お兄ちゃん。リムのこと、味見してみる?
◆ ◆ ◆
水洗いした竜すじ肉を寸胴鍋で茹でながら、おたま片手にアクを取る。
竜すじ肉は竜が最も運動に使う部分だけあり濃厚で、旨味も凝縮されているのだが、そのぶん臭みが強く硬いため、丹念に下処理をしなければならない。
ただ茹でるのではなく、茹でたらいったん水で洗って粗熱を取り、また水から茹でる『茹でこぼし』を何度か行い、雑味を取り除いていくのだ。
「手間はかかるが、きちんと下処理をしたすじ肉は、舌の上でホロホロと崩れるような柔らかさになる。ゼラチン質も豊富で、プルンプルンの食感だ」
「プルンプルン? リムのおっぱいみたいだねっ!」
リムがシイガの腕に抱きつき、胸をむにゅうっと押し当ててきた。今朝の鍛錬で怖気づいたと思いきや、そんなことはないらしい。
――否、むしろ悪化している。
リムはシイガが反応しないのを見ると、腕を離して羽ばたきながら背後に回ってしなだれかかり、耳元でささやいてきた。
「お兄ちゃん。リムのこと、味見してみる? それとも、リムがしちゃおっかなあ♡」
胸をシイガの背中に押しつけ、耳孔にふうっと息を吹きかける。
「……っ!」
少しゾクッとなってしまった。瞬間、リムが「クスッ」と嗤い、さらに大胆な攻めを開始しようとしてくる。
無防備なシイガの首筋に舌を伸ばして、舐めあげようと――
「こらリム。料理の邪魔をするでない!」
するとすかさず、リムと一緒に鍋をのぞき込んでいたルイーナが、顔をしかめて注意した。触れる寸前だった舌を引っ込め、リムが「えー」と口を尖らせる。
「してないですよ~? こんな風にくっついたままでも、作業はちゃんとできますし。料理に支障はありません!」
「あるわバカ者。シイガの気が逸れるだろう? 料理に集中できなくなって、味が落ちたら……」
などと心配してくるルイーナに、シイガは「平気だよ」と微笑った。
「こんな痴女になんかされたくらいじゃ集中力は乱されねえし、味も落としたりしねえから。気にすんな」
「……むう。気にするなと言われてもだな」
「あれあれえ~? ひょっとして魔王さま、嫉妬してます? あたしが、お気に入りのシイガお兄ちゃんとイチャつこうとするから――」
「そんなわけがなかろう」
からかうリムを一笑に付し、ルイーナが腕を組む。
「我は魔族の女王だぞ、リム。人間ごときに嫉妬する意味がわからん。そもそも、我のお気に入りは料理だ。こやつではない」
「そうですか! じゃあ、構いませんよね?」
シイガの首に腕を回してしがみつき、リムがほっぺをこすりつけてきた。ルイーナの眉がピクンッと跳ねる。
「……ふんっ」
しかし結局何も言わずに鼻を鳴らすと、そっぽを向いて黙ってしまった。
そんなルイーナを横目に見ながら、誘惑してくるリムをあしらい、無心でアクを取り続けることしばし。
「もおっ! なんでちっとも反応してくれないの、お兄ちゃん!? バカっ! 唐変木! 不感! ハゲ! バカあああっ!」
誘惑するのに疲れたリムがシイガを罵倒し、飛び去っていく。シイガは「ふう……」と息を吐き、体の緊張を解いた。瞬間、
「おい、シイガ」
ルイーナが呼びかけてくる。シイガは竜すじ肉を煮ていた鍋で、粗みじん切りにしたたまねぎを炒めながら尋ねた。
「なんだよ」
「負けるでないぞ?」
真剣な声。魔王の口から飛び出してきた思いもよらぬ一言に、シイガは手元から視線を移す。ルイーナは飛び去っていくリムの背中をにらみつけていた。
シイガは苦笑し、その横顔に問う。
「へえ、意外だな。臣下じゃなく俺を応援してくれるのか、魔王さま?」
「何を言う? 貴様も我の臣下だろうが」
「……あ、はい」
臣下というより虜囚だけどな、と心の中でツッコんだ。そんなシイガに、ルイーナは言う。
「我は貴様の料理を認めた。我が認めた貴様の料理を愚弄するのは、我自身を愚弄することと等しい。実に不遜な態度だ」
「あんたもな」
「だから、シイガよ――」
シイガの目を真っ直ぐ見つめ、ルイーナが命じた。
「リムに負けるな。貴様の料理が『美味い』と認めさせてやるのだ。我は、貴様を……貴様の料理を、信じておるぞ」
「……おう。任せとけ」
力強く首肯する。不思議な気分だった。全人類の敵であるはずの魔王が自分の味方をしてくれていることに対して、戸惑いと面映ゆさを覚える。
シイガの返事に満足したルイーナが「うむっ!」と機嫌を直し、料理の作業を手伝いはじめた。一方、
「う~ん、やばいなあ……」
中庭の上空。屋根に腰かけ、シイガたちを見下ろすリムの表情はよどんだ空と同じく晴れない。組んだ脚に頬杖をつき、ひとりごちる。
「……あの調子だと、リムがオトすより先に魔王さまがオトされちゃうよ」
◆ ◆ ◆
「お待ちどうさま」
真紅のクロスが敷かれたテーブルに、出来あがった料理を置く。椅子の上でふん反り返っているルイーナが、憤然と吐き捨てた。
「遅い!」
よどんだ空は昏さを増して、中庭は漆黒の宵闇に包まれている。ふわふわ漂う青白い光球――ウィル・オ・ウィスプたちの明かりが、周囲をぼんやり照らし出していた。
ルイーナの隣に座ったリムが「ほんとだよっ!」と同意する。
「料理一品作るのに、どんだけかかってるんですかあ? 遅すぎるでしょ! 首だよ、打ち首っ! ね、魔王さま?」
「うむ。これだけ待たせて万が一にも微妙だったら、処遇を考えなければなるまい……わかっておろうな?」
「ああ。望むところだ」
自信を持って応えるシイガに、ルイーナが相好を崩した。
「ならば良い……して、これは一体なんなのだ? 見たところ、シチューやデミグラスソースのようだが。刺激が強く、変わった香りだ」
ひくひく鼻を動かし、尋ねる。木皿に盛られた白米の上には、茶色い液体がたっぷりかけられ、ほかほか湯気をあげていた。
「カレーだよ。ブラックバハムートのすじ肉を使用した《竜すじカレー》だ」
「クロっ!」
ルイーナが歓声をあげ、料理に手を振る。
「久しぶりだな! 会いたかったぞ」
「……肉片相手に何言ってんだ」
「クロが不憫だよ、魔王さま……」
「不憫なものか」
ルイーナが柔らかく笑み、カレーの中の肉を見つめた。
「死して尚、ご主人さまを悦ばせ、幸福を与えられておるのだ。配下として、最上級の誉れであろう。きっと今頃、クロも冥府でシイガに感謝しておる……『ボクを美味しく料理してくれて、ありがとうございます』とな」
「どういたしまして」
何言ってんだこの魔王――と思ったが、口には出さないでおく。
「何言ってるの魔王さま?」
「……っ!?」
シイガが心に秘めていることを、リムがさらっと口にした。
「美味しく料理されたかは、まだわからないじゃないですか。もしも微妙な味だったりしたら、クロは怒ると思いますけど? シイガお兄ちゃんを赦さないはずです!」
「…………。まあ、それはそうだが」
「四の五の言わず食ってみろ。話はそれからでいい」
シイガが促してやると、ルイーナはスプーンを取り「いただきます」と宣言をする。
竜すじ肉がたっぷり入ったカレーを、ご飯と一緒に口へ運んだ。次の瞬間、
「ぬあああっ!?」
ビクンッと体を震わせて、ルイーナが目を見開いた。
リムが「魔王さまっ!?」と悲鳴をあげる。悶絶するルイーナの額には、玉のような汗がびっしり浮いていた。
「こ、この反応は……まさか毒!? シイガお兄ちゃんっ! さては、魔王さまのことを暗殺しようと――」
「するわけねえだろ。毒じゃねえ。ただ『辛い』だけだよ」
「か、からい……?」
「そういう味の種類だ。初めてだから控えめにしといたんだが、辛すぎたかな。おい、大丈夫かルイーナ? キツいなら……」
「――美味い」
辛味という未体験の感覚に狼狽し、こらえるように咀嚼していたルイーナが、ふいに呟く。目をキラキラと輝かせ、新たなる感動に身を打ち震わせた。
「美味いぞシイガ、実に美味しいっ! これまで食べたどの料理より強烈で、刺激的な味がする。初体験ゆえ驚かされたが、慣れてしまえばどうということはない。なかなかおもしろいではないか! しかも……あむっ」
ルイーナが二口目を食べ、瞼を閉じる。
「ただ刺激が強いだけではなく、まろやかで……ほんのり甘みが感じられるな。味わい深く、奥深い。風味も非常に複雑で、得も言われぬ美味しさだっ!」
「はは。そりゃあ良かった」
悦ぶルイーナを見て、シイガは肩の力を抜いた。
最初は少しドキッとしたが、ルイーナはすっかり病みつきになった様子で、どんどん食事を進め、
「しかし、このカレーとやら……一体何が入っておるのだ? 味と香りが独特すぎて、見当もつかんぞ」
「魔薬草とか媚薬草とかじゃない? 魔王さまをたぶらかすために――」
「ちげえよ。んなもん入れるわけがねえだろ」
シイガは突っかかってくるリムにツッコミを入れ、答える。
「数十種類の
「ほう? 手が込んでおるなあ」
ルイーナが唸り、満足げにうなずいた。
「うむ、良いだろう。我を長らく待たせた罪は不問にしてやる」
「よっしゃ!」
「……むー」
シイガとルイーナのやり取りに、リムがむくれる。その目の前には、未だ手つかずのカレーがあった。
「リムよ、お前も食うてみい。きっと気に入る」
「…………」
むっつり押し黙ったまま、リムがスプーンを取る。カレーをすくい、しばらくにらみつけてから口へ運んだ。
「わ。美味しい!」
「「お!?」」
シイガとルイーナが身を乗り出すと、リムは一瞬『しまった』という顔をして、すぐ言い訳をする――かと思ったら。
「あ、いや……お、美味しいですよ? うん」
リムが素直にシイガの料理を褒めた。
「よく煮込まれた竜すじ肉はプルプルで、ほどけるみたいに柔らかかったし……お肉の旨味がカレーのコクとマッチしていて、普通に美味しかったです」
「ふふっ。そうか、よしよし……リムもようやくわかったようだな? こやつの料理
がいかに美味しく、素晴らしいものであるのか――」
「だけど、やっぱり絶賛するほどじゃないです」
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