トルンと〈鳥人〉(全2話)

第1話

〈街〉に〈鳥人〉のうわさが流れていた。それを〈街〉の酒場である〈赤き角鹿亭〉で聞いた〈明けの鴉〉のトルンは、自慢の口ひげをひくつかせた。

 いわく、〈街〉の東の〈鴉鳴く断崖〉に〈鳥人〉が出没するという。いわく、その問いかけに答えられたものはその背に翼を得られるという。いわく、黒く大きな翼を持つ〈鳥人〉達はこの世のものとは思えぬ美しさであるという。


「まあ出るんだか出ないんだかわかんねえけどよ。とにかく出るらしいんだなあ、これが」


 トルンの飲み相手である〈暮れの大雀〉のグーンは、果実酒の注がれたゴブレットを弄びながらそう言った。彼らは同じ冒険者組合の〈空の大鷲〉に所属していた。彼らの胸には、小さな鷲の勲章が輝いていた。


「まあそうだな。このうわさ、おれが考えるにだ」


 トルンは自分のゴブレットに果実酒を注ぎながら言った。


「鳥人ってのはなんらかの比喩だな。問いかけに答えて得られる翼ってのは財宝か何かのことだろう。考えてもみろ、金に勝る羽根はない! 金があればどこへだって行ける! 世界の果てまでも! ああ素晴らしい! 金だよ金! 乾杯!」


 トルンは酔った舌でそう言うと酒を飲み干した。その酒は強かった。一方それを飲むトルンのほうと言えば、酒にはあまり強くはなかった。


「じゃあ美しい鳥人は何かっていうと、なんなんだよ、ええ?」

「そりゃあ美女さあ。美女に決まってる」

「じゃあ何か? お前、美女が〈断崖〉で財宝抱えて待ってるって言いたいのかよ」

「おおそうともよ」

「じゃあその美女は何を問いかけて来るってんだ」

「そりゃあお前! 美女が問いかけてくることと言えば、『わたくしと一生を添い遂げていただけませんか! 永遠に!』しかないだろう!」

「馬鹿馬鹿しい! お前はやっぱり頭が悪いな!」


 トルンとグーンはそこで大声で笑いあった。〈街〉の夜は、今日も深い酒の色に深まりつつあった。


    ◆ ◆ ◆


「ああ、ビュッケ、ビュッケ、ビュッケさん……死んじまったよ、あの人が! おれはあんだけ世話になったのによお。なんてことだよ、おい」

「飲み過ぎだ、トルン」

「ああ、ああ、ああ、もう、本当に……ビュッケさんよお……」


 ある日以来、酔いつぶれたトルンは決まって、ビュッケという名の老女の死を悼むようになっていた。彼女は名の知れた賞金稼ぎであったが、〈街〉の南東に位置する迷宮、〈終の地下墓場〉での戦いによりつい最近命を落としていた。


「あの人は本当に強くてよお……」

「もうその話はさんざん聞いたぞ」

「まだ少しも恩を返せてねえんだ……」


 グーンはトルンを道に投げ出すと、頭から水を被せた。いつものことである。グーンは別れの言葉を告げると、そのままトルンを置いて家に帰って行った。

 水浸しになったトルンは酔った頭で立ち上がると、そのまま大声で歌を歌いながら歩き出した。それは別れの歌であった。それはいくさの歌であった。トルンの視界は再び涙で歪みだした。

 そして彼は何かにぶつかった。泣いている彼にはそれが何かよくわからなかった。それは言った。


 わたしと一緒に来てくれますか。


 トルンは顔を上げ涙を拭うとそれを見た。

 それは裸の美しい女であった。その肌は白く、そしてその背には黒く大きな翼が生えていた。

 おお、〈鳥人〉だ。

 いまだ酔っ払っているトルンは、へらへらと笑いながらそれを眺めていた。


 わたしと一緒に来てくれますか。


 彼はその呼びかけになんと答えたか覚えていなかった。最後に覚えているのは、柔らかな羽根に包まれる感触だけであった。


    ◆ ◆ ◆


 そしてトルンは岩の牢獄で目覚めた。

 なんだここは。知らない場所だ。どうやら酔っ払っているうちにとんでもないところへ来てしまったようだな。よく覚えていないが何かしでかしたか。グーンがいないぞ。薄情者め。おや。金はある。武器も盗られていない。どうにも善良な守衛に捕まったようだな。それが彼の第一印象だった。

 牢獄の隅にはもう一人の同居人が座っていた。彼は口を開いた。


「お目覚めか。ひどいびきだったぞ」


 彼は老いた冒険者だった。


「ここがどこか気になるなら外を見てみるといい。すぐにわかるだろうさ」


 彼はそう言った。トルンは牢獄についた鉄格子の窓から外を覗いてみた。

 その牢獄は高い崖の上にあった。そして眼下には広大な海が広がっていた。

 そこは〈鴉鳴く断崖〉であった。


    ◆ ◆ ◆


 同居人の名はアレシスと言った。彼は無所属の冒険者のようであった。トルンの見る限り、どこにも所属する組合をあらわす勲章は見当たらなかった。アレシスは笑いながら言った。


「お前さんも〈鳥人〉にたぶらかされたクチだろう? ええ、この助平野郎が」

「いやあ私は、お恥ずかしながら酔っ払ってて、何がどうなってここにいるのか覚えていませんでしてね。〈鳥人〉ですって? ありゃ本当にいるんですか?」

「へっ。じゃなきゃあお前さんもわしもここにゃあおらんよ」

「あなた、見たんですか、〈鳥人〉」

「見たも見たさ。とんでもねえ美人だったとも」


 そして彼は〈鳥人〉との出会いを語った。昨晩、大声で歌を歌いながら歩いていたら、突然目の前に〈鳥人〉が降り立ち、彼に一緒についてくるかどうか聞いたのだという。


「一も二もなくついていくと答えたね。これまでに見たこともない美人だった。それにわしは独り身だ。誰もわしのことを心配する者などおらんからな」


 彼はなぜか自慢げにそう答えた。


「ははあ、まあ、なるほど」

「そしてわしの返事を聞いたらな、あの感触! 羽根に包まれてひとっ飛びよ。空を飛ぶのってのは怖かったが、ま、柔らかい女の身体に抱きすくめられていれば、そんなもの少しも気にならんくなったわい。お前さんは本当に覚えておらんのか?」

「いやなにせ、ひどく酔っ払っていたものでしてね」

「ははは! そりゃあ損したなあ」


 その時、一人の〈鳥人〉が牢獄の前に立つと、鉄格子の隙間から二つ卵を差し入れ、そして去っていった。


「なんじゃあこりゃ」


 アレシスは言った。


「朝飯、ですかね」


 トルンは言った。


「でもなあお前さん、この卵、なんの卵か知れたもんじゃないぞ」

「まあ私の考えているところであれば、十中八九、〈鳥人〉さんの卵でしょうなあ」

「食うのか」

「食いますか」

「わしはまだ腹が減っておらん。お前さん、先に食え」

「わ、私もまだ胃で酒が暴れまわっているものですから……。お先にどうぞ」


 結局二人は、とことんまで腹が減るまでその卵に手をつけなかった。鶏卵に似た味のそれには得も言われぬ濃厚なうまみがあり、二人はあっという間にその味のとりこになってしまった。

 卵は昼にも二つ差し入れられた。二人はすぐさまそれを食べ尽くした。


   ◆ ◆ ◆


 そして夜が来た。トルンは牢獄のベッドに寝転びながら、一人考えていた。とりあえず飯は食える。寝床もそれほど不快ではない。同居人とも気が合わないではない。しかしいつまでもこのままでいるわけにはいかんだろう。だがこの鉄格子は頑丈だ。とても抜け出せそうにはない。一生ここで飼われたままになるのか? いくら〈鳥人〉が美しいとはいえ、それは勘弁願いたい。どこかに逃げ出す機会はないものか……。

 その時、一人の〈鳥人〉が牢獄の前に立つと、鉄格子の扉を開けて中に入ってきた。彼女はこの世のものらしからぬ美しさを湛えていた。彼女の白い肌は差し込む月明かりを反射して、銀色に輝いていた。トルンはそれに目を奪われていた。少しも動けなかった。


 わたしと一緒に来てくれますか。


 彼女は二人にそう言った。

 トルンの身体は固まったままだった。彼の身体の一部分はいますぐに彼女についていけと言っていた。だが彼の脳の一部分はこれは何かがおかしいぞと言っていた。彼の身体を冷や汗が流れ落ちた。

 唾を飲み込んだトルンがこらえきれずに立ち上がらんとしたとき、アレシスが彼よりも先に立ち上がると、〈鳥人〉を見つめて頷いた。〈鳥人〉は彼の手を取った。そして牢獄の外へ連れ立って出ると、通路の奥へと歩き出した。彼らはその晩帰ってこなかった。


    ◆ ◆ ◆


 アレシスが帰ってきたのは翌朝のことだった。トルンは一睡も出来ずにいた。彼はアレシスに、昨晩何があったのかと聞いた。

 アレシスはただにやりと笑うだけだった。

 その晩は〈鳥人〉が来るやいなや、トルンが我先にと立ち上がり〈鳥人〉の手を取ってそれに口づけをした。そして〈鳥人〉と一晩を共にした。

 別名〈気障男トルン〉とまで呼ばれるほどの浮名を流した彼であったが、そんな彼でもこれほどの快楽を得たことはなかった。それは人外の快楽であった。彼はそれに飲み込まれた。彼はその海に溺れ尽くした。彼はそれに抗えなかった。彼はそれを味わい尽くした。彼は喰らい喰らわれた。

 それはとても素晴らしい夜だった。

 翌朝、牢獄に帰ってきたトルンはアレシスと目があった。アレシスは彼のことをきっと睨みつけた。トルンはそれを見ると、ただにやりと笑い返した。

 その夜から、男達の〈鳥人〉との夜をめぐる戦いが始まったのであった。

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