第31話




 モヒートにとって翌日から始まった領主会議には、“退屈ツマラナイ”の一言だった。


 今回の領主会議に参加する街の代表者はモヒートを合わせて六名、それぞれに付き添いが複数名参加しているため、宮殿内のホールでは物々取引を行う大勢の喧騒で溢れていた。


 領主会議の進行は非常に雑多かつシンプルだ。


 ホール内には各街の担当テーブルが間隔を取りながら並べられ、そこに交渉担当が一人つく。あとは別の交渉担当が各街のテーブルを回りながら、見本として展示される物財を品定めしながら取引を行う。


 物財の量には限りがある。各街の交渉担当官はより少量の物財を放出し、より大量の物財を得るために、時には誇張し、時には隣に立つ別の街の物財を貶し、自分たちが持ち込んだ物財がもっとも優れたものであると声を張り上げていた。


 その様子をホールの柱に背を預けて眺めていたモヒートは、大きな欠伸あくびをしながら暇を持て余していた。


「ヒマそうね」


 そんなモヒートの横に、いつの間にやら小さな少女が立っていた。


 クルリナよりもさらに幼い、一〇代前半の金髪ロングに、白いフリルのドレス。国という統治機構が崩壊し、縫製・紡糸ぼうしなどの文明技術が失われかけたにしては、随分といいドレスを着ていた。


「あぁ、暇だな」


 確か、ガイドールとか言う街の代表者……シェスティーナだったか。


 モヒートは領主会議冒頭の挨拶で名乗った、少女の名前を思い出していた。


 声を掛けてきたシェスティーナを見下ろし、モヒートは会場に散らばる他の代表者たちの姿を追った。


 ダイガン鉱山を治める巨漢の男——騎士ライダーのガバル。


 ロイゼンベール港を仕切る——元商人のティティニス。


 近隣国の敗残兵をまとめ上げた傭兵団の二代目――騎士ライダーのフィストロス


 そして今回の主催者であり、近隣地域を支配していた元王族の生き残り――プリンセス・バーフィリア。


 この四人にモヒートとシェスティーナを含めた六名が、今回の領主会議に参加した代表者たちだ。


 シェスティーナはモヒートの真横にまで近づくと、同じように手を組みながら会議の様子を眺め始めた。


「ねぇ……」

「……なんだ?」


 シェスティーナの視線は会議の様子を眺めたままだが、それはモヒートも同じ。お互いに目を合わせることはなく、一〇近くも年の離れた者同士だが、同等の立場としてゆっくりと会話が始まった。


「アクマリアの支配者が変わったと今朝聞いたのだけど、新しい支配者は新顔のあなたというわけ?」

「いや、ライデンだ」

「ライデン……あぁ、あの特殊性癖の騎士ライダー……嘘ね」

「……なぜそう思う」


 即座に否定されたことで、モヒートの視線がシェスティーナへと落ちる。


「ライデン卿とは前に会ったことがあるけれど、バストラル卿を引き摺り下ろしてまでトップを狙うような男ではない、言うならNo.2ナンバーツーの地位を好む男。何か大きな変化が起きない限り、トップに座るはずがないと思うの」

「しかし、現にアクマリアのトップはライデンだ」

「なら……何か大きな変化が会ったのでしょうね」

 

 その大きな変化がモヒートだと言わんばかりにシェスティーナの視線が上がり、二人の視線が僅かに重なり合う。

 それを外したのはモヒートの方だ。アクマリアの交渉テーブルでカーライルとその補佐官の二人が、ロイゼンベールのティティニスと何か揉め始めているのが見えた。


 会議の喧騒で声はかき消され、何を言い争っているのかは判らないが、チラチラとカーライルの視線がモヒートに向く。


「悪りぃが、嬢ちゃん——仕事だ」


 そう呟いて背を預けていた柱から体を起こすと、モヒートは上着の内ポケットからメタルコームを取り出し、真紅のモヒカンヘッドを整えながらアクマリアの交渉テーブルへと歩き出した。


 その後ろ姿を見ていたシェスティーナも、何か面白そうなことが起こる予感に頬を緩ませ、あとを追った。



「今までの二倍とはどういうことですか?」

「どうもこうもない、これまでの取引は相手がバストラル卿だったからこそ。欲深い男だったが、奴の能力によって港を再建できた恩をロイゼンベールの商人が忘れることはない。それを排除した今のアクマリアと……全ての取引を停止してもいいが、こちらもアクマリアの果実や菜種は必要だ」

「それがこの交換率ですか!」


 アクマリアの交渉テーブルに近づいていくと、モヒートの耳にもなにで揉めているのか聞こえてきた。


 頭にはバンダナを巻き、顎髭を綺麗に整える壮年の男――細身だが、薄着の下から見える鍛え上げた肉体を見れば、優れた船乗りであることが窺えるティティニスだが、奴が支配するロイゼンベール港には、人が生きていく上で必要な物財——塩がある。


 塩は人が生きる上で決して欠かすことが出来ない。旧アメリカは豊富な岩塩を内包する大地だったが、戦火を逃れた採掘場の多くが武装集団によって支配され、命綱を握られた力のない“資産”がそれにすがった。


 そして、アクマリアの近辺には良質な岩塩が採取できる場所がない。どうしても、他所から塩を運び込まなくてはならなかった。


 だが、それはロイゼンベール側も同じ。アクマリアの防壁内で栽培されている果実はジャムにしてもいいし、乾燥させてもいい。砂糖漬けやそのまま食べても美味であり、食を楽しむという娯楽は文明が崩壊した現状では、最高級の贅沢とも言えた。

 それに加え、豊富な水源を持つアクマリアが開墾した畑は近隣の街の中で最大級の広さを持つ。そこで過ごす男手の大半はその農作業と防衛に尽くしており、疫鬼グールに汚染される心配も少ない。


 そして何より、アクマリアの周囲にはモヒートの拠点防衛用ドローン『キャスター』が巡回警備し、情報収集と疫鬼グールの排除を二四時間体制で行なっており、農場と街の安全は飛躍的に高まっていた。


 それでも——取引相手の代替えが利く食糧や菜種と、代替えが利かない塩とでは希少価値に大きな差があった。


「塩壷一つ当たりの物財はこれまでの交換率の二倍。これはもう決定事項、交渉に応じるつもりはない。お前たちに塩が必要ないなら、我々は一向に構わない。アクマリアとの取引で補充するつもりだった食糧は、バーフィリア殿との取引量を増やすことで賄うだけだ」

「ティティニス殿、この領主会議での取り決めをお忘れですか? 一方的な交換率の提示は禁止事項に当たります。それに、バーフィリア殿の支配圏は最も人口が多い地域、アクマリアからも大量の食糧や菜種を物財として提示しています。結局のところ、ロイゼンベールは二つの街を跨いで肥大化した交換率で食糧を手に入れるだけで、無駄な負担になるだけですよ!」

「フンッ、アクマリアが最大の食糧生産力を持っていたのはつい先日までの話だ。貴様はまだバーフィリア殿と交渉の場を持っていないようだが、その程度ではバーフィリア殿との交渉も切られるだけだぞ」

「そ、それはどういう意味で――」

「おい、カーライル」


 カーライルとティティニスの会話が不穏な空気になりかけたところに、モヒートが割って入るように会話を遮った。


「モ、モヒート様……」


 交渉の援軍が来てくれたことに内心喜ぶカーライルだったが、同時に交渉担当として領主会議に赴いておいて、その役目を全う出来ていないことを恥じた。


 ティティニスは割って入って来たのがモヒートだと気づくと、領主会議のスタート時に名前だけ名乗ったモヒートを品定めするように視線を巡らせ——ニヤけた目に締まりのない茄子顔、意図が判らない赤いトサカ髪——どう見ても交渉担当のカーライル以下だと判断した。

だが、なぜその背後にガイドールのシェスティーナがニヤニヤと野次馬のように立っているのかは判らなかったが、今はそれを無視し、視線をカーライルに戻した。


「カーライル、アクマリアの交渉担当としてロイゼンベールの提示を受け入れるのか否か、ここでハッキリとしてもらおう」


 カーライルはモヒートから視線をティティニスに一旦戻したが、すでにこの取引の決定権はカーライルの手から離れていた——モヒートがテーブルに近づき、カーライルに声をかけた瞬間に。


「あーティティニス、お前もういいわ」


 だが、ティティニスの最後通告はカーライルには届かず、モヒートによって不要扱いされた。


 モヒートはティティニスにそれだけ言うと、本人のことは興味なさそうに無視してテーブルの上に置かれたロイゼンベールとの取引リストと、見本として置かれた小さな小瓶を手にとった。


 高さ五cmほどの小さな壺だが、小さなフタを開けて中を覗くと白い粒状の粉が入っている。

 モヒートの一言にわなわなと肩を震わせているティティニスを無視し、壺の中に指を入れて少し取り、軽く匂いを嗅いで一舐めする——塩だ。


 モヒートは壺の中の塩を舐めながらリストに目を通し、カーライルへと視線を向ける。


「交換率が上がったのは塩だけか?」

「そ、そうです」

「ふ〜ん、アクマリアにはまだ塩の備蓄はあるんだよな?」

「はい……今の配給量を維持しても、あと二ヶ月は持ちます」

「なら問題はねぇな、塩以外は取引してロイゼンベールとはそれで終わらせろ」

「わ、わかりました……」


 そうモヒートが指示を出すと、手にとったリストを再び交渉テーブルに滑らせた。


 だが、唐突な不要発言をティティニスがすんなりと受け入れるわけもない。アクマリアとの交渉はまだ天秤を揺らしている途中——それもあと一歩で、ロイゼンベールに多大な利益をもたらすはずだった。


「待て……塩が要らないとはどう言う意味だ。まさかアクマリアのライデン卿は住民を見捨てるつもりか?」


 カーライルに指示を与え、再び会場の端へ戻ろうと振り返ったモヒートの前に、怪訝な表情を浮かべながら指示の意図を探るティティニスが立ちはだかった。


「私も聞きたいわね。アクマリアにはロイゼンベール以外に塩の入手先があるの?」


 そしてティティニスの問いに乗るように、シェスティーナも顎に白く細い指を当て、コテンと首を傾げながらモヒートを見上げていた。


「塩は必要に決まってるだろ——ただ、ロイゼンベールの塩はもう必要ねぇってだけだ」

「だからその理由を聞いているんだ!」

「なんだよティティニス、アクマリアには塩を卸さないんだろ? こちらもお前の塩はいらねぇって言ってんだ。それで納得しろよ」

「私はそれでは納得しないわよ? もしもアクマリアにロイゼンベール以外の塩の入手先があるのなら、もう少し詳しく話を聞きたいわ」

「シェスティーナ卿!?」


 三人の代表者による直接交渉は、会議参加者の衆目を集め始めていた。次第に焦り出すティティニスに、それを面白そうに見上げながらモヒートと塩の交渉を始めるシェスティーナ、そして面倒臭そうに受け答えするモヒートの姿は、塩の専売と言うロイゼンベールの優位性が崩壊しかかっている事と共に、周囲の交渉官や代表者たちの耳目を集めた。


「あなた、モヒートと言ったわよね? 本当にアクマリアには塩があるのかしら?」

「あぁ、あるぞ。ロイゼンベールの塩と比べても遜色ないどころか、優劣のつけどころがない品質だ」

「そ、そんな馬鹿な話があるか! アクマリアのどこで塩が採れるというんだ!」

「はっ、教えるわけねぇーだろ、ほんと馬鹿だなオメェわ。それで街の代表者が務まるのか? どこかその辺の連れにでも変わってもらった方がいいんじゃねぇのか?」

「ぐっ——! ふざけるな!! ならロイゼンベールはアクマリアとの取引を全て停止させてもらう!」

「ティティニス様、それは不味いです!」


 ロイゼンベールの交渉担当官だと思われる男がティティニスの後ろ袖を掴み、その不用意な発言を訂正させようとしたが——。


「あら、ティティニス。この領主会議の取り決めをお忘れ? 一方的な取引の全停止及び、交渉率の引き上げは禁止事項なのよ? 私は今、ハッキリと聞いたわ」

「い、いや、シェスティーナ卿、これは――」


 この領主会議には細かい取り決めルールが数多く定められている——そして同時に、破った場合のペナルティーも相当に厳しいものとされていた。


 文明が滅び、王国が滅び、貨幣価値など皆無に等しくなったこの世界では、物々交換取引を強行する者を絶対に許さなかった。


 力あるものが正義、弱肉強食、優勝劣敗、それが適者生存の自然の摂理——しかし、それだけでは生き残った人の未来に滅びしかない。

 強きものであれ、弱きものであれ、手を取り合って生きて行かねばならない。この領主会議もそうだ。


 騎士ライダー幻想騎兵エクティスという強大な力を盾に、手が届く範囲を支配するのはいい。だが、強大な力同士が折り合いをつけて協力し合わなければ、人の営みなど一瞬で崩壊する。


 それがこの世界の現実であり、それを守るための領主会議だ。




 会議中の暴力沙汰は厳禁。もしも物財の盗難騒ぎが起これば、主催者がその損害全ての保証を掛けて犯人探しを行う。

 取引交渉に関してもそうだ。あらゆる力を背景とした強硬な交渉は認められず、これに反したと主催者が認めた場合、違反を犯した街は領主会議に参加した全ての街との取引が禁止される。


 ロイゼンベールのティティニスが口にした塩の専売を背景とした交渉率の変更と取引全停止は、明らかに領主会議のルールに反していた。


「妾にも聞こえたぞ、ティティニス」


 不用意な発言が飛び交い、混乱が混乱を呼ぶ会議場を治めるべく、今回の主催者である――プリンセス・バーフィリアが介入してきた。


 騒動を遠巻きに見守る他の参加者が道を開け、モヒートたちの前に現れたバーフィリアは、場違いなほどに豪華な純白のドレスを着込み、手にはブーケにも似た白と赤のバラが咲く杖を突いていた。


 まるで花嫁衣装ウェディングドレスだな……歳は相当に食っていそうだが。


 プリンセス――と周囲に呼ばせているが、バーフィリアの容姿はお姫様とは掛け離れていた。


 色褪せた金髪に張りのない肌、皺だらけの顔を白化粧で誤魔化し、漂う香の匂いは年齢からくる独特な体臭をかき消すほどころか、近づく者の鼻を歪ませるほどにキツいものだった。


「バーフィリア様!」


 領主会議の取り決めを重々承知していながらも、ティティニスはモヒートの茄子顔に釣られて言い放った自分の発言が、どれほど不味かったのかを今更ながらに悟った。


「ロイゼンベールの代表――ティティニス」

「は、はい……」

「そちは妾が主宰する領主会議で騒ぎを起こし、代表者が変わったばかりのアクマリアへ不当な取引条件を突きつけた――さらに取引が都合よく運ばないと見るや、領主会議で最も禁じられておる取引全停止を口にした」

「い、いや! それはこのナス男が嘘八百並べ立て、有りもしない物財で取引を行おうとしたからであり、領主会議を追放されるべきはアクマリアの方でございます!」 


 ティティニスは騒ぎの原因がモヒートの発言にあると激昂し、額に汗を噴かせ、唾を飛ばしながら説明をし始めたが、それが苦し紛れの言い訳――とは言い切れなかった。


 アクマリアの交渉テーブルから動けなくなったカーライルは気が気ではなかった。


 ティティニスが焦る気持ちは十二分に理解できる。この時代、街一つの生産力だけで住民を養うことは不可能だ。領主会議から追放されれば、あとは個別に各街や集落と交渉するしかない。

 だが、各街との交渉に強力な防衛戦力である騎士ライダーを派遣し続けることは難しい。


 疫鬼グールの襲撃、魔族の襲来だけでなく、盗賊団や野党の群れ――同じ生きる人間からも街を守らなくてはならない。

 各街の代表者と同等の立場で、共通の場所で取引を行える機会である領主会議は、物資や必需品の補給を円滑に行うだけでなく、短時間で交渉をまとめる機会は、街の防衛にも繋がる大事な時間だ。


 そこから追放される失態は、騎士ライダーのような強さでロイゼンベールのトップに立ったわけではないティティニスとって、自分の立場すらも絶望的に悪くする事態だった。


 しかし、それはカーライルもまた同様に感じている危機感だった。


 モヒートはアクマリアに塩の入手先があると言った――だが、そんなものはアクマリアの支配圏をどれほど探しても見つかりはしない。


 プリンセス・バーフィリアはティティニスの言葉を受けて一考し、視線がシェスティーナからモヒート、そして遠巻きにこちらの様子を伺う他の街の代表者、ガバルとフィストロスの二人の顔を伺う。


 ティティニスを追放するのは簡単だ。しかし、ロイゼンベールが塩を専売している以上、モヒートの話に嘘があった場合、領主会議に参加するすべての街が塩の取引を仕切り直さなければならない。


つまり――今回の領主会議を主宰するプリンセス・バーフィリアがまず確認しなければならないのは――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

モヒカン召喚 ~荒廃した世界から召喚された地もまた、荒廃していた~ 地雷原 @JIRAIGEN

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ