殺せるもんなら殺してみろよ、魔王さま

「ぜえ、ぜえ……魔王さま、重いです……ひい、ひい……ひいいっ!?」


 ルイーナを降ろしてへばっているリムの鼻先、紅い敷き布にザクンッ! と剣が突き立った。刀身の光が失せる。


 神剣の加護を失い、瞳の色が金から碧へと戻ったグレイスが、喉元に包丁の切っ先を突きつけられながら「う、嘘……」と呟いた。


「わたしが、剣で遅れを取るなんて――」


「剣じゃねえ。包丁だ」


「……っ!」


 グレイスが唇を噛む。気丈な瞳でシイガをにらみ、訊いてきた。


「殺すんですか?」


「あん?」


「わたしを殺し、料理して、魔王城の『お仲間』に振る舞うおつもりですか?」


「いやいや」


 武器を手放して尚、戦意を失うことなく噛みついてくるグレイスに、シイガは苦笑。包丁を下げ、気配をゆるめた。


「しねえよ。魔王と同じ発想じゃねえか……俺が、お前を殺すわけねえ」


「え?」


 グレイスが目を丸くする。シイガは続けた。


「あのな、グレイス。言っただろ? グレイスもルイーナも、俺にとっては同じくらい好きで、大事にしたい存在だって」


「……はい、そうですね。言ってましたね、堂々と。覚えていますよ、はっきりと」


 グレイスの目がジト目に変わり、シイガをにらみつけてくる。それに構わず、シイガは告げた。


「作った料理を美味しく食べてくれるのは、魔王だけじゃなくお前もだ。だから俺は、お前のことも守ってやりたいと――」


「それは無理だな」


「あ?」


 響いた声に振り返る。グレイスとの戦闘で瀕死の重傷を負い、リムに介抱されていたはずのルイーナが全回復して立ちあがり、シイガたちの元へ歩み寄ってきていた。


「ル、ルイーナ……?」


「我に、そやつを見逃すつもりなどない。フェゴール、グラディアス、ライオネル……散っていった臣下たちのためにも、せめて仇を討ってやるのが、魔王たる我の役目よ。いかな貴様の頼みであろうと、勇者を生かすことなどできぬな?」


 鋭く伸びた犬歯をのぞかせ、ルイーナが凶暴に笑む。

 足の爪が敷き布に食い込んで裂き、背に生えた二対の翼が黒雷を弾けさせながら揺らめいていた。


「お前……なんだよ、その姿?」


「うん? ああ、これは真なる我の姿だ。抑えている魔力を全て解放した、本来の……ふふ。この姿を晒すことになるのは、実に九年ぶりだが」


 嗤うルイーナの頭部に生えた角は肥大し、黒く染まった白目に浮かんだ紫色の双眸、その瞳孔は竜のように細く収斂している。


 先が二股に分かれた長い尻尾を愉しげに振り、ルイーナが命じた。


「どけ、シイガ。我に勇者を殺させるのだ! 我の命令が聞けぬというなら――」


 ルイーナがはばたいた。瞬間、その体が爆ぜるように加速し、飛来する。


「うおっ!?」


 直後、雷撃のごとく叩きつけられた右手を、かろうじて防いだ。鋭い爪が包丁の腹を掻き、火花と黒雷を散らせる。

 爛々とした魔王の眼が、至近距離からシイガを射貫いた。


「貴様も、殺すぞ?」


「ああ。殺せるもんなら殺してみろよ、魔王さま」


「…………何?」


 視線を受け止め即答してやると、ルイーナが剣呑な気配を放った。そんな魔王に対しシイガは、いつも通りの物腰で続ける。


「もう二度と、俺の料理が食えなくなってもいいんだったらな?」


「む――」


 眉間に深いしわを刻んで、ルイーナが目を伏せた。


「た、確かに……貴様を殺してしまったら、我に料理を作ってくれる者がいなくなってしまうな。それは由々しき事態だ。貴様の料理が食べられなくなるというのは……」


 弱々しく呟いた瞬間、シイガに注がれていた殺気が弱まり、霧散する。

 ルイーナが「よし」とうなずいた。


「仕方あるまい。殺さずにいておいてやる」


「おう。ありがとうよ、ルイーナ」


「――だが、勇者は殺す」


 魔王のチョロさに呆れながらも安堵していると、ルイーナが声を低くし、再び敵意をにじませる。シイガをにらみ、威圧してきた。


「貴様のことは殺さぬが、邪魔をするなら半殺しにしてどかせるくらいはさせてもらうぞ? せっかく愉しくなってきたというのに、水を差すでないっ!」


「…………。もし、お前がこいつを殺しやがったら――」


 丸腰のグレイスを背にかばいつつ、シイガは告げる。


「俺は、魔王城の料理人を辞める。金輪際、お前に料理を作ってやらねえ!」


「シイガさん……」


「――ほう?」


 ルイーナの髪が逆立ち、黒雷がバチバチ爆ぜた。脅しではない。シイガの首へと手を伸ばし、ルイーナが獰猛に笑む。


「料理人ごときが、魔王の我に対してその態度……やはり、きっちり調教してやる必要がありそうだなあ? 貴様など、我が『隷呪』を刻んでやれば思い通りに――」


「できるもんなら、やってみやがれ」


 伸ばされてきた手首をつかみ、シイガはルイーナをにらみ返した。魔王相手に一歩も引かず、揺るぎのない言葉をぶつける。


「けどそんときは、お互い敵同士だルイーナ。俺は全力で抵抗させてもらうし、たとえ隷呪を刻まれたとしても、これまでみたいに仲良くやってくことはできねえだろう……そうなると、料理の味も保証できねえな」


「……むう」


 ルイーナが口をつぐんだ。シイガは溜め息を吐き、つかんでいた手首を離す。気配を和らげ、苦笑した。


「ていうか、アレだぜ? このまま世界を侵略し続けてたら、どの道『美味い料理』は食えなくなると思うぜ。世界が滅ぼされちまったら、食材がなくなるからな」 


「食材が……?」


「ああ。滅ぼされるまでいかなくても侵略されれば土地は荒れ、作物が育たなくなる。野菜も穀物も薬草も香辛料も、いいものが採れなくなっちまうんだ。そうやって食材の質が落ちれば、料理の質も落ちちまうよな? つまり――」


「……美味い料理が作れなくなる?」


「そうだ」


 シイガは首肯し、ルイーナを見つめる。


 竜を思わす異形の瞳に灯る怒りは戸惑いへと変わり、微かに揺らめいていた。だからシイガは言葉を重ねる。


 魔王を『説得』するために――


「いいか、ルイーナ。俺ら料理人に料理は作れても、食材は作れねえ。食材を作ってるのはこの世界にある豊かな自然や、この世界に住む人たちだ。そして、料理は俺が一人で創り出したもんじゃねえ。俺に料理を教えてくれた師匠でもねえ。先人たちが知恵を絞って調理法を考え、試行錯誤を繰り返し……途方もない時間と労力をかけて、育んできた『財産』なんだ」


「財産……」


「それを、お前は傷つけるのか? 暇潰しのためなんていう、くだらねえ理由で。お前が夢中になった料理と、この世界のことを」


「……ぬうう」


 ルイーナが顔をしかめた。シイガから目を逸らし、歯切れ悪く答える。


「そ、そんな風に言われてもだな……確かに我らがこの世界を侵略する理由は暇潰しであり、遊びであったよ? しかし――」


 グレイスへと視線を向けて、ルイーナが瞳を細めた。


「勇者の登場により我ら魔族側にも多大な犠牲が出はじめた時点で、この戦争は単なる遊びではなくなったのだ! 我は勇者を打ち倒し、この世界を滅ぼすと……そう本気で決めたのだっ! 今さら、やめることなどできん。いくら料理のためであっても、我は……我は『魔族の女王』として、臣下たちの仇を……っ!」


「仇、ねえ……」


 ルイーナの言葉を聞いた瞬間、脳裏にある思い出がよみがえる。

 それはシイガが魔王と関わることになったきっかけ。大事な配下を殺したシイガを、ルイーナが殺そうとしてきた際の記憶だ。


 あのときと同じ、怒りでぶるぶる震えるルイーナに、シイガは尋ねた。


「なあ。それって美味いのか?」


「――何?」


「仇討ちって愉しいのかよ?」


「シ、シイガさん! あなた、何言ってるんです!? これは、美味しいとか愉しいとかいう問題じゃ……」


「ルイーナ。クロを殺した俺のこと、お前は結局殺さなかったよな?」


 袖を引き、制止してくるグレイスに構わず、問いを重ねる。ルイーナが「む――」とうめいた。紫色の澄んだ瞳を見つめ、問う。


「その選択は、間違いだったか? 料理のために仇討ちをやめ、俺を赦して……お前は後悔したのか? しなかっただろ」


「……っ!」


 ルイーナが目を見開いた。シイガは微笑い、そして言う。


「やめちまえよ、世界征服。仇討ちなんか、やめちまえ。美味い料理が食えなくなってまで、したいことじゃないだろう? 俺を殺さず、赦してくれたみたいに……そしたら俺が、腕によりをかけた料理を振る舞ってやる! 俺の料理と、世界征服――どっちか好きな方を選びな?」


「シイガの料理と、世界征服…………」


 ルイーナがうつむいた。唇を噛み、押し黙る。やがて、


「……ふんっ」


 ルイーナが嗤う。シイガをにらみ、


「愚かだな。我の返事は決まっておろうが?」


 と吐き捨てるように答えた。


「世界征服――そんなくだらぬもののため、美味い食事を止めるバカがどこにいる? 我が選ぶのは、貴様の料理だっ!」


「……ああ。お前なら、そう言ってくれると信じてたぜ、魔王さま」


 微笑うルイーナにシイガは破顔し、緊張を解く。


 答えを待っている間、シイガの頭に浮かんでいたのは、食材調達のため魔王と一緒に訪れた港町での出来事だ。


 美味い料理のためなら――と、ルイーナは街を滅ぼさないでいてくれた。あの一件があったからこそ、シイガはルイーナを信じ、説得しようと決めたのだ。


 魔王の返事を聞いたグレイスが力なくへたり込み、気の抜けた声で呟く。


「えええ……なんですか、それ? こ、こんなことって……」


「グレイス」


 シイガはにいっと歯を見せ、訊いた。


「これでいいよな? お前が魔王を倒す必要、なくなったよな?」


「え? あ、はい……」


 瑠璃色の目をまたたかせ、グレイスはどこか夢を視ているような顔でうなずく。


「ま、まあそうですね……? 魔王が世界を滅ぼさないなら、わたしが魔王を倒す理由もない……のかな、うん。たぶん」


「へへっ。決まりだな!」


 シイガは笑った。パンッ! と手を叩き、


「うっし! そんじゃあ飯にするぞー。魔王と勇者、仲直りの晩餐だ。とびきり豪華で美味い料理を作ってやるから期待しとけよ、お前らあっ!」

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