第2話

 わたしと一緒に来てくれますか。

 アレシスはトルンを押しのけて〈鳥人〉の手を取った。

 わたしと一緒に来てくれますか。

 トルンはアレシスに足をかけ転ばせて〈鳥人〉の手を取った。

 わたしと一緒に来てくれますか。

 アレシスはトルンを投げ飛ばして〈鳥人〉の手を取った。

 わたしと一緒に来てくれますか。

 トルンはアレシスを殴り飛ばして〈鳥人〉の手を取った。

 それは一進一退の攻防であった。


    ◆ ◆ ◆


 昼間は言葉を交さず距離を起き睨み合う。夜になれば殴り合う。そんな日々がもう一週間も続いていた。男達の戦いは激しさを増し、やがてそれは〈鳥人〉との甘やかな夜にも支障を来すようになってきていた。本末転倒である。


「待て待て! 待った! なんかおかしくなってますよ」


 トルンは殴りかからんとしていたアレシスにそう言った。


「どうしたどうした! なんだ若造! 諦めたか! じゃあ今日の夜はわしのもんだな!」

「そういうことを言ってんじゃないんですよ!」

「じゃあどういうことを言いたいんだ」

「なんていうか……とにかくおかしくなってますよ私たち。まず落ち着くべきだ」

「なあにが落ち着くべきだ。どうせ夜になりゃ猪みたいに猛りだすくせに」

「その夜が問題なんだなあ。要するに、私たち二人とも満足できればこんな殴り合いなんてせずに済むわけでしょ」

「それはそうだ」

「そこを彼女に交渉してみるんですよ。一晩に二人呼んで貰うんだ」

「〈鳥人〉をか?」

「その通り」

「ははあ。なるほど名案だなあ。一人に一人ずつ。なんで考えつかなかったか」

「だからやっぱりおかしくなってたんだってことですよ」

「なるほどなあ。いや、お前さん、これまですまんかったな。殴ったりしてな」

「いやこちらこそ」

「久しぶりに爽やかな気分で夜を迎えられそうだな」

「何人か呼んでもらえたら、たまにはお互いのお気に入りの相手を交換してみるのも良いかもしれませんねえ」

「そりゃあいい! お前さん、本当に名案を思いつくな! 天才だ!」

「それはどうも。よく言われます。それでは、素晴らしい夜に向かって乾杯といきましょうか」

「うむ。乾杯!」

「乾杯!」


 彼らはにこやかに微笑むと、〈鳥人〉の生卵で乾杯した。


    ◆ ◆ ◆


 そして〈鳥人〉の夜が来た。いつものように、あの美しい〈鳥人〉が二人の元を訪れた。

 立ち上がったトルンは顔を作ると言った。


「レディ、今夜は少しお話したいことがあるのですが……」


 それを聞いた〈鳥人〉は小首を傾げた。トルンは思わずその仕草に立ちくらみを起こした。美しすぎる。


「おい、お前さん」

「あ、ああ。失礼。いや、夜毎私たちの相手をしていただき、大変ありがたく思っています。ですがあなたの負担を考えると、ああ、私たちの心は張り裂けそうなのです! どうかあなたのお身体をいたわれるような方法は無いものかと、われら二人で考えておりました」


〈鳥人〉は黙って話を聞いていた。


「そこで私たちは思いつきました。私たちの相手をする〈鳥人〉の方々がもっといればいいではないかと。何もあなた一人で私たち二人の相手をする必要はない。そうすれば、私たちは二人とも毎晩満足出来るし、あなたもたまには休めるでしょう。ああ、美しいあなたにお会いする機会が少なくなってしまうのは悲しいことですが、これもまたあなたのお身体を思ってのことなのです」


〈鳥人〉はぱちくりとその瞳をまたたかせた。そして再び、小首を傾げた。


「おい、どうも話が伝わっておらんようだぞ」


 アレシスがトルンの脇腹を肘でつつき小声でささやく。


「あ、ああ、ええと、ですから、一晩にお二人かそれ以上〈鳥人〉がいれば、私たち二人ともが満足出来る、という……まあそういった便宜を……図っていただけないかと思いまして……」


 トルンは天を仰ぎ、だんだんと気まずさを覚えながら、しどろもどろ話し続けた。どうも雲行きが怪しい。これはまた殴り合いか? アレシスは戦闘態勢を整え始めていた。


「あの……その……私たち二人が争わず満足できるような……そういった配慮をですね……わかります?」


 考え込む〈鳥人〉。だが、彼女はしばらくしてぱっと顔を閃かせると、二人に向かってにっこりと微笑んだ。


「おお! 伝わったのか?」

「どうもそのようですね!」


 そして〈鳥人〉は手をひとつ叩いた。するとアレシスの胸に乳房が出来、その背中からは黒く大きな翼が生え、その髭は全て抜け落ちた。

 そしてアレシスは違和感に思わず自らの股間を確認した。


「ない」


 アレシスは呆然と呟いた。トルンも同じく呆然とその様を見つめていた。

〈鳥人〉はとても満足そうに笑って一鳴きすると、その場を去っていった。


    ◆ ◆ ◆


「これは違うだろう! これは違うだろう!」


 アレシスは翼をはためかせながら嘆いた。その声は奇妙に高くなっていた。


「いや、その、どうも、私の伝え方が悪かったようで……」


 トルンは極力アレシスの方向を見ないようにしてそう言った。老いた男の頭に〈鳥人〉の美しい女体。なんとも言えぬ眺めであった。


「おい。お前さん。どうしてくれるんだ、これは。どう責任取ってくれるんだ。ええ」

「いや、私にはいかんともしがたいことでありまして……」

「お前さんのせいだろうが! 馬鹿な考えを思いつきおって! 信じられんわ! 信じられん! ああ信じられん! ああ! ああ! なんてことだ! なんてことを!」


 アレシスはさめざめと泣き出した。


「いやあ、あの、その……」


 トルンはアレシスを慰めようとその肩に手を置いた。アレシスはその手を黙って払って泣き続けた。

 どうすりゃいいんだこれは……。

 トルンもまた泣きそうになりながら、窓から見える月を眺めてうなだれていた。月は何も返してくれなかった。


    ◆ ◆ ◆


「わしはな、復讐しようと思う」


 翌朝〈鳥人〉の卵を食べながら、アレシスはそう言った。


「復讐ですか」

「ああそうだ。あの〈鳥人〉に復讐してやるのだ。今晩やる。そう決めた」

「まあそれはいいですが……あまり手荒なことはしないであげてくださいよ」

「お前はどっちの味方なんだ! 少しは悪いと思っとらんのか!」


 アレシスは乳房を揺らしながら激怒した。


「お、思ってます! 悪かったですよ! 本当にすいませんでした! 復讐、いいですね! お手伝いしますよ!」

「フン。どうせお前なんぞあの〈鳥人〉を見た瞬間に心をやられてしまうに決まっとる。あてにはしとらん」


 図星だった。トルンは自分でもそう思っていた。


「わしはなあ、やるぞ。やってやる。フフフ……必ずやってやるからな……。見ておれよ……」


 そこには一匹の復讐鬼が誕生していた。


   ◆ ◆ ◆


 そして再び〈鳥人〉の夜が訪れた。あの〈鳥人〉は相変わらず月明かりを浴びて美しかった。そして彼女は言った。


 わたしと一緒に来てくれますか。


「お前が行くのは〈鳥人〉の地獄だ!」


 アレシスが翼を広げながら猛然と掴みかかる! 全くそれを予期していなかったと思われる〈鳥人〉は倒れ込み叫び声を上げた。そして取っ組み合いが始まった。

 ううむ。これは……。戦う姿も美しい。トルンは、〈鳥人〉とアレシスの戦いに、奇妙な美を感じていた。

 ふとトルンは気づいた。

 鉄格子の扉が開いたままになっている。

 これは。

 逃げられるのでは。

 トルンは〈鳥人〉と扉を二度三度と見比べた。彼は悩んだ。悩みに悩んだ。脂汗が流れるほど悩み尽くした。だがしかし結局は理性が勝った。彼は後ろ髪をひかれながらも鉄格子を抜け出し、そして走り出したのだ。


「貴様!」


 裏声で叫びながら〈鳥人〉と共に追いかけてくるのはアレシスである。


「アレシスさん! なんで追いかけてくるんですか! 復讐はどうしたんですか!」

「貴様だけ自由になろうとは許さん! 許さんぞ! 許さんぞ! 許さんぞ!」


〈鳥人〉もまた何事か叫びながら追いかけてくる。トルンは必死で走り続けた。

 そして突き当りの扉を開いた。

 その先は崖だった。

 トルンは夜の闇の中を真っ逆さまに落下した。

 ああ。これは。これは死んだな。

 輝く月を眺めながらトルンは数々の記憶を思い出していた。どれもこれも女にまつわるものばかりであった。〈気障男のトルン〉。彼はその呼び名をある種誇らしく思っていた。

 だが彼の記憶の中でもっとも輝いていたのは、あの美しい〈鳥人〉であった。

 ああ。もう一度、もう一度だけ彼女に会えるのなら……。

 トルンは目を閉じる。そして地面を待ち受けた。

 だがその身体は、突然ふわりと優しく宙に浮かび上がった。

 何が起こったのだ。

 驚いて目を見開いたトルンの目の前にあったのは、あの〈鳥人〉の姿だった。彼女は泣いていた。トルンはあの美しい〈鳥人〉に抱きすくめられ、空を飛んでいた。

 トルンはその泣き顔に見とれていた。泣いていてすら美しい。その顔は、一生忘れられそうになかった。

 彼らはしばらくの間夜空を飛んでいた。そしてトルンは、〈街〉のはずれに降ろされた。〈鳥人〉はトルンに口づけをすると、どこかへ飛び去っていった。

 トルンはその姿が見えなくなるまで見つめていた。

 トルンの頬を一筋の涙が流れた。

 彼女には二度と会えないだろう。そんな気がしていた。


「貴様ーッ! 許さんからなーッ!」


 そこに降り立ったのはアレシスであった。

 トルンは必死で〈街〉まで逃げ出した。


    ◆ ◆ ◆


〈街〉に〈鳥人〉のうわさが流れていた。それを〈街〉の酒場である〈赤き角鹿亭〉で聞いた〈明けの鴉〉のトルンは、自慢の口ひげをひくつかせた。

 いわく、〈街〉の東の〈鴉鳴く断崖〉に〈鳥人〉が出没するという。いわく、その問いかけに答えられたものはその背に翼を得られるという。いわく、黒く大きな翼を持つ〈鳥人〉達はこの世のものとは思えぬ美しさであるという。


「どうしたよトルン、落ち込んでるみたいじゃねえか」


 トルンの向かいに座ったグーンが果実酒を飲みながらそう言った。


「なあに、おれだって落ち込むことぐらいあるさ。ちょっと色々あってな」

「色々なあ。そういえば〈鳥人〉のうわさについてなんだが、ちょっと変なことを聞いてな」

「変なことってなんだ」

「いやあなあ? 身体は美しいんだが、顔だけジジイの〈鳥人〉も最近出てくるって話で……」

「ああよしてくれ、よしてくれ、そんな話はよしてくれ。別の話にしてくれ、頼むから……。本当に」


 トルンは両手で顔をおおうと天を仰いだ。

 アレシスさん。本当にすまん。どうか勘弁してくれ。

 トルンは小声でそう呟くと、果実酒を飲み干した。


    ◆ ◆ ◆


 その〈鳥人〉は、他の〈鳥人〉達と一緒に空を飛んでいた。彼女と言っていいのか彼と言っていいのか、とにかくその〈鳥人〉は他の鳥人と違って、顔だけが人間の男の老人のものだった。

 この身体も慣れてみればいいもんだ。特に空を飛べるのはいい。思っていたよりも楽しいものだ。仲間も出来た。言葉は通じないが、最近は何を考えているかはわかる。これもまたいいもんだ。その〈鳥人〉はそう思った。

 その〈鳥人〉は一声鳴くと、速度をぐんぐんと増して空を飛んでいった。他の〈鳥人〉達もそれにならって、空をずっと向こうまで、みんな一緒に飛んでいった。


 その夜の月はとても明るかった。そして、全てを美しい光で照らしていたのだった。

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