食事? そんなもの、我ら魔族には不要です

「お待ちどう」


 出来あがった料理を大広間まで持っていき、豪奢な長テーブルに置く。

 金剛鉄アダマンタイトの丸底鍋で煮込まれたまま運ばれてきた今夜のメインディッシュに、ルイーナが目をキラキラさせた。


「おおおっ! な、なんという華やかな料理だ……フライングフィッシュにエビルロブスター、キラーシェルにクラーケンまで入っておるではないか!」


「ああ。獲れたて新鮮、海の魔物を贅沢に使った海魔鍋〈アビス・ブイヤベース〉だ! トマトベースのスープには、魚介と香味野菜の旨味がたっぷり染み出してるはずだぜ?薬草や白ワインで香りづけもしてある」


「ほほう! それまた、実に美味そうだ……ふふっ。いやあ、お手柄だったなあリム!お前が、シイガをアビス海に連れて行ってくれたおかげで――」


「…………」


「リム? どうした、死んだ魚のような目をして」


「別に、なんでもありません。なんにも、ありませんでしたから……フフ」


 リムがルイーナから顔を背けて、空虚に笑った。シイガに半眼を注ぎ、小声でぼそりと言い放ってくる。


「赦さないから」


 シイガをにらんでくるリムは心なしかげっそりとして、ただでさえ細い体がますます細くなってしまったように思えた。ちょっと搾らせすぎたかもしれない。


 さすがに気の毒だったので、シイガはリムの取り皿に、ルイーナよりも多めに具材をよそってやる。


「食えよ。美味いぞ?」


「…………」


「特に、クラーケンが絶品――」


「うがあああっ!」


 取り皿ではなく丸底鍋の方を引き寄せ、リムがガツガツと食らいはじめた。

 ルイーナが「なっ!?」と驚き、声を荒げる。


「血迷ったか、リム! 魔王の我を差し置いて――」


「まあまあ。いいじゃねえか、ルイーナ。このブイヤベースは、リムのおかげで出来たようなもんだし」


「……むう。それはそうだが、しかしだな……」


 取り分けられたブイヤベースとリムが独占している鍋を見比べ、ルイーナが不服そうにしていると。リムが、突然ぶわっと涙をあふれさせた。


「お、美味しい……美味じいよおっ! ホロホロのフライングフィッシュも、プリプリのエビルロブスターも、プルプルのキラーシェルも、全部おいひい♡ それから、憎きイカ野郎! 柔らかいのに歯応えがあって、噛むたび旨味と甘味がにじみ出てきて……あうう、おいひいいい♡ あたしの魔力とスープを吸ったクラーケン、おいぢすぎるよおおおおおおんっ!」


「リム……?」


 滂沱の涙を流しつつブイヤベースを食べ進めるリムに、ルイーナは当惑。やがて何かを悟ったような表情でフッと笑み、


「……そう、か。我のあずかり知らぬところで、よほど辛い出来事があったのだなあ。良い良い。存分に食え。そして全てを忘れてしまうのだ、リムよ」


「ふえええん! 魔王ざま゛あ゛あ゛あ~~~~っ!」


 なぐさめられたリムは号泣し、鼻をすすって食事を続ける。

 それを見ながら、ルイーナもブイヤベースに口をつけ、スープを飲んだ瞬間。城中に響くような大声で叫んだ。


「うんまあああぁ――――い!」


 相変わらずいちいち反応のでかい奴だが、気持ちいいので良しとする。


「おいお前ら、これも食え。石窯で焼いたバゲットだ。皮はパリパリ、生地はふっくらモチモチだぞ~? ブイヤベースに浸してから食えば、もれなく幸せになれる」


「ほう? 石窯ということは、我の贈った厨房が早速役に立ったわけだな! 苦しゅうない。どれ……」


「……ぐすっ。いただきまず」


 差し出されたカゴの中からパンを取り、リムとルイーナが各々スープに浸した。パンを頬張り、身もだえる。


「ん~~~~っ! おいひいいい♡」


「ぬおぅ!? ふわふわとした生地がスープをたっぷりと吸い、噛んだ途端にジュワアッと染み出してきおった! 浸して食べると大変美味だが……うむっ、そのまま食べてもなかなか美味いな。いいぞ、もう百切れ寄越せっ!」


「そんなにねえよ」


 ねだるルイーナに苦笑して、シイガがカゴごと手渡そうとしたとき。大広間の分厚い扉が、乱暴にぶち開けられた。


「魔王サマっ!」


 現れたのは、黒鈍色の鎧をまとう獅子の獣人。

 赤茶色のたてがみをなびかせ、肩を怒らせながら、ずんずん近づいてくる。


「一大事です、魔王サマ!」


「何用だ?」


「例の〈勇者〉に関することですっ!」


 落ち着き払った態度で訊くルイーナに、獣人は語気を荒くし、


「策略家のフェゴールに、魔界屈指の剣豪であるグラディアスまでもが討たれ、臆病者のリムは敗走……そして今日、奴に差し向けた己の右腕、オセも殺られた! もはや、悠長に構えている余裕などないっ! 持てる戦力全てを結集し、奴を邀撃――」


「ライオネル」


 興奮する臣下をたしなめ、魔王がパンを手に取った。スープに浸し「はむっ」と食いつく。咀嚼しながら、


「あほにひろ。ひょくじひゅうだぞ」


「……申し訳ありません、魔王サマ。今なんと?」


 魔王を見やる獣人、ライオネルの顔つきが変わった。

 ルイーナがパンを呑み込む。


「後にしろ。食事中だぞ」


「食事? そんなもの、我ら魔族には不要です」


「我にとっては必要なのだ」


「? 何を……」


「バカだなあ」


 困惑するライオネルにスプーンを向け、リムが嗤った。


「食事の良さも知らないの? ぷぷっ……さっすが脳筋、遅れてるう~」


「……ああ。なんだ、いたのか」


 今初めて気がついたという反応を見せ、ライオネルが肩をすくめる。


「勇者相手に部下を見捨てて、敵前逃亡したと聞いたが? よくおめおめと戻ってこれたな。恥を知れ! 食事の良さなど知る前に」


「はあ? 別に見捨ててませんけど……失礼なこと言わないで。〈リムちゃん好き好き大好きまじ愛してる隊〉のみんなが、命懸けで逃がしてくれたのっ! あたしだけでも助かるようにって――」


「ほざけ! そのふざけた名前の部隊は所詮、貴様が魔法で無理やり従属させた者たちだろう。そんなもの、仲間ではない……ただの『道具』だ。道具を使い、逃げた貴様は臆病者の卑怯者だよ。毒婦めが!」


「あはは。なら怒りん坊のライオンくんも、リムの道具にしてあげよっか?」


「フンッ、できるものならやってみろ。媚びることしか能がない売女めがっ!」


 ゆらりと立ちあがるリムに、ライオネルが牙を剥き出した。一触即発な雰囲気の中、ルイーナは『我関せず』といった様子で幸せそうに食事している。


「はーい、どうどう」


 魔王に動く気配がないので、シイガは仕方なく仲裁に入った。争いごとは食事の後にしてもらいたい。


「まあ、落ち着けよ。仲間同士で揉めてどうする」


「……なんだ、貴様は? リムの傀儡か」


「ちげえよ。俺は――」


「そやつはシイガ。魔王城の料理人だ」


 ゆったり食事を続けつつ、ルイーナが割り込んでくる。


「リムではなく我が雇った。城に住まわせ、日々様々な料理を作らせている……ふふ。料理は良いぞ、ライオネル? 食べると幸せな気分になれる、素晴らしい創造物だ」


「料理人? 魔王サマ、自らが……雇った?」


「うむ。最初は我も料理など不要だと思っておったし、リムもシイガに敵愾心を抱いておった。しかし今ではすっかり虜だ。だから、お前も食うてみよ。偏見ではなく、己の舌で判断してみるといい」


「魔王サマ……」


 リムが鍋ごと持っていったおかげで余った器を差し出し、ルイーナがブイヤベースを勧めた。次の瞬間、


「今は、そんなことをしている場合ではないっ!」


 ライオネルが激昂し、ブイヤベースを払い落とした。器が床に落ちて割れ、こぼれたスープが血溜まりのように広がる。


「ぁ……」


 目を見開いて硬直するルイーナに、ライオネルが詰め寄った。


「正体不明の〈勇者〉なる人間に我らの仲間が次々討ち取られているこの状況で、摂る必要もない食事をし、人が作った料理にうつつを抜かすなど……魔王軍の総帥として、恥ずかしいとは思いませぬか!? どうか正気にお戻りください、魔王サマっ!」


「……ライオネル」


 息巻く臣下に、魔王が笑う。髪が翼のように広がり、黒雷がバチバチと爆ぜた。


「貴様、言いたいことはそれだけ――」


「おい。てめえ」


 ルイーナがブチキレる寸前。シイガはライオネルの肩をつかむと、五指に魔力を移

動させ、微かに力を込める。


「食いもん粗末にしてんじゃねえよ……潰すぞ? マッシュポテトみてえに」


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