第2話
いかにして迷宮潜りで冒険者は利益を得るのか。賞金稼ぎなどの特殊な例を除けば、それは迷宮からの様々な財宝の略奪が主な方法である。財宝の定義は潜る先によって異なる。それは〈黒鉄の牢獄〉であれば貴鉱石及びそれで鍛えられた黒い武具類であり、〈鴉鳴く断崖〉であれば大鴉の卵や羽根、またその身や骨であり、南東の〈終の地下墓場〉であればそこに供えられた古き宝飾類や、墓地を飾る壮麗な装飾そのものが財宝であった。
今ビュッケら一行は、クロンコを先頭にして〈終の地下墓場〉のエントランスを進んでいた。その装飾は高い天井に至るまで全て剥ぎ取られており、寒々しい石の壁がむき出しになっていた。壁際に並ぶ背の高い燭台に立てられたろうそくがぼんやりとあたりを照らしていた。
「ビュッケ様には言うまでもないことでしょうが」
クロンコは言った。
「私はあくまで案内人です。他のグループとの間にいさかいが発生した際それに関わることは出来ませんので、あらかじめご了承ください」
「はいよ。ロギイン。何してんだい」
「いやちょっとですね……この跡がですね、昔読んだ本に出ていたエルフ文字のように読めたもので」
「そうかいそうかい。そりゃあよかった。それでそれは金になるのかね」
「ど、どうでしょうね」
「いいかい、アンタねえ。気を引き締めなよ」
ビュッケはしかめ面を作った。
「迷宮に入れば何が起きても自己責任。罠に引っかかって死ぬだけじゃない、野生化した獣や、よからぬことを考えている輩だって潜んでいるかもしれないんだ。アンタ、腕だけは良いんだ。問題は頭なんだよ。気の問題だ。言ってることわかるかい。エルフ趣味もいいけど、ビシッとすんだよ、ビシッと。ほれ、さっさと行くよ」
「は、はい」
一行は地下一階に向け歩き出した。
◆ ◆ ◆
案内人の瞳は一度見たものを忘れず、また遠く離れた砂粒すら見分けることが出来ると言われている。彼らはかつて迷宮で暮らしていたある種の人々の血を引いていると噂されており、その瞳の力は案内人の親から子へ、代々受け継がれることのみにより伝わっていた。訓練などでは得ることの出来ない生来の力であった。その能力から、案内人は迷宮探索に欠かすことの出来ない貴重な職業として扱われていた。
速やかに。迅速に。あれだけの騒ぎになっていれば、他にもジャンとヴィンセントを追う者はいるだろう。誰かに先を越される前に、一行は彼らのもとに一刻も早く辿り着く必要があった。
「いいですか。この辺りにはこのように」
一行を先導していたクロンコは足を止めると、少し先の床を長い鉄の棒で小突いた。すると突いた辺りの床が突然スライドし開いた。その先には暗闇が広がっていた。
「落とし穴が多くあります。確かにこの罠を使えばより早く下の階に降りられるため少しの短縮にはなりますが、そのついでにどこかの骨も折ることになるでしょう。私の歩いた跡をよく見て、引っかからないようにして進んでください」
「師匠」
ロギインが言った。
「なんだいロギイン」
「となるとですよ、あの先に見える床は」
「その通りですロギインさん。埃が積もっていませんね。誰かが落とし穴の罠を作動させた証拠です。彼もしくは彼女もしくは彼らがあれに引っかかったかどうかはわかりませんが、今この迷宮には私たち以外の何者かがいるはずだということの証拠だというわけです」
「そしてそれがジャンとヴィンセント以外の可能性もあるってわけだ」
「その通りです」
「よく気づいたねえロギイン。褒めてやろうか」
「えっ」
「冗談だよ」
「褒めてくださいよ!」
「そうだねえ」
ビュッケはクロンコを追い抜かし、床の上を飛ぶようにして軽やかに歩いて行った。無論、道中にあった全ての落とし穴の罠を作動させることはなかった。
「これが真似できたら褒めてやるよ」
ロギインは、この人に褒められるにはあと何十年いるんだろうか、と思った。
「ビュッケ!」
不意にタマリが叫ぶ。
「ああ、わかってる! そっちは頼んだよ」
それに答えてビュッケが言った。いつの間にかその手には細く長い刺剣が握られていた。気づいたロギインは振り向く。
そこには両手で斧を構えた大男が立っていた。得物がタマリめがけ振り下ろされる。ロギインが叫んだ。
「危ない!」
「危なくないよ。危なくない。大丈夫」
タマリは静かに言った。その右手は大男の両手首を、その左手は大男の喉元をがっちりと掴んでいた。そのたくましい両腕には血管が浮いていた。
「さて君。どうする。このまま蹴りで君の股間を破壊してもいいんだが」
「う、う、あああ」
「君、どうした。大丈夫かい」
「うおおああああ、あああ」
タマリは気づいた。この男、様子がおかしい。飢えた目。痩せこけた頬。そしてひどい体臭。一体何十日潜ったままでいるんだ。なぜ地上へ引き返さない。そんな判断力も失っているほど飢えているのか。何があった。何をしている。いずれにせよ今の時点では交渉は不可能だと判断したタマリは、喉元を持った左手を素早く左右に振ると大男を失神させ、そばに放り出した。そしてビュッケに声を掛ける。
「そっちは大丈夫かい」
「こいつら、ちょっとおかしいね」
ビュッケに襲いかかった女は両肩と両膝を刺剣に貫かれて、ビュッケの傍にくずおれていた。極力血を流させずに抵抗する力のみを失わせる見事な腕前であった。この女も大男と同様に、飢えに苛まれて幽鬼のように痩せていた。
「まともな奴なら食料なしで迷宮に入るわけは無いし、装備から見てこいつらは〈街〉の冒険者のはずだ。一体こんなになるまで何をしていたのかね」
「皆様」
クロンコが言った。
「少しご相談したいことがあるのですが」
◆ ◆ ◆
「糞っ、やっぱりおかしいぜ何か」
ジャンが吐き捨てた。もはや魔法の短剣を見つけ出した興奮は失せていた。
「おかしいにしてもよお、おれは嬉しいおかしさだと思うねえ」
ヴィンセントは壁から黄金で出来た装飾を剥がしつつそう言った。ジャンはヴィンセントの肩を掴むと言う。
「その手を止めろ。いいか。おれたちは少なくとも五階より下には降りていないはずだ。それは間違いないはずなんだ。なのにどうだこの光景は」
彼らは隅々まで宝飾類で彩られた部屋に立っていた。宝石の輝きは他のそれを反射してより煌めき、たいまつのたった一本の灯りで部屋中が照らされていた。
「たかが五階程度にこんなに金目のもんが残ってる部屋があってたまるか! とっくの昔に荒らされきってるはずなんだよこんな場所は。何かおかしいぞ! 嫌な予感がする」
「神経質だよなあ本当に。きっと単純にこれまで見つけられてなかっただけなんだって」
ヴィンセントは立ち上がるとジャンに言った。
「まあ落ち着けよ。いいか。今俺たちには案内人がいない。ということはどの道を進んだらいいかわからないってことだ。ということはだ。逆にいえばどの分かれ道を選んでも正解だってことなんだよ」
「お前のそのよくわからん話にはほとほとうんざりしてきたぞ」
「落ち着くんだよ。落ち着け。今俺たちが五階よりも下にいないってんなら、そのうち他の冒険者も見つかるさ。そんなに不安ならそいつらの案内人をこっちのもんにしちまえばいい。そうすれば道もわかる。そうすりゃ十階のエルフ狩りしてた時のねぐらにもパッとたどり着けるだろうし、どうしても不安なら〈街〉になんとかしてこっそり戻ればいい。そうだろ」
「冒険者を殺して案内人を奪うってか。余計に罪が重くなるぜ」
「案内人さえ逃さなきゃあわかりっこねえよ」
「お前のその能天気はどこから来るんだろうな、畜生め」
「お二人様」
ジャンとヴィンセントは突然のその声に驚き飛び退いた。いつの間にか二人の傍に小柄な老人が立っていたのだ。ローブを纏ったその老人の右耳は、根本から切り取られていた。
「案内人をお探しですか」
◆ ◆ ◆
ビュッケたちは元来た道を引き返し、迷宮のエントランスに向かっていた。そのはずだったが、既に到着しているはずの歩数を過ぎても、なぜかそこに辿り着くことはなかった。
「ねえ、クロンコさんよ」
「ええ、ええ、わかっています。私の瞳は正常です。病にかかってはいません。全ての道順は記憶できています」
「ならいいんだけど」
クロンコは振り返ると、憔悴しきった顔で一行に告げた。
「ですが私たちのいる道は、これまでに一度も通ったことがない道なんです。今私たちは通ったことがない道を戻ろうとしているのですよ。こんなことは初めてです。案内所からも報告は受けていません。明らかに私たちは今まずい状況に巻き込まれています」
「つまりどういうことを言いたいんだい」
「まずありえないことですが」
クロンコは一呼吸置いて言った。
「私たちは迷っています。そして」
もう一呼吸置くと言った。
「迷宮が変化しているとしか」
「ははははは。馬鹿なことを言うね」
ビュッケはひとしきり笑ったあと、ため息をつくと言った。
「それじゃあ何かい。魔法か何かが悪さをして迷宮の形を変えさせてるって言いたいのかい」
「それは何とも言えませんが」
「ですが師匠……確かこの状況は前に本で」
「アンタは黙ってなロギイン。いいかい。エルフ達は死んだんだ。アタシらが昔間違いなく殺したんだよ。しらみつぶしにしてね。だから魔法ももう無いんだ。あんな悪しきものはもう潰したんだよ。あれはひどい体験だった。魔法。魔法。魔法。糞食らえ。最後にエルフ達が立てこもったのがこの〈終の地下墓場〉だった。悪趣味な場所を奴らも選んだもんだよ。まさかエルフ殺しの同僚を追ってまたここに来るとはね」
「師匠……」
「出口をお探しですか」
ビュッケ達は突然のその声に驚き振り返った。いつの間にか一行の傍に小柄な老人が立っていたのだ。ローブを纏ったその老人の左耳は、根本から切り取られていた。
「私がご案内出来ますよ」
「アンタ何者だい」
ビュッケが刺剣を向けながら老人に聞いた。老人は言った。
「私は〈エルフの従者〉でございます」
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