第7話

 クロンコは考えていた。

 ロールスは案内人だったから魔法殺しの触媒に選ばれた。案内人だったから殺された。では同じ案内人の自分はどうなる。やはり殺されるのでは。迷宮に殺される前に、こいつらに殺されてしまうのでは。

 生きねば。逃げよう。こいつらから逃げるんだ。おれは名誉ある案内人だ。魔法がなんだ。ひとりでもこの〈地下墓場〉から脱出できるはずだ。同職殺しのこいつらのことなど知ったことか。人殺しどもめ。

 このような思考が彼の頭を支配していたのもやむを得ないことではあった。だがそれ故に、彼はひとりで死ぬことになった。


    ◆ ◆ ◆


 一行は手分けをして、青白い地下空洞の周囲に多数ある洞窟をくまなく探索していた。そしてその際に、クロンコは上り坂につながっているある出口を見つけた。『上なるは救いである』。案内人がまずその修業の初期段階で学ぶ第一原則である。クロンコはその出口が少しでも地表に近いものだと信じた。そして誰にも告げずに、ひとりでその出口に入っていった。

 ゆるやかな坂であった。焦るクロンコはそこを早足で進んでいた。おれが離れたのに奴らが気づくのはいつか。今か。今か。もう既に刃を手に追ってきているのでは。急がねばならない。道をすすむごとに地底湖の香りと青白い苔は退いていき、乾いた土の臭いと、灰色の岩肌があたりをだんだんと支配していった。

 突き当りの角を左に曲がり、クロンコはその先の二股の別れ道を、悩んだ結果右に進んだ。右はクロンコの幸運の方角であった。迷ったときには右だ。いつでもこれでうまくいっていた。

 クロンコは〈鴉鳴く断崖〉での、かつての自分の冒険を思い出していた。〈断崖〉。あそこは好きだ。短い草の茂る崖の上に立ち、広く海を見渡す。クロンコはそれが大好きだった。〈断崖〉のことなら隅々までわかっているとクロンコは自負していた。彼の案内人としての初仕事もそこだった。彼がこれまでに一番稼いだのもそこだった。ここから抜け出たらまた〈断崖〉に行こう。そして思いっきり澄んだ空気を吸おう。この〈墓場〉にはうんざりだ。よどんだ空気。滅入る雰囲気。反吐が出る。行くなら〈断崖〉がいい。あそこが一番だ。彼はそう思っていた。そして彼は角を曲がった。

 そして彼は〈断崖〉の端に立っていた。

 そして彼はそこから一歩前に踏み出した。

 そして彼は我が家の玄関に立っていた。

 そして彼はそこから一歩前に踏み出した。

 そして彼は〈墓場〉の最下層に立っていた。

 そして彼はそこから一歩前に踏み出した。

 そして彼は再びあの上り坂にいた。クロンコはその先の三股の別れ道を、悩んだ結果一番右に取った。右はクロンコの幸運の方角であった。迷ったときには右だ。いつでもこれでうまくいっていた。

 奴らはもう間違いなく気づいているだろう。クロンコはそう考えた。だがこの道が正解のはずだ。『上なるは救い』。『上なるは救い』。救いこそがこの先にあるはずなのだ。そして彼は角を曲がった。

 そして彼は母の葬儀に立っていた。かつてのように雨が降っていた。そして彼は一歩前に踏み出した。

 そして彼は幸せに老いた自分が映る我が家の鏡の前に立っていた。これが自分のあるべき未来だと思った。そして彼は一歩前に踏み出した。

 そして彼は父と母の出会いの時を見た。繰り返し両親から教わっていたものと寸分の違いも無かった。そして彼は一歩前に踏み出した。

 そして彼は再びあの上り坂にいた。クロンコはその先の百の別れ道を、悩んだ結果一番右に取った。右はクロンコの幸運の方角であった。迷ったときには右だ。いつでもこれでうまくいっていた。 

 そして彼は暗黒の中で百に裂かれる自分の姿を見た。その拷問は永遠に続いた。永遠がようやく終わったので、彼は一歩踏み出した。

 そして彼は無限に引き伸ばされる世界を見た。何もかもがこのように終わるのだと気づいた。世界が終わってしまったので、彼は一歩踏み出した。

 そして彼は蟻を踏み潰した。踏み潰されたのが自分だったとわかったので、彼は一歩前に踏み出した。

 そして彼は再びあの上り坂にいた。クロンコはその先の無限の数の別れ道を、悩んだ結果一番右に取った。右はクロンコの幸運の方角であった。迷ったときには右だ。いつでもこれでうまくいっていた。そして彼は角を曲がった。

 そして彼は再びあの上り坂にいた。

 上り坂は終わってくれなかった。

 そして彼は一歩前に踏み出した。

 上り坂は終わってくれなかった。

 そして彼は一歩前に踏み出した。

 上り坂は終わってくれなかった。

 そして彼は一歩前に踏み出した。

 上り坂は終わってくれなかった。

 彼はもはや歩けなかった。

 だが上り坂は終わってくれなかった。

 まだ上り坂は終わってくれなかった。

 そして彼は人の気配に振り向いた。そこにはエルフが立っていた。若草色の髪と青ざめた肌、釣り上がった白目の無い目に細い鼻と顎を持つエルフは、クロンコに向けてか細い声で言った。


「『そして神は人を殺した』」


 クロンコはそれを繰り返して言った。


「『そして神は人を殺した』」


 エルフはそれを聞いて頷いた。そしてその手に持っていた短剣で、クロンコを滅多刺しにして殺した。


    ◆ ◆ ◆


「悲鳴だ」


 クロンコの叫びに気づいたのはビュッケであった。その声の元へ向かった彼女は顔色を変えた。クロンコの死体は上り坂に入ってすぐの場所で見つかった。それは血を抜かれていた。エルフの殺しだ。すぐさまビュッケは他の者の元へ戻って言った。


「エルフだ。来るよ」

「さっきのはあのなんとかっていう案内人だったか」


 ジャンが言った。


「ああ」

「惜しいな。血は」

「抜かれてた」

「だろうな。エルフ共、相変わらずきっちりしてやがる。しかしなんだってあの案内人、一人で入って行ったんだ」

「さあね。まあアタシらに殺されるとでも思ったんだろ……。直に奴らが来る。やるよ。『そして人は神を殺した』」

「『そして人は神を殺した』」

「『そして人は神を殺した』」


 ヴィンセントも同様に復唱した。そして彼らは、ロールスの血が詰まった革袋を取り出すと、それぞれの得物にその血を振りまいた。血は肉の焦げるような音を立て、得物に赤い染みとなって焼け付いた。鉄のような臭いがあたりに漂った。


「ほらタマリ。ロギイン。あんたらも言うんだよ」

「『そして人は神を殺した』」

「そ……『そして人は神を殺した』」


 それはある〈神話〉の結末であった。それはある聖句であった。人の血により顕現するその魔法殺しの魔法は、一切の〈神話〉を殺した〈神話〉であった。

 ロギインに地中から沸いた血の色の〈泥〉が襲いかかる。ビュッケはそれを、血を振りまいた刺剣で打ち払った。〈泥〉は力を失い雲散霧消した。


「ほれ。あんたも剣に血をまきな」


 ビュッケはロギインに血の詰まった革袋を投げ渡した。ロギインはビュッケたちと同じようにした。ロギインの刺剣は赤く染まった。タマリは拳にはめた鉄の輪に血を振りまいた。

 ロギインは唾を飲み込むと言った。


「エルフが来るんですか」


 ビュッケはそれに答えた。


「ああ。来るともさ。エルフが来るんだよ」


 そしてジャンが幅広剣を構えて言った。


「さあ準備完了だ! どっからでもかかってきやがれエルフ共!」


 その時地底湖につながる全ての洞窟からエルフが次々と這い出してきた。エルフの数は数十体にも及んでいた。

 それを見たヴィンセントが言った。


「ああ、こりゃあ参ったな」


 そして戦闘が始まった。


    ◆ ◆ ◆


 高揚! 高揚である! エルフの赤い返り血に塗れたロギインは刺剣で十五体目のエルフを貫き殺しながら確かに高揚を感じていた。顔や腕など何箇所かに傷を負ってはいた。どれかの肋もおそらく折れていた。だが興奮のせいで全く苦にはならなかった。これが本当の魔法か。これが本当の魔法殺しか。ロギインのこれまでの研究は、この実践により今こそ成ったのであった。


「『そして蛇は人を食った』」


 別のエルフが言うと、これで何度目かの血の色の〈泥〉が襲いかかる。ロギインはその〈泥〉を魔法殺しの刺剣に載せ身体を捻ると、〈泥〉を放ったエルフへ逆にそれを〈魔法殺しの泥〉として叩き返し、エルフを潰し殺した。これを見たジャンが(彼も同様に血塗れだった)驚きの声を上げた。


「おいおいお前! やるじゃないか。なかなかの腕前だ」

「あ、ありがとうございます」

「どうやってこの技を知った」

「向こうで師匠がやっていたので、出来ないものかと」


 離れたところで三体のエルフを相手取るビュッケの周りには、無数のエルフの死体で血溜まりが出来ていた。


「末恐ろしいな。まああの女の弟子なだけはある。おれも負けちゃあいられんぞ」


 そこに慌てた様子のヴィンセントが飛び込んできた。


「手伝え! 手伝え! ありゃあ二人じゃ無理だ」


 それを聞いたジャンはしかめ面で答えた。


「何い? お前何言ってんだ」

「見りゃわかるって! 〈蜘蛛〉が出たんだよ! 見ろ!」


 ヴィンセントの指差す方向には六本の腕を生やした筋肉質のエルフが立っており、それはタマリと格闘戦を繰り広げていた。タマリは押されつつあった。


「あれが〈蜘蛛〉!」


 ロギインは感嘆の声を上げた。かつて読んだ書籍に載っていた、エルフの作り上げた怪物であった。


「ああなるほど、〈蜘蛛〉はまずい、〈蜘蛛〉はまずいな。よし行こう。坊主! この場はお前に任せていいな」


 ジャンはロギインに言った。ロギインは喜んで、と答えた。


    ◆ ◆ ◆


 タマリは〈蜘蛛〉に殴られながら考えていた。六本の腕を持つというのはどんな気持ちなんだろうと。〈蜘蛛〉は強かった。彼がこれまでに戦った生物の中で一番の強さだった。

 タマリはかつて熊と拳で戦った。獅子とも拳で戦った。その腕は彼の自慢だった。今彼はその腕でエルフと戦っていた。

 エルフ。タマリはニヤリと笑った。ビュッケと出会うまでは、エルフなんてのはおとぎ話の生き物だと思ってたんだがなあ。この世は面白い。本当に。タマリはチラリとビュッケの方を見る。そしてしっかりと構えを直すと、再び闘志を燃やした。そして〈蜘蛛〉の拳にあわせ、右の拳をまっすぐと繰り出した。〈蜘蛛〉のその拳は破壊された。残りはあと五本。おれの身体がくたばるか、それとも奴が先に死ぬか。それだけのことだ。彼の左腕は既に折れていた。だがタマリはいまだ諦めるつもりはなかった。


    ◆ ◆ ◆


 そしてヴィンセントはジャンの作った一瞬の隙をついて、〈蜘蛛〉の右目を撃ち抜いた。ああ。〈粉〉が欲しい。ヴィンセントの頭には常に〈粉〉のことしかなかった。彼にはそれで十分だった。浮世のことなど煩わしい。〈粉〉。〈粉〉。〈粉〉が全てだ。だが戦うのもいいものだ。特に相手が近寄れない距離から一方的に攻撃出来るのは。だからヴィンセントはクロスボウが好きだった。

 ふとビュッケの方を見ると、彼女の死角と思わしき位置からエルフが〈泥〉を叩きつけようとしているのを見つけた。ヴィンセントはその頭を撃ち抜いた。


「余計なことをするんじゃないよ!」


 ビュッケの罵声が聞こえた。ヴィンセントは苦笑いを浮かべた。


    ◆ ◆ ◆


 ジャンは〈蜘蛛〉の五本目の腕を幅広剣で切り飛ばした。〈蜘蛛〉。懐かしい。何もかもが懐かしい。結局はおれはこうせずにはいられないんだろう。戦わずにはいられないんだろう。ジャンはかつてのエルフ狩りのことを思っていた。

〈蜘蛛〉の最後の腕、そしてその顔面にタマリの右拳が続けて入った。頭を砕かれた〈蜘蛛〉は仰向けに倒れ動かなくなった。

 それを見たジャンは手近のエルフに斬りかかりながら叫んだ。


「もう少しだお前ら! この場のエルフは全部殺し切るぞ!」


 今のジャンには怖いものは無かった。


    ◆ ◆ ◆


 ビュッケはロギインの方を見ると微笑む。よく戦えていた。あいつはもう十分だろう。これこそが教えだ。アタシもこう教わった。弟子が巣立つってのはいいものだ。彼女は刺剣を最後のエルフに突き刺しながらそう思った。

 彼女の周りにはエルフの死体で堰が出来ていた。ビュッケは顔から返り血を拭うと、高らかに戦闘の終了を宣言した。

 青白い苔の生える地下空洞は、エルフの流した血で染まっていた。

 

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