第9話 




 アクマリアのスラムに入ると、ルイザの予想通りに二人は周囲からの衆目を集めていた。モヒートはわざと走行速度を下げ、アリオンを見せつけるように大通りらしき道を走らせている。


(思った以上に飢えてやがるな……)


 モヒートは大通りに建ち並ぶ掘っ立て小屋を見渡しながら、その前で生気なく座り込む老人たちの顔を見ながら考えていた。


(ジジイとババアしかいねぇ……資源として利用できるガキや女は向こうか?) 


 そう考えて視線を向けるのは、明らかに防護壁として築き上げられた石壁だ。粗末な掘っ立て小屋と違い、こちらは組積構造とみても出来がいい。砦から伸びて湖を覆うほどの長さがあり、綺麗に継ぎ目なく迫上がる石壁をどうやって作ったのか。

 その反面、高さは三メートル程度しかなく、この程度の防壁で何から守るつもりなのか。ちょっとした踏み台でも用意すれば、石壁を乗り越えるのは難しくない。


 スラムを見渡しながらこの街の現状を確認していると、通りの先から馬に乗った武装した男たちが接近してきた。


「アクマリアの警備隊です」


 リアシートに座るルイザも気づいたようで、モヒートの耳元で囁くように呟いた。


「そこの二人、止まれ!」


 先頭を走る馬上の男が声を上げた。


 モヒートはその声に返答こそしなかったが、一先ず様子見をすることを決めてアリオンの動きを止めた。


「この先はバストラル様が治めるアクマリアの街だ! 貴様、何用……で? ルイザ卿――? 次にお越しになるのは一ヵ月後だったはずでは……それに、この馬? は一体……」

「今日は治療でやって来たわけではありません。バストラル卿に盗賊の情報とご挨拶に」

「盗賊?! 判りました。おい、門番に門を開けるよう連絡してこい。それと、バストラル様にルイザ卿が来られたことをご報告しろ」


 馬上の男が後ろに付き従う男たちに指示を出すと、後ろの二騎はすぐにきびすを返して駆けていった。







「スラムにルイザ卿が来ています」


 アクマリアの砦の一番奥、玉座とも言える大きな椅子に一人の男が座っていた。その横には服とは言い難い薄布一枚だけを着る女たちがしな垂れかかり、報告にやって来た警備隊員を無言の微笑みで見つめていた。


 玉座に座るのはアクマリアで二人しかいない騎士ライダーの一人、バストラルだ。だが、その容貌は騎士と呼ぶにはいささか似つかわしくない。

 はち切れんばかりに肥えた腹は玉座からはみ出るほどに大きく、脂ぎった顔と短髪の髪は手入れという言葉を知らないようだ。


「一人か?」


 口を開けば悪臭が漂い、警備隊の男は息を止めてバストラルの問いに首を振って答えた。


「一人じゃない~? おい、ジルーバ」


 バストラルが玉座に侍らす女たちの頭を軽くはたくと、女たちは急いで玉座の置かれた部屋から出て行った――その直後、女たちが部屋の外で大きく息を吸い込んでいたのは言うまでもない。


 女たちが出て行くと、部屋の隅から一人の影が進み出て来た。


「お呼びですか?」


 ジルーバと呼ばれた男は病的なほどに細い体躯をしていた。ボロボロの布を体中に巻き付け、それが更に体の細さを強調していた。顔すらも巻き付けられた布で隠れ、僅かに見えるのは両目と焼け爛れた頭部のみだった。


「生き残ったのはルイザ一人ではなかったのか?」

「ルイザ卿ともう一人、見知らぬ男が傍におりました」

「村の者か?」

「あのような瓜顔にトサカ髪、見たことはありません」

「ふぅむ、まさか儀式に成功したのか? いや、今更成功するはずもないか……それに、び出してどうするものか」

「男はいかがしますか?」

「欲しいのはルイザ一人だ」

「畏まりました」


 そう言って男は再び部屋の物陰へ下がると、始めからそこに居なかったかのように気配と姿が消えた。


「ルイザをここへ案内しろ」

「――はっ、はい!」


 顔を真っ赤にし、息を止め続けていた警備隊の男は最後の息を吐き出すように答え、即座に振り返ってバストラルの前から走り去っていった。







「ルイザ卿、バストラル様がお会いになるそうです」


 砦の内部へと案内され、一先ず待合室らしき小部屋に通されていたモヒートとルイザの下に、先ほどの警備隊の男がやって来た。


「モヒート様には?」

「ルイザ卿だけをお呼びになられています」

「あー俺はいい、ここで待っているから話を済ませてこい」


 部屋の中央に置かれた椅子に座っていたルイザとは対照的に、モヒートは部屋の隅に立って外の様子を眺めていた。


「わかりました。行ってまいります」


 ルイザと警備隊の男が部屋を出て行っても、モヒートは振り返ることなく外を見続けていた。


(湖に果樹園か……あの小舟は……まさか、食える魚がいるのか? それに、ここで働いているのは女ばっかりだな)


 旧北アメリカでは食べられる魚がほとんどいない。『アルキメデス』をエネルギー源とした兵器の数々は、空気汚染や土壌汚染などを引き起こさない清浄兵器クリーン・ウエポンではあったが、その代わりに破壊された化学プラントや製造プラントから溢れ出た有害物質が大地や河川を汚した。

 山奥の湖や海へ出れば新鮮な魚貝類を食べることも出来たのかもしれないが、それが可能な漁場はレッドスパイク以上の組織によって管理されていた。


 縄張り争いは今も昔も戦争だ。レッドスパイクは荒野を縄張りとしていたが、組織としては総勢三〇人程度の中規模クラス。海岸や汚染されていない湖は数百人規模の大組織が縄張りとしていた。

 レッドスパイクのボスは安全第一、保身優先、弱肉強食を誰よりも理解しており、自分よりも強い者には決して戦争を仕掛けなかった。


 その為、レッドスパイクの一団が海岸線や河川に出向くことは殆どなかった。


 モヒートは何かを探すように湖のほとりや果樹園周辺を見渡すが、お目当てのものが見つからない。部屋の窓から身を乗り出し、砦の隅々まで見渡すが――。


(ガキがいねぇ)


 砦に入るまでに通過したスラムには老人ジジ・ババしかいなかった。砦の中は警備隊の男以外は薄着の若い女ばかり。しかし、どこを見渡しても子供の姿がなかった。

 最初に丘の上からアルマリアを見下ろした時、スラムの反対側に田畑が広がっているのが見えた。


 角度的に見ることが出来ない畑の方向に視線を向けると、居るならそっちか……と見当をつけた。


 モヒートは別に子供が好きなわけではない。ただ――集落コロニーの価値を知るには子供の数や健康状態を見るのが一番だと知っている。

 成長するまで力仕事ができず、食糧と育てる時間をひたすらに消費する子供を養う余力がどれ程あるか。それが見えれば、おのずと集落コロニーの力が判る。


 モヒートはジャケットの内ポケットからメタルコームを取り出すと、深紅のモヒカンヘアーを手入れしながら僅かに思慮を巡らし――。


「んー、決めた」


 ピンッっと天を衝くモヒカンヘアーを整え終えると、モヒートは窓に足を掛けて部屋の外へと飛び降りた。







「ルイザ卿、本日は何用かな? このバストラル、卿の願いなら何でも聞き入れる用意があるが……もしや長年の願いを聞き入れ、我がアルマリアで暮らすことを決断してくれたか!」


 玉座の間と呼ばれる砦の一室に案内されたルイザは、バストラルが口を開くたびに漂う悪臭にも表情一つ変えずに相対していた。


「その件はお断りしたはずです。今日は私たちの村を襲撃した盗賊の情報と、ご挨拶に伺いました」

「盗賊に襲われた……それで、村の方は?」

「私一人を残し、皆は……」


 バストラルに向けていたルイザの視線は自然と自分の足元に落ち、家族を失った喪失感を思い出して瞼が閉じる――。

 そして、その僅かに俯いた姿をバストラルが脂ぎった顔を歪ませて見つめていたことに、ルイザが気づくことはなかった。


「一族の者たちに哀悼の意を捧げよう……盗賊はライデンが戻り次第、討伐隊を編成して始末する」

「いえ――」


 ルイザは視線を再びバストラルへと戻し――。


「――村を襲った盗賊はすでに全滅させています。頭目と思わしき男も始末しましたので、残っていたとしてもごく少数でしょう」

「ほぉー! さすがは“白騎士”ルイザ。では残党狩りは任せてもらおう。この私の支配圏で悪事を働くことがどういうことか、その身にしっかりと教え込んでやらねばならぬ」

「お任せします」

「それで……挨拶というのは?」

「この地を離れることに致しました」

「この地を……離れる……?」


 それまではお互い同じ騎士ライダー同士、穏やかに話が進んでいたのだが、ルイザがこの地を離れると話した瞬間、バストラルの雰囲気が少し変わった。

 ルイザもそれに気づいていたが、むしろ今までの会話が穏やか過ぎたと言った方が正しかった。



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