第8話


 


 食糧や日用品、それに旅路で必要になるであろう道具類全てを体内に取り込み終えると、モヒートとルイザは隠れ村を出発し、湖の傍にあるという小さな街に向かって歩き出した。


 深い森を進み、林を抜け、草原に出たところでモヒートの足が止まった。


「モヒート様、どうかしましたか?」


 モヒートの少し前を歩いていたルイザがその足を止め、顎に手を当てながら何やら考え込むモヒートへと振り返った。


「いやな、ルイザ――」

「はい」

「――歩くの面倒くさい」

「はい?」


 モヒートが何を考えていたかといえば、旅の移動手段についてだった。しかし、隠れ村で飼育していたはずの馬は盗賊たちの夜襲時にどこかへ連れて行かれ、その盗賊たちが乗ってきたはずの馬も、村の近くを捜索したがどこにもいなかった。

 つまり、移動するための足は己の両足しかない――そう、ルイザは結論付けていた。


 しかし、モヒートは違う。


 モヒートにとって旅とは、相棒バイクと共にあるものだ。絶望に覆われた死の都市で、自分の背後にまで迫った死神の鎌を置き去りにし、目の前に続く生き抜くための道を走り続けた。

 それはこの世界に召喚されても決して変わらない。モヒートの傍にはいつでも相棒がいる。


「来い、アリオン!」


 モヒートは空を見上げながら右手を天に掲げ、相棒の名を叫んだ。それは天駆ける八本足の天馬――その名を付けられたモヒートの愛機である深紅の四輪バイクは、改造に改造を重ねた特別製だった。


 岩や砂だらけの荒野でも、砂漠化した砂地でもモノともせずに走り抜け、短時間ならば水上走行すら可能とする。最高速度は条件付きで六〇〇km/hにも達し、永久機関『アルキメデス』を内蔵したエンジンは燃料切れの心配なく走り続けることが出来る――のだが。


 突然のモヒートの叫びに釣られ、ルイザもモヒートが掲げる右手の先へと視線が動く――しかし、そこには雲一つない青空が広がるだけで、別段何の変化もない。


「……?」


 モヒートが何かを作り出そうとした。ルイザはそう考えたのだが、どうやら違うらしい。視線を澄み渡る青空から再びモヒートへと下すが――目の端に捉えた膨らみに引き寄せられるように視線はさらに下がり、モヒートの股間付近で止まった。


「っ――?!」


 その膨らみの大きさに、ルイザは思わず赤面して一歩後退あとずさる。その動きにモヒートも気づき――。


「ん? どうした。顔が真っ赤だぞ――」


 天を見上げていたモヒートの視線がルイザの赤面した顔で止まり、その直後に自分の下半身に起きた異変に気づいた。


「――って、そこから来るのかよ!」


 股間の膨らみはズボンを破るほどの大きさだったが、そこから染み出るようにして二本の分厚いタイヤが、そして白銀のフロントフォークが伸び、深紅の流線型カウルへと繋がる――続いてモヒートの尻が膨らみ、股間と同じように二本のタイヤが顔を出し、それを包み込む同じく深紅のリアカウルが見えたところでモヒートの体が持ち上がる。


「おっ? おぉ?!」


 アルキメデスが内蔵されているコアユニットに続いてモヒートの股間に染み出て来たのは黒革の三段シート、二人乗りを想定したシートのドライバー側は少し座高が低く、リアシート部分が一般的なバイクの座高に近い。 


 全長三メートルを超える深紅の大型高機動四輪バイク“アリオン”、それがモヒートの相棒であり、愛機であった。


「モ、モヒート様、これは一体……」


 ルイザの表情から赤みは消え、今度は得体の知れない巨大な物体への恐怖と困惑の色を浮かべていた。


「おぅ、こいつは俺の相棒――アリオンだ」

「アリオン……で、これは一体……車輪が付いているようですが、その体勢では押しにくいのでは?」


 どうやらこの世界にはバイクや自転車の類はないようだ。そうモヒートは判断し、アリオンの性能を雄弁に語ってやろうとも考えたが――。


「まぁ、ここに座れ。口で教えるより体に教えた方が早い」


 二段シートのリア側をポンポンと叩き、そこに座るようにルイザに促す。


「そ、そこにですか……?」


 恐る恐るリアシートに細く長い指を当て、その硬くも沈み込む感触に眉を顰めるが、その様子を面白そうに見ているモヒートの命に従わないわけにはいかない。  

 緊張で湧き出た唾をある意味覚悟を決めるように呑み込み、ルイザはモヒートと同じようにシートに跨った。


「よし、走行中は俺につかまるか、シートの下に持ち手があるからそこを握れ」

「え――?」

「んじゃ、行くぞー!」


 モヒートはルイザの返答を背に聞きながら、フロントカウルに覆われたメーターパネルを操作し、アルキメデスを稼働させてアリオンに命の鼓動を吹き込んでいく。


 アリオンなどのアルキメデスを動力源とした乗り物は、旧時代のガソリンエンジンとは違い、振動や騒音が遥かに小さい。アクセルを回せばアルキメデスが爆発的なエネルギー生み出し、流線型カウルに走るエネルギーラインに沿って車体全体へと行き渡る。

 メーターパネルに表示されるエネルギーゲインが十分に満たされたのを確認すると、モヒートはリアシートでモゾモゾと動くルイザに視線を向ける。


「しっかりと掴まっていろよ!」

「えっ?」


 ルイザの体勢が整うのを待たずに、モヒートはアクセルを捻り始めた。


 最初はゆっくりと――ルイザが戸惑いながらもモヒートにしがみつくのを待ち、速度を上げても振り落とされないのを確認して一気に速度を上げた。


「きっ、きゃぁぁぁ!」

「ルイザ――おまえ、そんな声出せるんだな」

「なっ! な――っ!」


 これまでルイザが乗った事のある乗り物といえば、農耕兼用の牛車か荷車を引く老馬車くらいなもの。

 それらと大型高機動四輪バイク“アリオン”を同じ乗り物として同列に扱うのには無理がある。


 草原の草花を舞い散らせ、アリオンは湖の街“アクマリア”に向かって疾走した。




「おい、ルイザ。あれがアクマリアか?」


 アリオンを停めた丘の先に、小さな湖を防壁で囲う砦らしき建物が見えていた。


『はい、騎士ライダーであるバストラル卿が治めている街です』


 ルイザは高速で走行するアリオンから何度も振り落とされそうになったため、幻装騎兵エクティスを頭部だけ纏い、ヘルメットの代わりとしていた。


 モヒートはアクマリアを見下ろしながら、かつての集落コロニーを思い出していた。


(ボスが水を管理し、資源を支配する。壁の周りにあるのはスラム小屋か……向こうには畑もありやがる)


 一目見れば支配構造がよく判った。旧アメリカでも似たような集落コロニーを何度も見たし、襲撃した。モヒートは無意識にアクマリアを襲撃するプランを考えていたが――。


「モヒート様? モヒート様!」

「あ、あぁ、なんだルイザ」


 気づけば、幻装騎兵を解いたルイザがアリオンを降りてモヒートの正面に立っていた。


「ここからは歩いて行きましょう。モヒート様のアリオンは目立ちすぎます。それに……バストラル卿は欲深い人です」


 そう言ってルイザの視線がアリオンに落ちるのをモヒートは見逃さなかった。


「ふぅ~ん」


 つまり、バストラルというアクマリアの支配者は、モヒートのアリオンを知ればそれを欲するだろうとルイザは言っているのだ。


 だが、それを聞いたモヒートにアリオンを隠すという考えは思い浮かばなかった。上着の内ポケットからメタルコームを取り出すと、ここまでの走行で僅かに乱れたモヒカンヘアーを綺麗に整えていく。それはまるで、パーティー会場へ向かうための身だしなみを整えるかのようだった。


 ルイザはモヒートが髪を整えるのを無言で見つめながら、自分の提案が却下されたことを悟った。モヒートがどんな男なのか、それをルイザはまた一つ知ったのだ。


 にやけた顔で髪を整えるモヒートの手が止まる――。


「ルイザ、このままアリオンでアクマリアに行く。あの砦の内部には入れるのか?」

「はい、わたしとバストラル卿は同じ騎士ライダー、村が盗賊に襲われたことを知らせる必要もありますし、この地を離れることも言っておかなければなりません」

「この街にはよく来ていたのか?」

「数ヵ月に一度――食糧を分けてもらう代わりに、街の病人や怪我人を治療していました」


 幻装騎兵エクティスには、固有の能力が最低でも一つは存在する。村を襲った悪魔ディアブロが炎を操る能力であったように、ルイザの幻装騎兵エクティスは治癒と浄化の能力を持っていた。


 再びルイザがリアシートに座ったのを背中に感じながら、モヒートはゆっくりとアリオンを走らせ始めた。

 アクマリアで暮らす人々に見せつけるかのように、また――治癒の能力を持つルイザがこの地を離れることを、街の支配者であるバストラルとやらが大人しく聞き受けるかどうかを考えながら――。



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