけ。どうせ四年経ったらまた違う土地へと引っ越すのだ。だが、裏を返せば四年一つの場所にいることになる。


 よくよく考えれば、転勤族の渓にとって四年も同じ土地で過ごすのは初めてのことなのだ。


 それだけ時間があったら今までできなかったことができるのかもしれない。


 知り合った人たちに名前を覚えてもらえて、行きつけの店なんてものができて、地元の人しか知らない抜け道とかを知って……いずれ離れることになったとしても、戻ってきた時に覚えてもらえているような、そんな関係性を作ることが。


 いや、もうすでにでき始めている。


 たった二回顔を合わせただけなのに、名前を覚えてもらっている。自分の力を必要としてくれている。


 今自分がこの飲み会の席にいるのは奇妙な巡り合わせとしか言いようがないが、不思議と慣れ親しんだ家のような安堵感があった。


「俺……やってみようかな」


 独り言のつもりで渓は呟いた。


 間と赤川の大音量のデュエットが響く中、果たして聞き取れたのか聞き取れていないのかは分からない。だが菊地は何も言わずに微笑んだ。その表情に、渓は背中を押してもらった気がした。



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