第8話
「師匠、これでもう〈地下墓場〉のエルフは全部倒せたんでしょうか」
「ロギイン、あんたね、馬鹿言っちゃいけないよ」
口を開いたロギインにビュッケは笑いながら答えた。
「もっといるはずさ。もっとだ。まだやつら魔法の感覚がする……なんとなくね。あんたも気を抜くんじゃないよ」
「ビュッケ、ロギイン」
地下空洞の探索を続けていたジャンが壁際から叫んだ。
「ここだ。思い出したぞ。ここから十階に行ける」
◆ ◆ ◆
〈終の地下墓場〉の名の由来はその十階以降の装飾にあった。複雑な紋様の走る石造りの祭儀的なそれには、死んだ海のモチーフが多様に取り入れられていた。眠る人の頭蓋骨から突き出た触手。腐った鯨に群がる骨で出来た魚達。様々な石像が立ち並ぶ低い天井の階段を、一行はゆっくりと下っていった。あの地底湖から離れていくにも関わらず、潮の香りはますます強くなっていった。
そして階段を下りた先には、薄暗く広い灰色の砂浜と、果ての見えない青銅色の海が広がっていた。
砂浜には無数の石棺が並んでいた。
厚く黒い雲の曇り空は果てしなく高かった。
何かが腐った臭いのするぬるい潮風が、海の向こうから吹いてきていた。
「師匠」
「ああ、大丈夫。心配しなくていい。ここはこういうものなんだ。魔法じゃあない」
「ですがこれは」
「触れるべきじゃあないものもあるっていうことなんだよ。これは殺せるもんじゃあない。もう殺されたものの残滓だ。あんたのことだから本で読んで知ってるだろう? 〈見つめるもの〉のことは?」
「〈はじまりの戦い〉の……」
「そうだ。〈神話〉の彼らだよ。彼らはこの海の遠く深いどこかで死んでるらしい。もう死んでるはずの彼らの力でここはこうなってる。アタシはアタシの師匠からそう聞いた。アタシの師匠も、そのまた師匠からそう聞いてる。眠っているものはそのままに。眠らせておいてやるのが一番だ。死体ですらこれだけの力だ、下手に蘇ってもらいでもしたら何が起こるかわからないだろ? 『畏れを持て』。そう教わった」
「ではこの石棺には」
「〈見つめるもの〉と戦った人間が眠っているってさ。彼らが戦ってくれたおかげで今の世界があるんだ。感謝しておきな」
ロギインは心の中でかつての戦士達に感謝を捧げた。そして一行は、ビュッケらがかつてのエルフ狩りの際に使っていたあばら家へと辿り着いた。
◆ ◆ ◆
「触媒は手に入った」
ジャンが言った。
「エルフもいつも通り殺せたな」
ヴィンセントが言った。
「じゃあ後は残りのエルフを探すだけだね」
ビュッケが言った。
「その通り」
タマリが言った。
「でもどこに?」
ロギインが言った。
全員がロギインを見つめた。ロギインはなんとなく気まずくなりうつむいた。
一行はねぐらで火にあたりながら、持ってきていた塩漬け肉を食べていた。一時の休息である。
「エルフ釣りっていう方法があんだよ」
ジャンが言った。
「昔は奴隷を使ってたんだけどよ……おいロギイン、そんな目で見るな。とにかくその奴隷をだ、魔法殺しをかけた縄に繋いで、どこかの洞穴に一人で放り込むわけだな。エルフは孤立した奴をまず狙う。ということでエルフが現れそいつに魔法を仕掛けて殺そうとしたところを、奴隷にまあ、なんとかして魔法殺しの縄をそのエルフにかけさせて、あとは縄を引っ張りゃあエルフが釣れた、ってわけだな」
「ありゃあ悪趣味な方法だったねえ……成功率も低かったし。アタシはあれは嫌いだ」
「手間も掛かるしなあ。却下だ、ジャン」
「ヴィンセント! じゃあお前、なんか名案でもあんのかよ?」
「名案、名案、名案ねえ。無いな!」
「シッ」
タマリがみなを黙らせた。
「何か音がする」
外からは、ずりり、ずりりと、何かを引きずるような音が聞こえてきていた。
◆ ◆ ◆
「あいつら、何てことをしてんだい……」
外に出た一行が見たものは、青銅色の海から何か巨大なものの死体を引き上げているエルフ達の姿であった。その強烈な腐臭のする青白い死体は巨大な人間のようであったが、頭部には巨大な青い瞳が一つあるだけであった。それは死んではいたが、その瞳だけは絶えずギョロギョロと動いていた。それは〈見つめるもの〉の死体であった。
「どこに行くんでしょうか」
「追っていくしかないだろうね。みんな、行くよ」
ビュッケは振り返って言った。そして彼女が見たものは、あばら家の屋根に立つ、鉄鎧を着込んだ長身のエルフの〈騎士〉の姿だった。〈騎士〉は頭部には神秘的なサークレットをつけ、威圧的に彼らを見下ろしていた。〈騎士〉は大剣を構えた。
ビュッケの全身が粟立つ。罠か!
「〈騎士〉だ!」
ビュッケの叫びと同時に〈騎士〉は音もなく屋根から飛び降りると、両手に構えていた禍々しい大剣で振り返りかけていたタマリの右腕を根本から切り落とした。鮮血が飛び散る。タマリは叫びをあげて崩れ落ちた。
「〈騎士〉かよ! 畜生め!」
ジャンは叫ぶと〈騎士〉に幅広剣で切りかかった。だが〈騎士〉はそれを難なくいなす。ヴィンセントも果敢にクロスボウで〈騎士〉の頭部を狙うものの、〈騎士〉の軽やかな動きに一発も当てることが出来ずにいた。
何度めかの打ち合いでジャンの幅広剣が弾き飛ばされた。もう一発クロスボウを射とうとしていたヴィンセントは首を跳ね飛ばされて死んだ。〈騎士〉はさらに踏み込みビュッケとロギインに襲いかからんとする。死ぬか。殺すか。ビュッケは覚悟を決めた。だがそこに折れた腕で挑みかかったのはタマリであった。タマリは背後から左腕を〈騎士〉の首に巻きつけると、その首筋に猛烈な勢いでかじりついた。
〈騎士〉は吠えた。身体をよじった。大剣で何度も背中のタマリを突き刺した。だがタマリは離れなかった。
「タマリ」
ビュッケはタマリを見つめて言った。タマリもまた、〈騎士〉越しにビュッケを見つめていた。だがその視線は吹き出す〈騎士〉の赤い血で遮られた。
そしてタマリは〈騎士〉の首筋を噛みちぎった。〈騎士〉は一声短く叫ぶとその場にうつぶせに倒れた。そして死んだ。タマリもまた、同じく血を失って死んでいた。
◆ ◆ ◆
ビュッケ、ジャン、そしてロギインは、〈見つめるもの〉の死体とエルフ達を追って砂浜から続く石造りの階段を降り始めた。その表情はみな暗かった。ジャンは魔法の短剣を弄んでいた。その切っ先からは変わらず暗く青い炎が立ち上っていた。
「あいつの形見になっちまったなあ」
「そんなもん、どこで見つけたんだい」
「ちょっとした小部屋でな。魔法で道が歪まされてたおかげで見つけられたんだろう。運が良かった。あんたはなんか貰ってきたのかい」
「これで十分さ」
ビュッケは腰の革袋を軽く叩いた。そこにはタマリの血が少しだけ詰まっていた。
「ああ、そりゃ十分だな。そりゃ十分だとも」
ジャンはそう言った。彼の腰にも、ヴィンセントの血が詰まった革袋が下げられていた。
◆ ◆ ◆
〈見つめるもの〉は〈はじまりの戦い〉に参加し、人々と争った種族のうちの一つである。その瞳は全てを見通すと言われていたが、その力を借りて見たものはどこか歪んでいるとも伝わっていた。〈見つめるもの〉の〈神話〉の正の意味は叡智、逆の意味は虚構であった。
エルフ達を追って来た一行の前に待っていたのは、巨大な石で作られた大扉と、その前に立つ〈エルフの従者〉たち、すなわち〈右耳と左耳〉であった。ジャンが言う。
「おう〈左耳〉、おれたちが切ってやった手足はどうしたい。なんで生えてんだ」
「ほほほ、ほほほほほ。それを言うならあのヴィンセントというお人はどうしました。なぜここにいないのです」
ジャンは無言で幅広剣を抜いた。
「お待ちなさい。私たちはあなたがたと争うためにここに居るのではありません。あなたがたに叡智を見せてさしあげようとしているのですよ」
「その通りです。あなたがたも見ればきっとわかることでしょう。素晴らしいことです」
ジャンは〈左耳〉も〈右耳〉も二人とも切り捨てた。
愚かなことです。
そして虚空から声が聞こえた。
ですが無理も無いのかもしれません。この者たちはまだ見ていないのですから。
その通りです。一刻も早く見せてさしあげましょう。
そして大扉が開いた。そこは高い天井を持つ巨大な聖堂だった。そこには狂宴が広がっていた。
壁際には立ち並ぶ〈騎士〉たちと数々の歪んだエルフの石像。奥の祭壇には輪になって飾られた今は滅びた花。そして無数の目隠しをしたエルフ達が床に座り、吊り下げられた数々の〈見つめるもの〉の死体に向けてそこで祈っていた。今あらたな〈見つめるもの〉の死体が吊り下げられた。エルフ達から歓声があがった。そして彼らは聖句を唱えた。
「『そして神は人を殺した』」
彼らは繰り返し聖句を唱えた。
「『そして神は人を殺した』」
彼らは繰り返し聖句を唱えた。
「『そして神は人を殺した』」
今しがた吊り下げられたばかりの〈見つめるもの〉の死体は、それを聞くと微笑むように目を細めた。何人かのエルフが破裂して死んだ。血しぶきを浴びたエルフ達からは歓声があがった。
これは無理だ。あまりにも。違いすぎる。
ビュッケは踵を返すと走り出そうとした。その腹を〈騎士〉の大剣が貫いた。隣を見るとジャンの首が〈騎士〉の大槌で潰されていた。彼らの前には十数人の〈騎士〉達が立ち並んでいた。
ロギインが叫んでいる。引っ張られる感覚がした。そしてそこでビュッケの意識は途切れた。
◆ ◆ ◆
どれほど走っただろう。どこまで走っただろう。ロギインはひたすら砂浜を駆けていた。どこまでも走っていた。左肩にかついだ師匠の身体はあまりにも軽かった。右腕で髪をかき上げようとする。だがそれは肘の先から断ち切られていた。ロギインは喉が枯れるまで叫んだ。これでは。剣が持てない。師匠から教わった剣が持てなくなってしまった。なんということだ。なんという弟子だ。
血を失いすぎたロギインは膝をついた。
見えましたか。
虚空から〈左耳〉の声が聞こえた。
見えたでしょう。
虚空から〈右耳〉の声が聞こえた。
あなたも来なさい。
あなたも来るといい。
あなたも来るべきなのです。
抗うことなど無意味なのですから。
エルフ達に従いなさい。
エルフ達に従うのです。
さあ。
さあ。
さあ。
さあ。
そこでロギインは自らの耳を潰した。〈従者〉達の声は途絶えた。彼は真空の中で考えた。今自分に出来ることは何か。今の死につつある自分に出来ること。この環境で。今の自分に。彼は自らの記憶を手繰った。読んだ書籍。聞いた噂。かつての研究。全ての記憶を漁った。
そして一つの解決策が思いついた。だがそれは禁忌であろう。〈神話〉の冒涜たる魔法に頼ることだったのだ。
ロギインはビュッケの身体を石棺に立てかけて座らせた。それは冷たくなっていた。ロギインは涙を流して師匠に許しを請うた。師匠。申し訳ありません。ですがこの方法しかありませんでした。今少しだけ生き延びるには。そしてあなたの仇を討つには。これしか思いつきませんでした。あなたの嫌いな魔法しかありませんでした。申し訳ありません。申し訳ありません。申し訳ありません。馬鹿な弟子をお許し下さい。
その時、ビュッケの死体が風に揺れ、頭を下げるロギインの髪を少し撫でた。ロギインははっと顔を上げる。ビュッケの死に顔は安らかに微笑んでいるように見えた。そしてロギインは確かに聞いた。
かまわないよ。
あたしはかまわないよ。
はやくおやり。
でないとお前、死んじまうよ。
それは幻聴であっただろうか。死に際した者の妄想であっただろうか。だがしかしロギインは聞いたのだ。確かに聞いたのだ。師匠のその言葉を。
ロギインは心の中でもう一度ビュッケに謝った。
そしてロギインは言った。
「『そして人は神を食った』」
その忌まわしき聖句は、風に乗って海へ散っていった。
◆ ◆ ◆
人の魂はその人のもっとも優れた部位に宿るという。ロギインはビュッケの利き腕である右腕の肘から先を死体から切り取り自らの右肘につぎ当てると、聖句を唱えそこに自らの血とビュッケの血を振りまいた。激痛が走る。肉の焼ける臭いがする。ロギインは声なき声を叫んだ。
肉を繋げたあとは魂の癒着が必要となる。ロギインは、ビュッケの血を死体から啜った。それはひどい味がした。何度も吐き戻しながら、ロギインはそれを飲みきった。
右腕が動いた。ビュッケの経験とその繊細な技術が、その身体に染み渡っていくような感覚がした。接合面から、魔法の暗く青い炎が立ち上った。
ロギインは歩き出した。その全身には異様な活力が満ちていた。魔法殺しの刺剣をその老いた右手に握る。そこからは激痛がした。当然である。今やロギインは魔法により生かされているのだから。今やロギインは魔法そのものなのだから。この状態で魔法殺しの業を使えばどうなるか。自らの魔法殺しにより遅からずその身体は滅ぼされ、そして死ぬことになるだろう。
だがその程度。承知の上だ。もとより死んでいたはずの命。右手の痛みは復讐心を燃え上がらせた。彼は再び涙を流した。そして彼は高らかに叫んだ。
「『そして人は神を殺した』! 『そして人は神を殺した』! 『そして人は神を殺した』!」
今のロギインの呼び声はもはや魔法そのものである。それは死したる〈神話〉をも呼び動かす。石棺の蓋が次々と動き出した。呼び声に応え、〈はじまりの戦い〉のかつての戦士達の死体が動き出したのだ。
それを見たロギインは右腕を誇らしく振り上げた。そして雄叫びを上げた。
戦士達もそれにならい、雄叫びを上げた。
そして彼は〈死の戦士達〉を引き連れ、エルフ達の聖堂へと殴り込んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます