死んだ魔法の迷宮で

ズールー

ロギインと〈終の地下墓場〉(全9話)

第1話

 迷宮の壁は墓石のように冷えていた。おまけにあたりには糞のようないやな臭いが漂っていた。まるで死んだ巨人の肛門だ。ヴィンセントはそう思った。


「お前、鼻をすするのをやめろ」


 禿頭のジャンがヴィンセントに言った。ヴィンセントは油染みた長髪を右手でかきあげながら答えた。


「どうもね」

「どうもなんだ」

「〈街〉で盗ってきた粉が粗くてね、ダメなんだよ、これが。鼻がダメになっちまった」

「なあヴィンセント。おれたちは今どこにいるんだ」

「わかんねえな」

「わかんねえなら鼻をすするのをやめんだよ。うるせえんだよその音。おれは今考えてんだ。おれたちがどこにいんのか。どの道にいんのか。お前は考えてもねえんだろうから。そうだろうがよ。いつもそうだ。おれが考えてる間お前はでけえ音で鼻すすって音響かせて墓場中におれたちが今ここにいますよって宣伝してやがんだ。そうなんだろお前」


 お前の声のでかさも相当なもんだけどな。そう思いながらヴィンセントは鼻をかんだ。かんだ紙には鼻血もついていた。二人の着ている揃いのなめし革の黒衣が、たいまつの灯りを受けて暗く輝いた。

 彼ら二人は今〈終の地下墓場〉と呼ばれる地下迷宮にいた。そして迷っていた。自分たちではかなり深くに潜ったとは思っていたが、正確には今何階にいるのかもわかっていなかった。〈街〉の追手から必死に逃げているうちに案内人とはぐれてしまったのがケチのつきはじめだった。ヴィンセントが口を開いた。


「大体がお前、神経質すぎるんじゃねえのか」

「それじゃあお前はのんきすぎるんじゃねえのかよ。俺たちゃ迷ってんだぞ。地下墓場の中で」

「今言い合いになってもしょうがねえだろ。落ち着け。落ち着くんだよ。周りをよく見ろ。においを嗅ぐんだ」


 ジャンはしぶしぶ言われたとおり周りを見回して、においを嗅いだ。


「迷宮の壁。石造り。狭い通路。低い天井。壁には蔦。そんで糞の臭い。それがどうした」

「そういうことだ。まずおれたちを取り囲む環境はそういうものだって認識することから始めるのが大事なんだな」

「何が言いてえのかわからねえ」

「おれたちは何もわかってないってことだよ。自分たちの正確な居場所すらわかってない。そういうことなんだよ」

「やっぱり何が言いてえのかわからねえ」

「わからねえってことを認めるのが大事だってこと……わかったか」


 ジャンはつま先で壁を蹴ると呟いた。


「なんだって俺はお前となんか組んだんだろうなあ」

「何か言ったか」

「なんでもねえよ。行くぞ」


 二人は迷宮の奥へ歩き出した。



    ◆ ◆ ◆



 ロギインは若く未熟な賞金稼ぎである。彼の向かいに座っているのはビュッケという名の老いた賞金稼ぎと、その情夫である浅黒い南洋の肌をしたタマリであった。ビュッケはロギインの師匠であった。そしてロギインはビュッケに説教をされていた。彼らは〈街〉の酒場、〈赤き角鹿亭〉でテーブルを囲んでいた。


「とにかくねえ、ロギイン。これで何度目なんだい。魔法なんて無いんだって。いい加減にわかんなさいよ」

「でもですよ師匠、あの肌の白さは間違いなくエルフでしたよ」

「肌が白きゃエルフになれるんならアタシはこの化粧を万倍にしてるわよ! 化粧で騙してんだってよそれは! エルフなんて白ナメクジはもういないの。もう死んじゃったのよ。だから魔法なんてものもないわけよ」

「でもですね」

「でもも糞もないわけよ」

「糞だなんて!」

「言ったるわよ。アンタの頭は糞で出来てんの! 糞! 糞糞糞! 糞ーッ! 情けなくなるほど糞まみれよ!」


 ビュッケの罵声が昼間の〈赤き角鹿亭〉中に響き渡った。タマリはビュッケの髪を撫でながら耳元で囁いた。


「糞だなんて大声で言っちゃいけないよ、ねえ……僕の美しい宝石箱」

「あんたは黙ってなさいタマリ」

「オー」

「でロギイン。今回はどんなガラクタに騙されたわけ」


 ロギインがおずおずとテーブルの上に出したのは光り輝く水晶玉であった。


「これ確か前も同じもの買わされてなかったかね」

「いや今回のはですね……よく見てください、輝きが違うんですよ」

「そういうこと言ってんじゃないわよ! 似たようなもんに騙されてんじゃないわよっつってんのよ! やっぱりあんた糞で出来てんじゃないの!」

「また糞って!」

「オー」

「で、相手はどんな奴だったの」

「二人とも黒いマントを羽織っていました。一人は禿頭で背が小さくて……鷲鼻。もう一人は」

「もしかして汚い長髪かね」

「そうです」

「ジャンとヴィンセントだ。まだあいつらこんなことやってんだね全く」

 ビュッケは長い溜息をついた。そして口を開いた。

「支度しな」



    ◆ ◆ ◆



「当ててやろうか。ジャンとヴィンセントだろう」

「よくわかったね」


 ビュッケは請負所の守衛の指差す先を見た。人だかりである。集団のざわめきの中からはときおり「ジャン」「ヴィンセント」「やられた」などという声が聞こえてきていた。


「まああいつら今回は派手にやったもんだねえ」


 ビュッケはタマリに背負われたままあたりを見回した。


「よく見なロギイン。これがあんたのお仲間の姿だよ」

「はあ」

「やっぱりみんな似たような間の抜けた顔してるもんだねえ。感心しちまうよ。そうだろう」

「はあ……まあ」

「はいどいたどいた。賞金稼ぎのお通りだよ」


 ビュッケとタマリ、それにロギインは人混みをかき分けながらカウンターへ向かった。


「どういったご用件で」

「ジャンとヴィンセント。生きたままここに連れてくるよ。どうだい」

「なるほど。一人頭五万と言ったところですな」

「上等。当然奴らの身ぐるみは剥いじまっても構わないんだろうね」

「こちらは関知しません。どのようなかたちであれ、ここまで生きて連れてきていただければそれで十分でございます」

「だろうね。他に何か情報はもらえるかい」

「あいにくですがこの段階では」

「そうかい。居場所も?」

「そちらについても、契約をお受けいただいてからのご提供となっております」

「わかった。受けるよ」

「ありがとうございます。よいご報告を期待していますよ」

「それで居場所のアテは?」

「彼らの逃げた先は〈終の地下墓場〉とのことです」


 ビュッケの顔に一気に皺が寄った。


「それで一人頭五万?」

「左様で」

「やってくれたもんだねえ」

「道中の〈拾い物〉によっては十分に利益は得られるかと存じますが」

「モノは言い様だね」

「左様で」

「〈終の地下墓場〉?」


 ロギインのこの質問に、ビュッケはぶっきらぼうに答えた。


「あんたにはまだ行かせたことはなかったね。ろくでもないところだよ。本当に。本当にろくでもないところさ」


 ビュッケの皺は、だんだんと深くなりつつあった。



   ◆ ◆ ◆



 世界に並ぶもののないと言われるその豪奢さで知られる黄金都市、〈街〉の周囲にはいくつかの迷宮が存在する。北に〈黒鉄の牢獄〉、東に〈鴉鳴く断崖〉、そして南東のはずれに位置するのが知る人ぞ知る〈終の地下墓場〉である。かつて起こったとされる〈はじまりの戦い〉で死んだものの多くがこの墓場に眠ると言われており、そこに眠る財宝は数え切れず、またそこには未だ途方もない数の様々な危険が眠っていると伝わっていた。〈街〉はかつて、〈地下墓場〉から冒険者達が盗み出してきた数々の財を元手に発展したと言われている。そのため、〈街〉のことを〈盗人の産声上がる場所〉と蔑むものもいた。事実盗人は多かった。


〈地下墓場〉へ潜るには何が必要なのか? よく鍛えられた武器。身体に馴染んだ防具。食料。たいまつ。ロープ。場合により気の知れた仲間。そして何より案内人だ。案内人とは迷宮潜りのエキスパートであり、報酬と引き換えに冒険者を一定の階層まで導く職業である。案内人ごとにスタイルの違いがあり、今回ビュッケ達が選んだのはクロンコという名の、速度を何よりも重視する案内人だった。彼はしなやかな身体をした北部人であった。


「ご指名いただき何よりでございます」

「アタシはビュッケ。そいつはロギイン。アタシの弟子だ。それでこいつはタマリ。言っとくが手を出すんじゃないよ」

「ハハハ」

「笑い事じゃないんだがね」


 クロンコはその相手を問わない手の速さでも知られていた。


「確認ですが。今回の行き先は〈終の地下墓場〉。目標階層は十階程度。速度重視。これでよろしいですね」

「ああよろしいよ」

「じゅ、十階も潜るんですか」


 ロギインは驚いてビュッケに言った。


「アンタにとっちゃあ二桁は初めての体験だもんねえ。気を引き締めるんだよ」

「は、はい」

「それにしても」


 クロンコは言った。


「人探しが目的とのことですが、速度重視でよろしいのですか? 何かお急ぎの理由でも」

「アンタ結構詮索するタチなんだねえ」

「ハハハ」

「そこの坊主のお陰で金が無いっていうのもあるんだけどさ」


 ビュッケはロギインに目線をやる。ロギインは苦笑いしながら目をそらした。


「あの二人についてはちょっとした馴染みでね。奴らが〈墓場〉に潜るってんなら、どこに行きそうなもんか、まあ勘みたいなものが働くのさ」



   ◆ ◆ ◆



「やっぱりこれはよう、逆にツイてたんだと思うんだなあ」


 ある小部屋でヴィンセントは呟いた。その手には装飾のついた短剣が握られていた。


「さすがにこれにはよ、おれも……同意しちまうな」


 それに答えてジャンも呟いた。その瞳はヴィンセントの短剣に釘付けだった。

 誰にも荒らされていなかったその小部屋、そこで見つけたヴィンセントの持つこの短剣、その先からは青く暗い炎が立ち上っていた。それはまさしく、滅んだはずの魔法の品物であったのだ。


「どうするよ、それ」


 ジャンが聞いた。


「どうするもこうするもなあ……。まあ正式な手続きを踏んで、役所に届けるとするさ」

「それで感謝状を貰うってか」

「その通り。よくわかってるな」

「バカくせえ。売り手をきちんと見つけねえと大損だぜ」

「そうだなあ。うまいことやろうぜ、うまいことな」


 短剣の悪しき炎が、彼らの笑顔をめらめらと、照らし出していた。


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