魔王もろとも『始末』させてもらいます
「……っ!」
シイガは兜の下で歯を食いしばる。拳を握り、自問した。
(――どうする?)
ルイーナは魔王だ。この世界を侵略している魔族の女王であり、諸悪の根源であり、人類の敵。世の平穏を脅かす存在だ。
実際シイガも出会い頭に殺されかけたり、隷属魔法で従わされたり、魔族の城に拉致監禁されたり、ことあるごとに雷を浴びせられたりと、散々な目に遭わされてきた。
けれど――
「……シ……イ、ガ…………」
仰向けに倒れたルイーナが、か細い声で呟く。その全身はズタボロで、普段のような覇気もなかった。魔王の元へ近づいていたグレイスが、歩みを止める。
「は? 今、なんと?」
「…………」
ルイーナの反応はない。グレイスが眉をひそめた。
「わたしの空耳でしょうか? 魔王の口から『彼』の名前が聞こえたような気がしたんですけど……おかしいですね? おかしいですよ。なぜ魔王なんかがあの人の名前を、それも自らが死ぬ直前に呼んだりするんです? ねえ?」
魔王を見つめる金色の双眸が、炯々とした光を宿す。早口で問うグレイスに、しかしルイーナは答えない。
すると、グレイスは――
「……いや、うん。気のせいですね、うん! わたしの聞き間違いでしょう。きっと、もうすぐ終わるからです。わたしの〈勇者〉としての使命が……」
不穏な気配を一変させ、明るい調子でうなずくや、気を取り直して剣を構える。床を蹴り、雑念を吹き飛ばすように叫んだ。
「とどめですっ!」
迫るグレイスを目前にして、ルイーナがようやく体を起こしはじめる。その動き
は、致命的なほど緩慢だった。
「くっ――」
うめくルイーナを見下ろしながら輝く剣を振りあげて、己の勝利を確信したグレイスが頬を歪める。
「さようなら! 世界の、そしてわたしと『彼』の未来のために……果ててください。〈魔王〉ルイーナ・イルエンデっ!」
裂帛の声と同時に振り下ろされた神剣が、
――ガキイイインッ!
横合いから割り込んできた、乱入者の大剣に受け止められた。
「……っ!?」
金色の目を見開くグレイス。剣の光が爆発するように強まり、魔力の衝撃波となって玉座の間を吹き荒れた。
「うおおおおっ!?」
まとった黒いマントが破れ、白い衣服が露出する。赤いスカーフが千切れ飛び、首に刻まれている紫の呪印が、溶けるように浄化された。
「え?」
グレイスの手に込められている力がゆるみ、荒れ狂っていた光が鎮まる。金から元の銀に戻った剣を引いてよろめき、グレイスが呆然とした。
「あ、あれ? そ、その服……その、大剣……え? あれ?」
グレイスの瞳に映るのは、漆黒の面つき兜。
勇者の神剣を受け止めていた大剣、オリハルコンの《竜切り包丁》を下ろすと、邪魔な兜を脱ぎ捨てて言い放つ。
「やめろ、グレイス」
「…………シ、シイガ……さ、ん……?」
露になった乱入者の素顔を凝視し、グレイスが剣を落とした。
「ど、どうして……」
声を震わせ、グレイスが訊く。
「なんで、シイガさんが……えっ? ここ、魔王のお城ですよね? 魔族の本拠地ですよね? なのにどうして、シイガさんが……?」
シイガは驚愕と困惑に揺れる碧い瞳を見つめ返し、答えた。
「すまん。今まで、ずっと黙ってたけど――俺、魔王城の料理人なんだ」
「……魔王城の?」
「ああ。一月くらい前、旅の途中でたまたま遭ったドラゴンを狩り殺したら、そいつが魔王の配下でさ。そのまま、殺されかけたんだけど……俺の料理を食わせてやったら、なんかすげえ気に入られちまったんだよ。そんでまあ、命を見逃してもらう代わりに、ここで無理やり働かされる羽目になったんだ」
戸惑うグレイスに事情を話しつつ、背後のルイーナを見やる。ルイーナは満身創痍の体を起こし、驚いた表情で固まっていた。
グレイスが「無理やり……」と呟く。そしてすぐさまハッとして、
「つまり好きでそんな仕事をしているわけではないんですね!? わかりました、シイガさんっ! わたしが魔王ルイーナを討伐し、あなたを救い出してみせ――」
「いや、いい。やめろ、グレイス」
「――へ?」
グレイスが神剣に伸ばしかけていた手を止めた。目を白黒させるグレイスに、シイガは己の胸中を吐露する。
「確かに最初は無理やりだったし、嫌々だったよ。魔王のために料理を作らされるとか冗談じゃねえし、逃げられるんならさっさと逃げたい、自由になりたいって思いながら過ごしてたんだ」
「シイガ……」
「けど」
寂しげな声を漏らすルイーナを横目に、シイガは微笑った。魔王城での日々、魔王と過ごした時間を思い返すと、自然に笑みがこぼれてしまう。
「こいつ、すげえ美味そうに飯食うんだよ。俺が作ってやった料理を『美味い美味い』とかベタ褒めしながら。それが嬉しくて、幸せで……気づいたら、俺もすっかり馴染んじまってた。魔王城の料理人っつう職業を『悪くない』って思えるようになっていたんだ。なかなか認められなかったけどな。どうやら俺は、魔王のことが好きらしい」
「!? すっ――」
ルイーナが絶句した。口をパクパクさせながら、呆気に取られている。
グレイスが愕然として問いかけてきた。
「ま、魔王のことが好きって……は? なんですか、それ……シイガさん、言ってくれましたよね? わたしのこと、好きだって……」
「ああ、グレイスのことも好きだぞ」
「えっ」
「俺の手料理、美味そうに食ってくれるし」
「…………。え?」
グレイスがポカーンとした。ルイーナが溜め息を吐き、
「なんだ、そういう意味の『好き』か、まったく……紛らわしい奴め」
と弛緩する。シイガは続けた。
「グレイスもルイーナも、俺にとっては同じくらい好きで、大事にしたい存在なんだ。だから、争わないでくれ。戦わずに済む道を探そう。一度みんなで飯でも食いながら、穏便に話し合い――」
「ふふっ」
グレイスが笑う。顔をうつむかせているため、表情はよくわからない。だが、
「あはは! なるほど、そうだったんですね? あのとき、私に好きだと言ってくれたのは告白ではなく、ただの……ふふ。なあんだ、そっか……そうだったんですかあっ! あの誓いも、約束も……全部、わたしの勘違い……ふふっ、うふふふふふふ」
「……グ、グレイス?」
「ねえ、シイガさん」
狂気的な笑い声が止まった。うつむいたまま、
「どうしても、邪魔をするおつもりですか? ただ『美味しくごはんを食べてくれる』というだけの理由で魔王をかばい、助けようとするおつもりで?」
一転、冷たい声音で尋ねてくるグレイスに、シイガはきっぱりと答える。
「ああ。俺は料理人だ。そして料理人が守るのは、世界の平和なんかじゃねえ。作った料理を美味しく食べてくれる奴の笑顔、ただそれだけだ! それだけで充分なんだよ、俺が命を懸けるのにはなっ!」
「……そうですか」
グレイスが嘆息し、瞼を閉じた。
「わかりました」
呟き、ゆっくり瞼を開く。昏く濁った瑠璃の瞳が、シイガを射貫いた。その双眸に、宿っているのは――
「なら、魔王もろとも『始末』させてもらいます」
刃のように冴え冴えとした、殺意と敵意。人間ではなく魔物を見るような目でシイガを捉えて剣を取り、グレイスが斬りつけてきた。
――ギイインッ! 正確無比かつ疾風迅雷。首を狙って薙がれた刃を間一髪、竜切り包丁で受け止める。碧い瞳が金へと変わり、炯々と輝いていた。
「リムっ!」
「はひいいっ!?」
気づかれないようそろりそろりと、自分だけちゃっかり逃げ出そうとしていたリムが急に名指しされ、ビクッと立ち止まる。
「あああっ、いや……あのね、お兄ちゃん! えっと、その……リムは、助けを呼び
にいこうと思って――」
「ルイーナのこと頼む!」
しどろもどろに弁解してくるリムに告げると、シイガは隷呪が消滅させられたことで爆発的に増加した魔力を両手に集め、力任せに剣を弾いた。
グレイスが体勢を崩し、よろける。
「なっ!? なんて腕力っ……」
「料理人の底力だ、おらああああああっ!」
「くっ――」
まともに受けるのは危険と判断したのか、グレイスは後退。薙がれたシイガの包丁を避け、距離を取った。シイガはすかさず追随し、重たい刃をぶん回す。
リムが翼をはためかせて飛び、ルイーナに近寄った。
「りょ、了解! 魔王さまには、指一本触れさせないからっ!」
「おう! 任せたぜ、リム――」
「〈フォトンスラッシュ〉!」
シイガが一瞬目を離した隙に魔力を溜めたグレイスが、光の刃を斬り放ってくる。
シイガは咄嗟に体をずらし、ギリギリでそれを躱した。
「〈ホーリーボルト〉!」
立て続けに詠唱。頭上に広がる巨大な魔法陣から吐き出される雷の驟雨を、シイガは飛びすさって避ける。シイガの体が宙を舞い、一気に距離を遠ざけた。足に魔力を移動させ、跳躍力を強化したのだ。
人間離れしたシイガの動きに目を見張り、グレイスが歯を食いしばる。
「!? まったく……信じられない身体能力ですねっ! さては、あなた――」
腰を落として剣を引き、グレイスが金色の目を光らせた。
「人間ではなく魔族なんでしょう!? だから、味方をしているんじゃないですか!?」
「はあ? んなわけ――」
「この嘘つきいいいいいいいいいっ!」
激昂するなり剣を振り、グレイスが光刃を薙ぎ放つ。一発ではない。剣を返して二発三発四発と、シイガ目がけて光の刃を放ちまくった。
冷然とした様子が一変、癇癪でも起こしたように吼え猛り、部屋いっぱいに広がるほどの巨大な光刃を、縦横無尽に斬り放つ。
「落胆しました、失望しました、絶望しました! わたしがどれだけ舞いあがっていたと思って……あああ、殺したいっ! あなたも、過去のわたしもおおお!」
「うおわああああ!?」
逃げるシイガの体をかすめ、グレイスの光刃が魔王の城を斬り刻む。
「ひいいいっ!? ゆ、勇者が狂戦士に――なっちゃってるううう!?」
リムがルイーナの体を抱えあげて飛び、巻き込まれないよう死に物狂いで魔法を回避していた。壁を貫き、床を裂き、シャンデリアを斬り飛ばしつつ、光の刃が荒れ狂う。
シイガは、がしゃんっと落下するシャンデリアを横目に天井を蹴ると、空中から肉
薄し、叫んだ。
「グレイスっ!」
振りかぶった包丁を、言葉と共に叩き込む。
「落ち着きやがれ、バカっ!」
「シイガさんこそっ!」
包丁を回避して、グレイスが斬りつけてきた。光り輝く神剣の刃を、シイガは強靱な超稀少金属の刃で受ける。互いに激しく斬り結びながら、
「どうか頭を冷やしてください! 魔族じゃないのに魔王の味方をするなんて、正気の沙汰じゃありませんっ! 奴らは悪です、この世界の侵略者ですよ!? 自然を破壊し、村落を蹂躙し、人々を虐殺している悪辣な……」
「だからどうした!?」
シイガは魔功によって高められた視力で、グレイスの苛烈な斬撃を見切ると――
「善悪なんざ、世界の平和なんざあ、知ったこっちゃねえ! 料理人の俺に考えられるのは……料理と、それを食わせる奴のことだけだっ!」
同じく強化された膂力で、重く巨大な竜切り包丁を小剣のごとく振るい、グレイスの剣を弾き飛ばした。手から離れた神剣が、クルクルと宙を舞う。
「!? なっ――」
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