第10話




「アルマリアを離れてどこへ行く」

「判りません」

「……何をしに離れる」

「知りません」

「し、知ら――いや、確かもう一人男がいると言っていたな、その男と一緒にいくのか」

「そうです」

「まさかとは思うが……成功したのか?」

「――いいえ」


 それまでは即答で答えていたが、この問いにだけはほんの僅かに返答が遅れた。バストラルがそれに気づくことはなかったが、この問いが何について聞いているのかは、確認するまでもなかった――しかし、それに嘘をついた。


 ここで異世界人召喚の儀に成功したと言えば、モヒートはすぐにでも暗黒大陸に向けて旅することを強いられるだろう。何の援助も手助けもなく、身体一つで魔族を倒せと言われて終わりだ。

 もしかすると、少量の食糧と旅の必需品とも言える杖くらいは持たされるかもしれない――だが、それだけだ。

 かつてフェイム大陸に存在した国々はすでに滅亡し、この地を出発すればモヒートを支援しようなどという人は存在しないだろう。誰もが今を生き抜くことで精一杯なのだから。


 そのような過酷な旅にモヒートを一人で向かわせるつもりも、その旅に意味もない。


「なら、その男はなんだ?」

「――私の、全てを捧げると決めた御方です」


 ルイザは瞼を閉じ、異世界人召喚の儀が成功してからのモヒートを思い出しながら、自分の決意をバストラルの前で口に出した。


「な――っ?! くっ、な……なら、是非とも会っておきたいものだ。今日は泊っていくといい、亡くなった村の者たちをしのび、ささやかな食事を用意させよう」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」


 再び目を開けたルイザが軽く頭を下げると、すぐに振り返って玉座の間から出て行った。その後姿をジッと見つめていたバストラルは、ルイザの姿が消えると同時に部屋の隅へと視線を向けた。


「どういうことだ、ジルーバ」


 再び部屋の物陰からボロ布を体中に巻き付けた細身の男――ジルーバがその姿を現した。


「ですから申し上げたはず、ルイザ卿は正体不明の男と行動を共にしております。先ほども見たこともない深紅の箱に跨り、砦内へ入ってまいりました」

騎士ライダーだというのか?」

「恐らく……」

「ライデンをすぐに呼び戻せ! これでは何のために情報を流して村を襲わせたのか判らぬではないか!」


 激昂したバストラルが玉座の肘掛に拳を落とし、吠えた。


「すぐに――」


 そう言って、ジルーバは玉座の間から姿を消した。


 白騎士ルイザ――幻装騎兵エクティスが持つ能力の中でも、特に希少な治癒と浄化の能力をもつ騎士ライダーの一人。

 これまでは数ヵ月に一度、ルイザが食糧や日用品との交換材料としてその能力をアクマリアで振るってきたが、バストラルはいい加減その取引にうんざりしていた。


 いつまでも成功しない、それどころか手遅れとなった儀式に固執し閉じこもる一族。希少な治癒能力を無駄に占有し、新たなる支配者に仕えようとしない女。

 魔族の大半は既にフェイム大陸を去り、時代は新たなる支配者を決める戦乱の時代へと突入し始めていた。バストラルも小さな街一つの支配者で終わるつもりはない。 

 歩兵部隊を組織し、幻装騎兵エクティスの圧倒的な暴力をもって他者の支配圏を奪い取る。

 そのためには、傷ついた者を癒すルイザの能力は必須とも言える重大な要素だった。


「ここでみすみす逃すものか……」


 密かな野望を胸にいだく、バストラルの最後の呟きを聞く者は誰もいなかった。







 砦の一室から外へと飛び降りたモヒートは、周囲を見渡しながら鼻歌交じりに畑が広がっていた方向へと歩いていた。


「よぉ~、そいつは今収穫してきたのか?」

「は、はい……そうですけど?」


 道すがら、両手で抱え持つ籠に果物を一杯に入れた女へすれ違いざまに声を掛けた。

 農作業から戻ったばかりの女は突然声を掛けてきたモヒートに困惑したが、砦内部を堂々と歩いていたモヒートを不審者とは思わなかったようだ。


「ほぉ~、これはなんて果物だ?」

「え? ア、アメリアですけど……」

「一つ貰うぞ」

「えっ? えっ? ちょっと、あなた――っ!」


 モヒートは籠から桃色の果実を一つ取ると、「じゃあなぁ~」と女の横を通り過ぎて先へと歩いて行った。

 女はその悠然と歩き去る背を目で追ったが、砦の角を曲がって姿が見えなくなるまで唖然として言葉を続けることは出来なかった。


「アメリアかぁ、いい香りだ」


 モヒートはリンゴほどの大きさの果実を日にかざして見つめながら、その香り、柔らかさ、手触りを楽しんでいた。


 そして齧りつく――。


「うめぇ……」


 一口齧りついただけで口の中一杯に溢れる瑞々しい甘い汁、やわらかい皮ごと噛みしめ、そこから出る僅かな渋みすらフルーティーな味わいとして感じられる。

 口角から果汁が溢れ、それがまた一層甘い香りを漂わせてモヒートの鼻孔をくすぐった。


「もう一個頂いとけばよかったな」


 アメリアを食べるのが止まらず、すぐに食べきってしまったモヒートは指に零れた果汁を惜しむように嘗め回しながら、砦を囲う壁に上がる階段を見つけると上へと昇る。その先に、目的の畑が広がっていた。


「あぁ~やっぱりこうなってやがるか、資源の無駄使いは無能の証明だぞ」


 アメリアの味を惜しむように指をしゃぶりながら見つめる先には、畑で働く少年たちの姿――そして、それを監視する武装した大人の男たちの姿があった。

 十代前半ほどの少年たちはくわを振り、苗を植え、畑の手入れを黙々と続けている。その身体の細さ、ボロ布のような作業服、まともな衛生状態に置かれていたとは思えない汚らしさ。


 少年少女に肉体労働を強いる集落コロニーは、今まで嫌と言うほど見てきた。そのどれもが刹那的な快楽と幸福を追い求め、自分よりも力のない者を奴隷として扱い、自らの境遇に降りかかった地獄を押し付けた。


 レッドスパイクには殺しに関して大原則とも言える掟が三つあった――歯向かう者は殺す、歯向かわない者は有用な資源になるから殺さない。

 商売敵は殺す、商売相手は殺さない。

 家族ファミリーの敵は殺す、家族ファミリーを敵から護る。


 旧アメリカからこの世界に召喚されても、モヒートはこの掟を忠実に守るつもりでいた。この掟があるからこそ、モヒートは殺しの狂気に呑まれることなく生きてこれたことを知っているからだ。


 そして目の前に広がる田畑で働く少年たちの扱いは、レッドスパイクの掟に照らし合わせれば明らかに掟破りの扱いだ。


 スラムで立ちはだかった警備隊の男、果樹園で働く女、目の前の武装する男たち、その誰もが十分な食事を与えられていることが一目で判った。

 スラムの老人ジジ・ババたちと、労働を強いられている少年たちだけが碌な扱いを受けていない。それを監視する武装した男たちは、当然ながら田畑の作物を守っているのだろう。

 だが、手に持つ武器は外からの略奪者に対する為ではなく、農作業の手が止まった少年を打つ為の物だ。


 砦とスラムの住人を食わせるにはこの畑と果樹園だけでは不十分に見えたが、どこか別の場所にも農業プラントがあるのかもしれない。


 そう考えながらモヒートは周囲を見渡していたが――。


「おい、おまえ! そこで何をしている、どこから入って来た!」


 防壁の上で周囲を監視していた男がモヒートに気づいて声を上げた。


 だが、モヒートに焦る様子はなく。仁王立ちで腕を組みながら農作業を見続けていた。もちろん自分に声を掛けられたことは判っているのだが、モヒートの関心は別の所にある。

 声を上げた男に視線を向けると、組んでいた右手の指を立て“こっちに来い”とジェスチャーをする。


「おい、聞いているのか?!」


 ジェスチャーに従ったわけではないのだろうが、男が近づいて来たところでモヒートは口を開いた。


「俺はバストラルの客だ。で、この畑では何を作っているんだ?」

「何って、スガイモだ。葉を見ればわかるだろ」


 スガイモはフェイム大陸で一般的な主食食材なのだが、当然モヒートはそんなことは知らない。ルイザの隠れ村で回収した籠一杯の食糧こそ、このスガイモだったわけだが、食用部分である塊根は地中に埋まっているため気づくことはなかった。


「スガイモ……それは、うめぇのか?」


 それが少年たちの扱いよりも、声を上げた警備員よりも、モヒートが関心を向けた事だった



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