第4話
姿勢を立て直したロギインは、左手に奇妙な形の短剣を、右手に刺剣を構えると、いまだ尻もちをついたままの男に向かって言った。
「何者だ!」
「あ、あ、案内人のロールスだ……お、お前こそ何者なんだよ!」
ロギインは少し考えると言った。
「冒険者のロギインだ。お前、ここで何をしているんだ」
「言うよ、言うから武器をしまってくれ。誰かまともな奴に会いたくてもうずっとここをさまよってたんだ。一体この迷宮はどうなっちまってんだよ、畜生……気がおかしくなりそうだぜ」
「案内人がなぜ一人でいる。他の冒険者はどうした」
「はぐれちまったんだよ! 追手から逃げてるんだかなんだか知らねえが、ちょっと道を知ってるからってどんどんどんどん突っ走っていきやがってあの野郎達。角を曲がったらもうどこにもいやがらねえ。あのジャンとヴィンセントって奴ら、無事にここから帰れたら絶対に上に報告してやるからな」
「ジャンとヴィンセントだって?」
「ああ、まあ……」
「なんでそんなお尋ね者の案内人にわざわざなったんだ」
「ああ、そりゃあなあお前、ハハッ、要るもんが要るんだよこっちにも。払いが良かったんだ」
「自業自得だな」
「そりゃあねえだろう!」
武器をしまい、歩き始めたロギインにロールスは追いすがった。
「なあお前、おれは案内人だぜ、きっとお前の役に立つ」
「戦えるのか」
「おいおい頼むぜ、おれは案内人だぜ、そんなことは出来ねえよ」
「じゃあ足手まといだ。悪いがお前の分まで面倒を見きれない」
「そう言うなよ! 一人より二人! そう言うだろ! なあ! なあ! そら上だ!」
ロギインはその声に反応し、思わず上を見た。そして息を飲んだ。すぐ先に、やせ細った長身の男が低い天井に足をつけ直剣を構えて立っていたのだ。まるで不条理絵画のごとく、世界がその男の周囲だけ上下さかさまになってしまったかのような光景だった。ロギインと男の目線がかち合う。男は低いうめき声を上げるとこちらへまっすぐと向かってきた。
「その驚き様を見ると、お前まだこの迷宮のなんたるかをわかってねえみたいだな、ハハッ、ハハッ、ハハハハハッ! 来るぞ、来るぞ、そら来るぞ!」
「黙れ! 下がってろ!」
男はロギインに向け鋭い突きを繰り出した。だがロギインはすんでのところでそれをかわし、そして左手に持った短剣でその直剣を絡め取った。奇妙なかたちをしたこの短剣は、相手を突くためのものではなく、対峙した相手の武器を受け流すためのものであった。ロギインは絡め取った直剣に横から蹴りを入れて相手の体勢を崩すと、そのまま男の顔面に数発拳を入れた。気を失った男はその場に、その天井に……そのまま崩れ上がった。なんとも奇妙な光景であった。
「お、お前、やるじゃあないか、ええ? 見事なもんだ」
「もともと死にかけていたような相手だった、なんともない……それよりも」
「なんだい」
振り返ったロギインは青い顔をしていた。そしてロールスに言った。
「ロールス。お前がこれまでにどんなものに遭遇したか、それを知りたい。それを話してくれ」
「いいともいいとも! お話しながら行くとしようぜ、相棒」
◆ ◆ ◆
ロギインとロールスは、道なりにあてどなく迷宮を進んでいた。
道中ロールスの語ったものは多種多様に渡った。曰く、壁を這う老人、虚空に向かって拝む女達、奇妙に蠢く巨大な宝石、そして下から上へ流れ登る、足を絡め取る血の混じった泥の水……。戦う技能のないロールスだったが、その全てからなんとか逃れてここまで来たのだと言う。
ロールスの体験は二人の旅に事実役立っており、彼らはいくつかの危険をその機転により避けることが出来ていた。
「案内人と言ってももうその力はここじゃ大して力にならねえ。なんたって道が歩くはしから変わっちまうんだからな。案内も糞もあったもんじゃねえ。ただお前よりは少しだけ長くここにいるし、色々なものも見てきた。その分役には立ってるはずだぜ」
「ああ、助かってるよ」
「わかってる、わかってるよ、おれだってさっさとこんなところから出たいしお前もそうなんだろう。だがこの迷宮、本当にどうしようもねえんだ。何か見当がつけばいいんだが」
迷宮は相変わらず奇怪な変化を続けており、ロールスの案内人の瞳はやはり役に立たなくなっているようだった。二人は徐々に時間と方向の感覚を失い始めているような、そんな気がしてきていた。
二人はこれで何個目かになるドアを開けた。そこが迷宮の出口に一歩でも近いことを願いながら。
だがその部屋の中には、手足と右耳のない老人を引きずりながら歩いている、血まみれのジャンとヴィンセントの姿があった。その老人の瞳は青白く光っていた。
◆ ◆ ◆
あん? ロールスと……誰だこのガキは。
魔法殺しの肝は根比べである。繰り返し繰り返し襲い掛かってくる〈左耳〉をとうとう討ち果たしたジャンとヴィンセントは、その手足を切り落とすと胴体にロープを巻きつけ、そしてそれを引きずりながら、迷宮の中を進んでいた。〈左耳〉が何か情報を漏らさないかと期待してのことであった。だが〈左耳〉は一向にその舌を休めることなく自らの崇高な経験についてのみ支離滅裂なことを喋り続けており、ジャンはそろそろ〈左耳〉の舌を切り落としてしまおうかと考えていた矢先のこの遭遇であった。
「ロールス! お前! どこにいやがった」
「どこにいやがったも何も! あんたがたが勝手に突っ走っていったんでしょう! そ、それよりその血はなんなんですか……!」
「こりゃ全部返り血だよ! この爺のな! ロールスお前本当に許さねえからな」
ヴィンセントとロールスが言い合いを始める。それを横目に、ジャンはロールスの隣に立っている男に目線を向けた。男は目を逸らした。気に入らねえ。ジャンは口を開いた。
「ロールスよお」
「は、はい」
「お前のことはもういいんだよ。なんとも思っちゃいねえ。無事こうやってまた会えたんだからな。それでチャラだ。また案内人してくれるんだよな? そうだよな? なあ、それよりもそこのガキだよ。一体全体どこのどいつなんだ? なんで一緒にいるんだ。おれたちに紹介しちゃあくれねえか」
「こいつは」
「私はロギインだ。職業は冒険者。仲間とはぐれ、道に迷いそしてこの人と偶然会った。それだけだ。一人旅は心細い。もしよろしければ、ご同行させていただければ助かるのだが」
ロギインは考えていた。ジャン。そしてヴィンセント。今回の目標だ。どうするべきか。一対二。不利だ。ならばここから逃げ出すか。いや。その判断には遅すぎた。では立ち向かって一人で戦うか。いや。それはならない。思い出せ。師匠の教えた鉄則を守るんだ。
ビュッケが以前ロギインに教えた鉄則とはすなわち、相手に手を出していいのは数で負けていない時、それか自分が勝ち残ることが間違いなくわかっている時だけだということ、そして嘘を使える時には、それを巧みに操るべきであるということである。この状況で正体を明かし、正々堂々と無謀な戦いを挑むほど彼は愚かではなかった。
ロギインの言葉に答えてジャンが言った。
「冒険者さんねえ。どこの所属だい」
「〈空の大鷲〉」
「〈大鷲〉か! 名門だ。位は」
「〈蒼き小鳥〉」
「まあその程度だろうな。師匠は」
「〈明けの鴉〉のトルン」
「奴か。気障野郎め。あいつは気に入らねえ。だが腕は確かだ、そうだろ。ああ、〈空の大鷲〉といやあ、あそこの親分の嫁さんのシュイッケとおれは仲が良くてなあ。元気にしてるか? また酒飲みすぎてんじゃないのかあの女、ええ?」
「うちの頭領の奥方は」
ロギインの心臓は高鳴った。彼は一息吸うと言った。
「名をバクイと言う。人違いでは」
「おお! おお! おお! これはうっかり。間違えちまった。ハッハッハ。いやあ最近物覚えが悪くてな。そうだ。バクイだ。シュイッケはおれの昔の女だったよ。ハッハッハ。実はな、バクイにはちょっとした貸しがある。地上に戻ったらジャンがそう言ってたと伝えてくれ。ハッハッハッハッハ。ふう。笑っちまった笑っちまった。ふううう。ところでよお」
ジャンは幅広剣を抜くとロギインの首筋にあてた。
「お前さん、ビュッケの弟子だろ」
その声を聞いたヴィンセントがロギインの方を向く。
「何い? ビュッケの弟子だと?」
「ちらっとだが、〈街〉で二人一緒に居たことを見かけたことがあってな。そうだろ。当たりだ。おお、お前。その顔つき。それでもうばれてるぞ」
ロギインは得物に手を伸ばそうとした。だが幅広剣が皮膚に食い込んだ。
「おっと動くな。下手は真似はさせんぞ。お前が来ているってことはビュッケもどこかにいるってことだな? あの女が弟子を一人で行かせるわけはない。甘い奴だからな。さあてこれはこれは……どう使うかね」
ヴィンセントが〈左耳〉に足を載せると言った。
「おう。手足切っとくかい」
「馬鹿野郎。そんなことしたら、あの女にあった時何されるかわかんねえぞ。まあそうだな。とりあえず縛り上げておくとするか。そうすりゃ人質には出来んだろ」
師匠。ああ師匠。申し訳ありません。あなたの足手まといになるならば。ロギインは覚悟を決めた。少なくとも。少なくともどちらかに手傷は追わせられるはずだ。それがいつか師匠の役に立つだろう。素早く。一瞬の勝負だ。集中しろ。集中するんだ。これが最後の戦いだ。それにしても、死とはこんなにも早く、こんなにもあっけなく訪れるものだったとは。だがしかし。決めてみせる。ここで。最期の一撃を。
ロギインの右手が刺剣を抜こうとしていたまさにその時、ロギイン達が入ってきたものと同じドアから飛び込んできたのは、満身創痍の〈右耳〉と、それを追うビュッケの姿であった。
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