マチカツ!
乙島紅
プロローグ
プロローグ
「『お肉のあかがわ』が店を閉めることになった」
時は桜が咲き始めた三月の夜。商店会長の
会議室にはうずら通り商店街の商店主たちと市役所の産業振興課の職員が一人、そして最近この商店街を拠点にボランティア活動を始めた学生たちがいた。
「赤川もついに鬼籍に入りおったか……」
掠れた声でそう呟くのは青果店の老婆。それを聞いて隣に座るパン屋の店主は豪快に笑った。
「いやいや、みどりばあちゃん、赤川は普通に生きてるってば。あいつ、女遊びが過ぎてギックリ腰をやらかしたんだ。いい年したおやじのくせに恥ずかしいよなぁ、全く」
話題の深刻さとは裏腹にどっと笑いが起こる。
「薬屋ァ、てめぇんとこはそろそろご無沙汰なんじゃねぇのか?」
がたいのいい木工家具屋の高木がからかうように言うと、常に腰の低い『さいとう薬局』の店主はへらへらとした笑いを浮かべながら「いえいえ、うちはそういう時の万能薬も取り揃えとりまして」などと冗談を言う。再び騒がしくなる会議室。
元の話題はどこへやら。年を重ねた商店主たちはこうして思いのままに言いたいことをいうものだから、たいてい会議はまとまらない。結局何を話すために集まったのか分からなくなったところで、商店会長の城山が無理やり締める。それがいつもの流れだった。
「あらやだ、アタシ、いやーなことに気づいちゃったかも」
紫色のボブのかつらとぴっちりとしたワンピースを着た中年男がそう言って立ち上がる。
「『あかがわ』の両隣って……確か今両方とも空き店舗だったわよね?」
商店主たちは互いに顔を見合わせる。ここ十年で空き店舗が目立ち始めたうずら通り商店街だが、二店舗以上並んで空きが出るのは初めてのことだった。
シャッター街。
ニュースや新聞で目にはしているものの、どこかで違う世界のことのように感じていた言葉が彼らの頭をよぎる。
しんとする会議室の空気を破ろうとして、薬屋の店主・斉藤は不自然に思えるくらいの大きな声で言った。
「そ、そうだ! この間、駅前で広い土地が空いたら出店したいって話してたパチンコ屋がいたんですよ。三店舗分ならそれなりの面積になりますし、この際誘致しちゃうとかどうでしょう!?」
「あらー、名案じゃないのっ! パチンコ屋さんが来たらうちのスナックにもお客さん増えるかしら?」
そうだそうだと同調する声が大きくなっていく。商店主たちの表情が明るくなりかけた時、強く机を叩く音が響いて再び会議室は静まった。おもむろに立ち上がったのは、この中では86歳という最高齢にあたる青果店の老婆だった。
「ふざけるでない! そもそもこのうずら通り商店街はかつて
老婆は杖を振り上げて薄くなった斉藤の頭を叩こうとする。周囲にいた人々は慌ててそれを抑えた。それでも斉藤の意見に同調する者、あるいは反対する者、室内は二つの意見で真っ二つに割れる。
会議室の隅でパイプ椅子に座っていた市役所職員の
商店主たちの議論が過熱していく中、学生たちは終始何も発言できずただ下を向いて黙っていた。
少しでも商店街を元気づけたくて活動を始めたというのに、結局何も力になれないまま空き店舗が一つ増えてしまった。自分たちに一体何が言えるというのだろう。結局学生の身分でできることなんてないんじゃないか。そんな思いに
ただ一人を除いて。
「——あの。ちょっといいですか」
茶髪にパーマをあてた男子学生が立ち上がる。彼の名前は
「
だが渓はひるまなかった。彼の中にはすでに一つの覚悟があった。渓は場を取り仕切る商店会長・城山の方を見すえ、はっきりとした声で言った。
「俺、やります。空き店舗を使った新しいビジネスを」
再び室内がざわめいた。それもそのはず、彼は学生たちの中では一番遅れてこの商店街に関わるようになったからだ。しかもきっかけは自主的にではなく、美人で巨乳な先輩に勧誘されてなんとなくという不純な動機であった。つまり商店街での活動にはあまり乗り気でなかったはずなのである。
わりとなんでも器用にこなすが、これといって抜きん出たものがあるわけでもない、どこにでもいる今時の若者。それが商店主たちから見た渓への印象だった。そんな彼が、どうしてこの発言をするに至ったのか。
話はおよそ三ヶ月前にさかのぼる——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます