ブイヤベースの仇だ
肩の鎧にピシッと入ったヒビを見て、ライオネルが口元を歪めた。鬱陶しげな表情が一転、好戦的に牙を剥き出す。
「……ほう? 己に啖呵を切ってみせるか。良い度胸だな!?」
嗤うや否や、ライオネルが近距離から目にも留まらぬ疾さで右腕を振るった。
ナイフを五本束ねたような爪が空を裂き、シイガを寸断せんとする。
「ぐっ!? 疾え――」
シイガは瞬時に飛びすさって躱すも、完全には避けられず、胸元を浅く切り裂かれてしまった。鮮血が散る。
シイガを射貫く血色の瞳が、ギラギラと輝いていた。
「人間風情がっ!」
開いた距離を一足で詰め、ライオネルがシイガの首に左の爪を薙ぎ振るってくる。
シイガは異空間から竜切り包丁を抜き、その爪撃を受け止めた。
「ぐうっ!?」
――重え! 衝撃で、得物が弾かれそうになる。
分厚い刀身がビリビリと揺れ、柄を握る手に汗がにじんだ。
刃を砕くようにつかんで、ライオネルが殺気立つ。
「貴様も、貴様が作る料理も、我ら魔王軍には無用の長物! 魔王サマが手を下さぬというなら、己が代わりに処分するまでっ! 料理などというくだらんものを持ち込み、魔王サマを惑わせた罪、その命を以て精算するがいい!」
「やなこった!」
シイガは右足に魔力を集中させると、ライオネルの腹を突き放すように蹴りつけた。
魔功によって強化された脚力は、強靱な筋肉に鎧われたライオネルの巨体をいともたやすく吹っ飛ばす。
「がっ!?」
長テーブルの上を越え、床を転がるライオネル。リムが「おーっ!」と歓声をあげ、パンを振り回しながら叫んだ。
「シイガお兄ちゃん、つよーい! やっちゃえーっ!」
「うむうむ! ブイヤベースの仇だ、我の代わりにとっちめてやれっ!」
「おうよ。言われるまでもねえ!」
この場の声援を一身に受けたシイガは竜切り包丁を担ぐと、長テーブルを跳び越えてライオネルへと歩み寄る。
「おい、ライオン野郎。勘違いしてやがんじゃねえぞ? 料理をここに持ち込んだのは俺じゃなく魔王だし、俺は魔王を惑わしてもいねえ。そして、何より――」
仰向けに倒れたまま動かぬ相手を見下ろし、吐き捨てる。
「料理はくだらなくねえよ。てめえら魔族の現状なんざ、知ったこっちゃねえけど……料理をコケにし、粗末にしやがったのは赦さねえ。力づくでも謝らせてやる! 料理のために犠牲になった、全ての食材たちになあっ!」
「――力づく?」
見開かれていたライオネルの目が細められ、シイガへと向けられた。
「フンッ。なるほど……人間にしてはなかなかできるようだな、小僧? ならば、己も本気を出させてもらおう」
獰猛に笑むライオネルの体から、すさまじい威圧感が放たれる。
暴力的にあふれ出し、爆発的にふくれあがったそれは魔力ではない。もっと単純で、かつ純粋な――殺意だ。
「ククク。すぐに壊れてくれるなよ!」
「ぐおあっ!?」
次の瞬間。跳ね起きながら振るわれた、斜め下からの爪撃を受け、シイガの体が天井近くまで吹き飛ばされる。かろうじて防いだが止めきれず、爪をもらった竜切り包丁が衝撃で撥ねあがり、
「がふっ!?」
間髪入れず追随してきたライオネルが、がら空きになったシイガの腹部に神速の蹴りを見舞った。かかと落としで、叩き墜とされる。
「シイガお兄ちゃんっ!」
「止め!」
リムが悲鳴をあげた。だがライオネルは追撃の手をゆるめない。天井を蹴り、空中を矢のごとく駆けると、叩きつけられた直後のシイガに、左腕の爪を振るった。大広間の床がバターのように切り裂かれ、深々と抉り取られる。
「……っぶねえなあ、クソッタレ!」
しかし、シイガは腹部に魔力を移動させ、筋肉を『硬化』させることによりダメージを和らげていた。
シイガはそのまま、転がるように爪を避けると、腹から腕へ魔力を移動。爪を振るい終わった相手に、渾身の斬撃を放った。
すかさず奔った右腕の爪が、その刃を撥ね返す。
「――ハッ!」
ライオネルが牙を剥き、息継ぐ暇もなく左の爪を繰り出してきた。
シイガはそれを、竜切り包丁の腹でガキィンッと受け止める。腕に魔力を集めていたため、弾かれず凌いだ。
ライオネルが笑みを深める。
「己の爪を防ぐか! 脆弱なる人間ごときが、愉しませてくれるっ!」
「うるせえ、料理人舐めんなっ!」
鋭い爪と包丁が、ぶつかり合って音を奏でた。嵐のように次から次へと叩き込まれる左右の爪を、シイガはことごとく受け、隙を見て包丁を薙ぐ。
攻めと守りを目まぐるしく入れ替えながら床を駆け、跳び、壁を走って、縦横無尽に斬り合った。その苛烈な戦いぶりに、リムが「はわあ……」と声を漏らす。
「……やば。筋肉バカと肉弾戦でやり合ってるよ、お兄ちゃん」
「ああ、大したものだ。若干押されてはいる様子だがまあ、我の隷属魔法が効いておるからな。低下した筋力でよく、あやつと張り合えるものだ」
リムの鍋からブイヤベースを分けてもらいつつ、ルイーナが呟いた。
二人の会話を聞き流しながら、シイガは相手の挙動に注意を払い、攻め入る隙を辛抱強く探し続ける。
既にシイガの頬や腕、肩や脇腹などには幾多の裂傷が刻まれており、徐々に押されはじめていた。ルイーナがくれた貯蔵庫のおかげで食材を保存するための異空間を維持する必要がなくなり、魔功に回せる魔力が増えてなければ、とっくに殺られていたかもしれない。正直、ギリギリの戦いである。だから――
「おおおおおおっ!」
肉を切らせて骨を断つ。ライオネルが爪を振るい終わった刹那、ほんのわずかに体勢が崩れた瞬間を見逃さず、シイガは防御をかなぐり捨てて特攻。骨や鎧ごと真っ二つに斬り飛ばすべく、全力で包丁を振るった。
「……っ!」
ライオネルが目を見張る。
「…………。見事だな」
沈黙の後、ライオネルが微笑った。シイガが振るった竜切り包丁の刃は、その脇腹に触れる寸前で止められている。一方、
「この己と、ここまで渡り合えるとは」
シイガの喉にはライオネルの右爪が、ピタリと押し当てられていた。シイガの額を、汗が流れる。
「だが、一刹那だけ遅かった」
「……ああ。もし刃を止めなかったら、俺のが先に切り飛ばされてただろうしな」
シイガは答え、ギリッと奥歯を噛んだ。悔しかったが、認めるしかない。
「あんた強ええわ。俺の負けだよ、完敗だ。けど――」
握った柄に力を込めて至近距離から相手をにらみ、刃を鎧に押しつける。ライオネルの眉が動いた。シイガは瞳をたぎらせて、
「てめえが料理にしやがったこと、赦すつもりはさらさらねえぞ? 相討ちでもいい。首を切り飛ばされてでも、てめえの胴をぶった斬る!」
と宣言してやる。すると――
「そうか」
ライオネルが気配をゆるめ、自ら爪を下ろした。
「……あん?」
そのいさぎよさに面食らう。ライオネルがシイガに背を向け、ブイヤベースがぶちまけられている床にしゃがんだ。そして、
「!? ちょっ、おい……」
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