1−6 渓のアドバイス
「うちの店、夜しかやらないから昼間は部室として貸してあげることにしたのん」
「いいんですか? 賃料は……」
「やーねぇ、そんなケチくさいこと言わないわよう! ま、条件は三つあるんだけど。店の掃除の手伝いをすること。ちゃんと週に五回は来て活動すること。あともう一つは、飲み会はうちでやること」
「それだけですか? 割に合わないでしょう」
すると間は首を横に振った。
「そんなこと無いわよう。あなたたちには分からないかもしれないけど、こうしてうずら通りに若い人たちがいるってだけでずいぶん華やかになるんだから」
「そういうもんですか」
「そういうもんよ。でも、たったそれだけのことが今までは有りえないことだったわ。ああ見えて花笑ちゃんってすごいのよ。誰もやらなかったことをやろうって言い出したんだから。それって本当はすっごくエネルギーのいることなのよ」
間はそう言いながら店の扉を開けた。中には以前会った三人がすでにいて、テーブルを囲んで何やら腕を組んで唸っている。
花笑が渓に気づき、ぱぁっと表情を輝かせて手を振ってきた。先日断っている手前気まずくなり、渓は「ども」と軽く会釈する。
「間さん、伊佐見くんを説得してくれたんですか?」
「違うわ。でもその辺ぶらついてたから、とりあえず見学でもしてみたらって無理やり連れてきたのよう。さ、こっち来て」
完全に男の腕力で渓は花笑たちのテーブルまで引っ張られた。
花笑ともう一人の三年生——間が「よしたかっち」と耳打ちする——はノートを開いていて、その中にごちゃごちゃと書き込みがしてある。眼鏡をかけた一年生——花笑が「
「何をしているんですか?」
未だに「マチカツ」の活動内容がいまいちピンときていない。渓が尋ねると、花笑は満面の笑みで答えた。
「私たちね、フリーペーパーを作ることにしたの」
「フリーペーパーって、あの観光地とかでよく配ってる情報誌のことですか? 街の地図が載ってたり、飲食店の紹介とかが書かれてる」
「そうそう! 理人くんが前に旅行いった時にもらって便利だったって言ってて」
「へぇ。ちなみにその旅行はどこに?」
すると理人はむすっとした表情で「……秩父」と答えた。なんでまたわざわざ旅行で秩父に行ったのだろう。渓は疑問には思ったが、椅子の上に置かれている彼のカバンにアニメキャラクターのキーホルダーがジャラジャラとついているのが目に入り深くは追求しなかった。
「だが一つ問題があってな」
慶隆が腕を組みながら唸る。
(そのポーズ、無駄に威圧感あるからやめてほしいんですけど……)
渓は彼の隆起する上腕二頭筋を見ながら無意識に一歩後ずさり、慶隆が言う問題とは何なのか尋ねた。
「いや、実はな。調べてみると意外と印刷代がかかることが分かったんだ」
理人がパソコン画面を見せてくる。印刷会社のホームページのようだ。フリーペーパーを印刷する場合の料金表が表示されている。
「うずら通り商店街には20店舗近く加盟店があるから、1ページに四店舗紹介するとしても5ページ、マップとか商店街の歴史とかのページをつけたらだいたい8ページは必要でしょ」
花笑はそう言って料金表を指差した。
「それで、商店街と大学とか駅とか主要施設に50部ずつ置いてもらうとすると、1,500部くらいは印刷しておかなきゃいけないよね」
彼女の華奢な指が料金表をたどっていく。8ページの冊子でサイズがA6の場合、1,500部印刷すると費用は2万円を超えることになる。
「確かに、ちゃんと印刷会社に依頼しようと思ったら高くつきますね」
「それに、私たちデザインができるようなソフトとか持ってないし、お店の写真を撮るのにちゃんとしたカメラ持っているわけじゃないから、色々揃えるとしたらもっと費用がかかるの……さすがに私たちだけで2万円以上出すのは厳しいよねってことで行き詰まってて」
花笑はがっくりと肩を落として座り込んだ。
「え、まさかこれ全部自腹で払うつもりですか?」
渓が驚いて尋ねると、花笑たち三人はさも当然というかのようにきょとんとした表情を浮かべた。どうも本気で払うつもりだったらしい。
「いやいや、掲載する店舗から広告掲載料取ればいいじゃないですか。フリーペーパーってそういうビジネスモデルで成り立ってるんですから」
「広告掲載料……?」
「お客さんに無料で配布すればお店の宣伝になるから、見返りに掲載料もらうんですよ。花笑さんたちが本当に取り分ゼロでいいって言うんなら、印刷費の2万円分は20店舗に負担してもらう。1店舗あたり1,000円。フリーペーパーの効果で1,000円以上の買い物をしてくれるお客さんを連れてこられたらお店にとっても悪い話じゃないでしょ。だからそういう理由で各店舗を説得して——」
渓は話の途中でぎょっとした。花笑も、慶隆も、理人も、そして間までもが自分のことを見ている。
きらきらとした、尊敬の込もった眼差しで。
「イサミン……あなたすごいじゃないの!」
間が強い力で渓の肩を叩いた。花笑もうんうんと縦に頷く。
「うん、すごいよ! 私たち全然そんなこと思いつかなかったのに」
「ま、まぁ商学部ですから」
慶隆には無理やり肩を組まれ、理人は相変わらず無表情だがパチパチと小さく手を叩いているのが見える。
想定外の反応に渓は戸惑う。花笑たちの視線がむずがゆい。
(なんだこれ……こんなことでこの人たち喜んでくれるのか?)
商学部で学ぶことは実際の企業で使われている実用的な知識が多い。ビジネスモデルの考え方は多少授業で学んだことはあるし、公認会計士の資格勉強のおかげもあって収支の計算は慣れたものだった。
だが実用的であるがゆえに、どうせ卒業して社会人になったら皆が身につけるものでもある。大学時代に早めに勉強したところで多少のリードになるだけで、それならいっそ社会人になっても全く使いどころのない知識を学べる学部が良かったのではと、そんなことを思っていたくらいだ。
それがまさか、こんなところで役に立つとは。
「……というか、もしかしてビジネスモデルも知らずにフリーペーパー作ろうとしてたんですか?」
おそるおそる聞くと、花笑は恥ずかしそうに顔を赤らめて、上目遣いで頷いた。
天然というのか無鉄砲というのか……いやその照れ顔はめちゃくちゃ可愛いけど……渓が唖然としていると、スナックの扉に取り付けられているベルがチリンと鳴った。
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