魔王さまのこと、助けてあげてよお兄ちゃああん!

「ん? ああ、すまぬ……勇者の御託が退屈すぎてな。寝落ちしておったわい」


「いやいや。お前、緊張感なさすぎるだろ」


 ぼそりと小声でツッコむシイガ。

 魔王の舐め腐った態度に、グレイスがこめかみを痙攣させた。


「……た、大した余裕ですねえ? 魔王ルイーナ――」


「落雷」


 玉座に腰かけたまま、ルイーナがおもむろに呟く。

 瞬間、グレイスの頭上に紫色の魔法陣が浮かび、ほとばしった幾条もの黒い稲妻が、絡み合いつつ襲いかかった。


「くうっ!?」


 グレイスは素早く反応すると横に跳び、なんとか直撃をまぬがれる。


「……ふんっ。小娘が」


 鼻を鳴らして立ちあがり、ルイーナが髪を払った。階段を下りながら、


「どれ、遊んでやろう。――雷っ!」


 ルイーナは無造作に右手の平を向けると、二発目の雷獄魔法を撃ち放つ。


「斬り払いますっ!」


 グレイスは黒雷を避けることなく、薙ぎ払うように剣を振るった。その刀身は、瞳と同じく金色に光り輝いている。


「ディヴァインテイン!」


 黒雷に刃が触れた瞬間、魔王の魔法がまるで幻のように掻き消え、消滅させられた。


「ぬ? なんだ、その剣は……魔剣か?」


「いいえ」


 輝く剣を構え直して、グレイスが応じる。まるで鼓動のような明滅を繰り返しているその刀身には、よく見れば術式らしき精緻な紋様がびっしりと刻まれていた。


「偉大なる〈精霊王〉カレイムさまより賜わりし、神の剣です。その光刃は悪しき魔を打ち払い、よこしまなる者どもを葬り去る、破邪の――」


「雷!」


 魔王が放った黒雷を、勇者の神剣が消し飛ばす。


「無駄です。魔族の魔法は効きません! たとえ魔王のものであろうとも、我が神剣は等しく闇を斬り払い、世界に光をもたらすのですっ!」


「…………ほう?」


 ルイーナの表情が歪んだ。恐怖でも焦燥でも動揺でも驚愕でもなく、愉悦の形に。

 それは魔王が生まれて初めて『料理』を目の当たりにしたときのような、期待と好奇に満ちあふれた表情で――


「おもしろい。ならば、斬り払ってみせろっ!」


 直後、ルイーナは抑えつけていた魔力を解放。長髪が翼のごとく広がり、ルイーナを中心にして暴虐なる魔力の嵐が渦を巻く。次の瞬間、


「万雷!」


 渦巻いていた魔力が雷雲のように輝き、辺り一帯に黒雷の雨を降らせた。その攻勢はすさまじく、剣一本では到底さばききれない。


「ああああああっ!?」


 黒雷の驟雨を全身に浴び、グレイスが床に倒れる。シイガとリムも危うく巻き込まれかけるが、前方への雷撃が主だったため、なんとか逃れた。


「おい魔王、俺たちまで殺す気か!?」


「そうですよ! あたしの可愛いハート型の尻尾が、焦げちゃったじゃないですか!?」


「……すまぬ。加減をし損ねた」


 怒る臣下にしれっと謝り、ルイーナがグレイスへと視線を戻す。


「ぐ、ううう……っ!」


 グレイスは剣を支えに片膝で立ち、しびれる体を起きあがらせていた。

 ルイーナが喜色を深める。


「ほう? 我の万雷〈ブラックレイン〉を喰らっておいて、まだ動けるか! しかし、さすがに起きあがるのが限界のよう――」


「〈リジェネレイション〉!」


 グレイスがそう唱えた瞬間。剣の光が彼女の体を包み込み、柔らかく輝いた。


 するとみるみる傷が癒え、ふらつくことなく立ちあがったグレイスが、金色の双眸でルイーナをにらむ。


「言ったはずです。魔族の魔法は効かないと!」


「……ふむ、回復魔法か。とんでもない回復力をしておるな?」


 驚きに目を見開いて、ルイーナが呟いた。

 感心しつつも未だ余裕たっぷりの魔王に、グレイスは強い想いを感じさせる眼差しと声音で、滔々と言葉をつむぐ。


「わたしは、負けない! 負けるわけにはいかないのですっ! 世界を、そして『彼』と交わした誓いを守るため――〈魔王〉ルイーナ・イルエンデ、あなたを今ここで打ち倒します!」


 光り輝く神剣を構えて、グレイスが駆けた。

 迎え撃つのは、魔王の黒い雷だ。


「ふんっ、やってみろ! 我も負けぬぞ、勇者の娘よ!? まだまだ、食い足りないのでなあああっ!」


 勇者と魔王、光と闇がぶつかり、爆ぜる。その衝撃は城を揺るがし、


(え、ええっと……まいったな。俺は、どっちの味方をすりゃあいいんだ……?)


 両者の激闘を見守っている、料理人の心を揺さぶった。


「雷っ!」


「ディヴァインテインっ!」


 魔王の右手から撃ち放たれた黒雷を勇者の剣が斬り払い、返す刀で薙ぎ放たれた光の刃を、左の手から奔った黒い稲妻が喰らい消す。


「ふははははっ! やるな、小娘。我の臣下を敗っただけのことはある!」


 ルイーナが哄笑し、紫色の目を爛々とたぎらせた。刹那、グレイスの頭上に魔法陣が浮かび、漆黒の落雷を浴びせる。


「あなたこそっ!」


 横っ飛びに雷撃を避け、グレイスが走った。上空に次々と新たなる魔法陣が描かれ、グレイスを追いかけるように黒雷を降らせる。


「さすが、魔族の女王ですね!? 恐るべき魔法の威力と魔力量です! けれど――」


 黒雷の雨を走って躱しつつ、グレイスが剣を構えた。すぐ振るうのではなくそのまま走り続けると、刀身が輝きを増し、まばゆい光子をまといはじめる。


「〈フォトンスラッシュ〉!」


 黒雷の間隙を突き、グレイスが溜めていた剣を振り抜く。


 瞬間、刀身からそれまでとは比べ物にならないほど巨大な、部屋一面に広がるような光刃が生み出され、斬り放たれた。

 ルイーナが目を剥き、迫り来る光刃に両手をかざす。


「雷壁!」


 かざした手の平を中心として黒雷の障壁が展開し、光の刃を受け止めた。黒い紫電がバリバリと散り、白い光とせめぎ合う。


「ぐおおお……っ!」


 魔王の黒い雷が、勇者の光刃を打ち消した。苦悶に歪められていたルイーナの顔が、歓喜に染まる。


「ふははは! どうだっ、喰らい尽くして――」


「魔王ルイーナ!」


 光の刃を追いかけて肉薄していたグレイスが、斜め下から剣を斬りあげた。光り輝く刀身が、黒雷の障壁を掻き消す。


 ルイーナは慌てて後退しようとするも、


「あなたを打ち破るため、わたしは研鑽を積んできましたっ!」


 剣を振り抜く勢いのまま、体を反転させたグレイスが、斜め上から剣を振り下ろし、鋭い斬撃を見舞った。


 魔を打ち破る勇者の剣は、魔王が展開している強固な結界を易々と裂き、白い肌から鮮血をほとばしらせる。


「ぐっ……雷!」


 頬を浅く斬り裂かれたルイーナが、グレイスに手の平を向け、黒雷を放った。


「ディヴァインテイン!」


 グレイスはその反撃を読んでいたのか、横っ跳びに避け、剣を薙ぐ。刃がルイーナの右脇腹を斬り、深い傷を刻んだ。


「ぐああっ!? 小癪な――」


 ルイーナがうめき、飛びすさる。

 しかし、グレイスは距離を詰めない。頭上高くに光り輝く剣を掲げて、


「その名は『神の杖』を意味します。即ち神剣とは本来、剣のように斬るものではなく紡ぐもの。使い手の魔力を爆発的に増幅し、増大させる究極の『魔道具』なのです――〈ホーリーボルト〉!」


 グレイスが呪文を紡いだ。掲げられた剣を中心として空中に金色の魔法陣が広がり、青白い雷の雨を降らせる。


「がああああっ!?」


 聖なる雷に貫かれたルイーナは絶叫。ぐずおれて膝をつき、グレイスをにらんだ。

 その視線を受け止め、グレイスは言う。


「この神剣の魔法を使えば、もっとたやすくあなたの部下である魔族を倒し、ここまで辿り着けたのかもしれません。ですが――」


「万雷っ!」


 ルイーナがお返しとばかりに、黒雷の驟雨を浴びせた。そのすさまじい雷獄魔法に、グレイスはあろうことか剣一本で応じる。


 踊るように体を運び、光り輝く剣を振るうと、嵐のような黒い雷撃をことごとく斬り散らしてみせた。ルイーナが驚愕の表情を浮かべる。


「き、貴様……」


「ただ神剣に頼るだけでは、きっと勝てない」


 神々しい金色の瞳でルイーナを見据え、グレイスが剣を構えた。


「旅の途中でそう悟ったわたしは、最大の武器である魔法を自ら封印し、己の技を磨き続けてきたのです。与えられたものに頼らず、魔法に頼らず、仲間に頼らず――ただ、ひたすらに!」


「くっ!? お、おのれえ……雷っ!」


「甘い!」


 ルイーナの雷撃を斬り飛ばして打ち消し、


「〈フォトンスラッシュ〉!」


 剣をひるがえしたグレイスが、光の波動を斬り放つ。


「ぐあああああああっ!?」


 防御の魔法を展開している暇もない。光の刃をまともに受けたルイーナが吹っ飛び、床を転げた。紅の敷き布に、赤黒い血溜まりが広がっていく。


「魔王さまあああっ!」


 リムが叫んだ。シイガの腕をぐいぐいと引き、悲愴な表情で泣きついてくる。


「やばいっ、やばいよお兄ちゃん! 魔王さまがやられちゃう……お願い、助けてっ! 魔王さまのこと、助けてあげてよお兄ちゃああん!」

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