四皿目 悦び食う者、迫り来る者

お前、最高かよおおおおおおっ!

「シイガ。お前に贈り物がある」


 リムを打ち負かしてから、三日後の早朝。いつものように中庭で料理の仕込みをしているシイガの元を訪れ、ルイーナがそう告げてきた。


 シイガは動かしていた包丁を止め、怪訝な表情で訊く。


「……贈り物? なんだ、突然。悪いもんでも食ったのか?」


「ははぁ~ん? さては魔王さま……」


 シイガにくっつき、ベタベタしていたリムが、底意地の悪い笑みを浮かべた。


「プレゼントで気を惹こうっていう作戦ですね? このままだと、あたしにシイガお兄ちゃん取られちゃうから――」


「リム。貴様は後で我の部屋へ来い」


 ルイーナに真顔で命じられ、リムの表情が引きつった。体を離し、あさっての方角を見やると、


「あ、いっけなーい! あたし、用事を思い出し――」


「必ず来いよ?」


「…………。はい」


 リムが広げた翼をたたむ。


「だめだこれ、本気のやつだ。本気で怒られちゃうやつだ……」などと呟き、だらだら汗を流しはじめるリムに同情しながら、シイガはルイーナに尋ねた。


「――で? 贈り物ってなんだよ」


「ふふ。なんだと思う?」


「さあ。魔王が俺に贈るつったら、そうだな……死とか」


「ほう?」


「絶望とか……」


「ほしいのならば、くれてやろうか?」


「いえ、結構です。いりません」


「そうか。残念だ」


 シイガに向けた手を下ろし、ルイーナが髪を払った。帯電していた黒電がパッと霧散する。こういう不穏なやり取りにも、気づけばすっかり慣れてしまっていた。

 涼しい顔で野菜を刻むシイガに何も言わず背を向け、ルイーナが言う。


「ついてこい」


「え? 仕込みの途中なんだけど……」


「後にしろ。先に贈り物を受け取れ」


「……ここじゃだめなのか?」


「だめだ。いいからついてこい」


 言い捨てるなり、歩き出す。シイガは溜め息を吐くと包丁を置き、傍若無人な魔王さまを追いかけた。中庭を出て、黒い柱が立ち並ぶ回廊を行く。


 リムが、性懲りもなく腕を絡めてくっついてきた。


「シイガお兄ちゃんっ! 贈り物ってなんだろうね~」


「さあ。たぶん料理に関するものじゃね? あの場で渡せないっつうと、そうだな……すげえサイズの魔物とか」


「あー、ありそう。アビス海にはおっきい子たちがたくさんいるもん。クラーケンとかリヴァイアサンとか」


「おおっ! そいつはぜひとも料理したいな!」


 夢が膨らむ。場所が場所だから一人で挑むのは難しいかもしれないが、ルイーナたち魔族の協力があれば、なんとかなるだろう。


 今まで肉料理ばかりだったし、そろそろ魚料理も作ってやりたい。


(クラーケンならフライや炒め物、リヴァイアサンなら焼き魚か煮つけだな。超特大のイカ飯や、カマ焼きなんかもおもしろそうだ)


 などとあれこれ考えながら、魔王の後ろを歩いていると――


「ギャッ!?」


 曲がり角でシイガとぶつかりかけたリザードマンが、悲鳴をあげて飛びのいた。


「……っと、悪――」


「ギャアアアアアア!」


 シイガが謝りかけた瞬間、トカゲの魔物が尻尾を巻いて逃げ去っていく。


「うわあ~。シイガお兄ちゃん、めっちゃ怯えられてる」


「……俺が魔物に? なんでだよ」


「魔物を料理してるからでしょ」


「あー。食われるとでも思ってんのか……」


 シイガが魔王城に住みはじめて以来、やけに配下の魔物を見かけないなと感じていたのだが、もしかしたら避けられているのかもしれない。


「うーん。まあ、庭に生えてたマンドラゴラをその場で殺して薬味にしたり、城の中

にいるスライムを手当たり次第に狩ったりしてりゃ、逃げられるわな」


「パフェに使われてたスライム、魔王城の子だったんだ……」


「ああ、獲れたてだ。美味かっただろ?」


「うんっ!」


「なら別にいいじゃん」


「そうだね~。うん、ばんばん料理に使っちゃお!」


「ヒイイイッ!」


 反対側の曲がり角から顔をのぞかせ、リザードマンがおののいていた。


 そんなにビクビクしなくても、亜人系の魔物を食べる趣味はないから安心してもらいたい――と言ったところで、どうせ無駄だろう。


 何せ、魔王ルイーナと幹部のリムがそろって味方についているのだ。シイガが『料理に使いたい』と言った瞬間、その魔物の命運は尽きる……。


 今や魔物たちにとってシイガは『目をつけられたら終わり』の、魔王以上に恐ろしい存在と化していた。


「ついたぞ」


 魔物一匹いない城内を歩くことしばらく。先導していたルイーナが足を止め、シイガたちを振り返る。一階、大広間のそばにある部屋の扉の前だった。


「あれ、魔王さま……。ここって、確か物置ですよね? 前に開けたら、なだれ出てきた壺や鎧に危うく潰されかけましたけど」


「……そんなところにしまってあるのか」


「うむ。ほれ、開けてみるがいい」


「俺がかよ……」


 ルイーナに促され、シイガは嫌々取っ手をつかむ。扉の向こうに注意を払いながら、ゆっくりと引き開けた。


「……っ!?」


 直後。飛び込んできた光景に、目を見張る。

 そこは、雑然とした品々が所狭しと詰め込まれている薄暗い物置――ではない。


 石造りの巨大なかまどに広い作業台、煙突などの排煙装置や、流し台まで設けられている立派な『厨房』だった。


 シイガは半ば放心しながら、ふらふらと足を踏み入れ、視界に入る設備の一つ一つを確認していく。


「まじか、おい……って、これ《術式焜炉》じゃん! は、初めて見たぞ……」


 術式焜炉とは、あらかじめ刻まれた術式に魔力を流すことで火を作り出し、加熱調理ができる便利な代物だ。


 まだ一般家庭には普及していない最先端の技術で、かなりお高い。


「うおっ!? こんなところまで術式なのかよ、すげえな……」


 シイガが開けた貯蔵庫は、内側に刻まれている術式が青く輝き、氷魔法の冷気に満たされていた。しかも、魔法の強さで冷蔵と冷凍の二種類がある。


 シイガの異空間と同じだが、こちらは備えつけの『魔石』から魔力を吸い出しているため、これを使えばシイガ自身が消耗することもない。


「ふふふ。どうだシイガよ?」


 部屋の中央、作業台の前で立ち尽くすシイガにルイーナが近づいてきた。腕を広げて部屋を示しつつ、さも得意気に。


「我自らが世界各地の街へ赴き、強奪――もとい、収集した金品を使って買いそろえた品々だ。『ちゅうぼう』というのであろう? 我ら魔族は食事を摂らぬゆえそういった部屋がなく、作らせるのに手間取っていたのだが。今朝ようやく完成したのだ!」


 話しかけてくるルイーナに、シイガは声を震わせて訊く。


「ルイーナ……これが、お前の贈り物なのか?」


「うむ」


「俺が、自由に使っていい……のか?」


「もちろんだ」


 ルイーナがうなずいた。瞬間、


「お前、最高かよおおおおおおっ!」


 シイガは目の前の魔王に、思いきり抱きついていた。ルイーナが「ぬわあああっ!?」と悲鳴をあげる。


「なっ、なななな何をする!? 離せ、この無礼者めがっ!」


「ありがとう! ありがとうな、ルイーナあああ!」


「ええい、離せと言っておろうが――雷っ!」


「あぎゃぎゃぎゃぎゃ!?」


 ルイーナの体から黒雷がほとばしり、密着しているシイガを襲った。

 バリバリバリッと感電し、煙をあげて倒れ伏す。リムが「お兄ちゃんっ!」と飛んできてしゃがみ込み、頭を突っついてきた。


「お~い。死んでる?」


「……生きてるよ。なんとかな」


 隷属魔法で弱った体に『雷』は辛い。それでもなんとかうつぶせていた顔をずらして視線をあげると、冷たい目をしたルイーナが、冷たい声で謝罪してくる。


「すまぬ。魔法が滑った」


「い、いや……俺の方こそ、すまん。嬉しすぎてつい」


「つい抱きつくなっ! リムか、貴様は!?」


「あれ? 魔王さま、赤くなってる」


「憤怒でな!」


 怒鳴り、ルイーナが顔を背けた。しばし虚空をにらみつけた後、気を取り直すよう

に鼻を鳴らし、呟く。


「ふんっ……まあ、気に入ったのなら構わぬが。どうだ、料理ははかどりそうか?」

「ああ。おかげさまでな……最高の厨房だ! これなら、もっと色んな料理が作れる。あんたがくれた贈り物のお礼は、俺の料理でさせてもらうよ」


「うむ。期待している。ただ――」


 ルイーナの声が再び硬くなる。剣呑に目を細め、


「勘違いするな? 我が贈り物をしてやったのは貴様が作る料理のためであり、貴様のためでは断じてないぞ!?」


 そう言い放つ魔王の頬は、まだほのかに赤らんでいた。



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