1章 ようこそ、うずら通り商店街へ

1−1 居場所のない新成人



「うっわ、もやし液状化してる……」


 冷蔵庫の中を覗いた渓は二度ため息を吐いた。一度目は野菜室の中で原型を失ったもやしに対して。二度目は思わず独り言を呟いてしまった自分に対して。


 伊佐見渓、大学二年の一月。


 東京の朽端くちばし大学に合格したのを機に、大学から徒歩十五分圏内のアパートで一人暮らしを始めてもうすぐ二年。


 上京したての頃は誰の目も気にせず自由気ままに振る舞える環境に心躍ったものだが、その興奮はわずか三ヶ月で冷めてしまった。


 家事にしても光熱費の支払いにしても、何でも自分でやらなければいけない……それは思った以上に時間と労力が必要だったし、何よりのような遊ぶ相手もいないような日など、一日を通して誰とも会話をしなかったりするので、そりゃ独り言でも呟いておかないとそのうち退化して言葉を発せなくなるのではないかと妙な不安に襲われたりもする。


 そう、今日は成人式の日だ。同級生の多くは実家に帰って地元の式典に出席している。SNSには新成人たちの華やかな晴れ着姿がたくさんアップされており、渓はただ機械的にひたすら「いいね」を押した。


 渓にも招待状は来ていたが、彼は地元には戻らず東京に残っている。


 転勤族である彼には固定の地元というものがないのだ。ほとんど縁のない土地の成人式に出ても惨めな思いをしそうで欠席という選択肢を取ったのだ。だがこうして当日になってみると、殺風景な一人暮らしの部屋とSNS上の色鮮やかな景色のギャップに嫌気がさして、現実から逃げるかのように夜になるまでふて寝をしてしまった。


 渓は鼻をつまみながら液状化もやしをゴミ箱の中に落とした。


(中途半端に自炊なんかするからこうなるんだよな)


 そんなことを思って自嘲する。「中途半端」。その四文字はまさしく自分を言い表すのに最適だった。よく言えば「器用貧乏」なのか。いや、これも”貧乏”とついているのであまりプラスの意味には取れないだろう。


 子どもの頃から勉強にしろ運動にしろバランスよくこなすタイプだった。趣味も同じで、紙ヒコーキを作るのにはまっていたこともあれば、囲碁に夢中になった時期もあったし、高校の時は友人とロックバンドを組んだりもした。だがどれも長続きせず、そこそこはできてもどれかで一番になったことはない。全部中途半端なのだ。


 そうなった理由は自分が飽き性だというのも多分にあったかもしれないが、半分は親の仕事のせいだと思っている。


 少なくとも二年に一度は転勤があったので同じ場所に長くとどまっていることがなかったのだ。場所が変われば、そこで流行っているものも変わる。新しい環境に馴染んでいくために色んなものに手を出していたら、いつの間にかこうなってしまった。


 渓はそんな自分があまり好きではなかったが、同時に今の時点で何か一つ熱中したいものがあるわけでもなかった。


 結局彼がやっていることは、目の前にある大学の課題とかアルバイトをこなして、なんとなく将来のために資格試験の予備校に通いつつ、社会に出るまでのモラトリアムの時間を少しずつ消費するということだった。


(あー、やめやめ)


 こういうことは考え始めるとキリがない。特に、話し相手のいない六畳一間で思い悩んでも思考が上向きになることなどないというのはこの二年で思い知った。


 渓は無理やり思考を切り替える。


(そろそろ夕飯の時間だな)


 ふと締め切っていた窓のカーテンを開けて外の様子を見てみる。そしてすぐにげんなりする。雪だ。駅前にある24時間営業の大型スーパーに行くには10分ほど外を歩かなければいけない。安い牛丼屋はその通りの横断歩道を渡った先にあるからもっと遠い。


 どうしようか。


 視界の中に錆びたアーケードの屋根が目に入った。そういえば駅に出る道の途中に商店街があったはずだ。いつも大型スーパーの方に行ってしまうので一度も使ったことはなく、どんな店があるかは知らないが、さすがに惣菜か簡単な夕飯を作る材料くらいは手に入るだろう。家から近いし、アーケードがあるから雪に晒される心配もない。


 行ってみるか。


 渓はスウェットの上にモッズコートを羽織ると、ポケットに財布を入れて部屋から出た。



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