いや、ヤられる前に殺ろうかと

「うん。普通」


「…………。あ?」


 今度は、シイガが惚ける番だった。口を開いて固まるシイガに流し目を注ぎ、リムが唇についたソースを艶めかしく舐め取る。


「すごく普通の料理だね? 不味くはないけど、絶賛するほど美味しくもないっていうかあ? あたし的には正直びみょ~。期待しすぎて損しちゃったよ」


「リムっ! 貴様、シイガの料理を愚弄するとは良い度胸――」


「悪い、ルイーナ。ちょっと黙っててもらえるか?」


 激昂するルイーナを止め、シイガはリムと対峙した。心を落ち着かせ、訊く。


「……リム。もっと詳しく教えてくれないか。どういうところが微妙だったとか、何が物足りなかったとか」


「えー。わかんなーい!」


 リムはぷいっとそっぽを向くと、頭の後ろで手を組んで、


「微妙なものは微妙だし。リムは料理人じゃないから、足りないものも知りませ~ん。プロなら自分の舌と頭で考えてくださ~い!」


「う……そ、そうか。そうだな……」


 間延びしたしゃべり方にイラッとしつつも、消沈するシイガ。リムが邪悪な薄ら笑いを浮かべた。


「たぶんアレだね~。なんで自分の料理に魅力がないのかわかんないから、リムの魅力もわかんないんだろうね~? バカなお兄ちゃんっ!」


(!? こ、こいつ……) 


 そのやたらと攻撃的な物言いに、シイガはリムの胸中を察する。

 これは、恐らく『あてつけ』だ。シイガが誘惑に屈しなかったことへの……。なら、真に受けることもない。ただ、


「ああ、そうだな。わかんねえな~。お前の魅力、俺には全然わかんねえわ~。だって幼女の痴女だろう? 乳がでかけりゃ態度もでかいし、そんな女は願い下げだわ~」


 ――売られたケンカは買わせてもらう。間延び口調を真似して嗤うシイガに、リムの気配が変わった。


「は? な、何それ……リムの魅力がわかんないとか、意味わかんない。自慢の料理を酷評されたからって、かっこ悪いよお兄ちゃん?」


「お前こそ。俺を落とせなかったからって、見苦しいぞチビ? 自信家なのは結構だけどな、そういうところが鼻につくんだよ」


 表情筋を硬直させて、にらみ合うシイガとリム。リムがこめかみをピクピク震わせ、シイガに宣戦布告する。


「は、ははははは……い、いいじゃん。上等じゃん、お兄ちゃん……なら、メロメロにしてあげる。あたしの魅力を思い知らせて、骨抜きにしてあげるんだから!」


「はは、やってみろ。俺もお前に料理を食わせて『美味い』と認めさせてやるからよ。お前が俺を落とすよりも早くな?」


 売り言葉に買い言葉。リムの視線を真っ向から受け、シイガも宣言してやった。

 ルイーナが溜め息を吐き、リムがかじったチキン南蛮をかじる。


「なんなのだ、その争いは……実にくだらん」


 ――かくして。シイガとリムのプライドをかけた戦いの火蓋は、切って落とされたのだった。


                 ◆ ◆ ◆


「シイガお兄ちゃん……」


 涙で潤んだピンク色の目がシイガを見つめる。


 幼い顔を上気させ、半開きの口元から微かに乱れた吐息を漏らしつつ、リムが名前を呼んできた。


 ここは魔王城の一室。シイガが寝床として与えられている部屋の寝台ベッドだ。


 ふかふかとした広いベッドで仰向けになり、寝そべるシイガ。その体に覆いかぶさるようにしてまたがりながら、リムがうっとり呟いた。


「すごく良かったよ」


 体を重ね、シイガの胸板に頬をつけると、夢視るように瞼を閉じる。サラサラとした細い髪、しっとり濡れた白い肌から甘い香りが立ちのぼり、鼻孔をくすぐってきた。


 匂いに負けぬ甘い声音で、リムがささやく。


「……もっと、する?」


 くっつけていた体を離し、上半身を起こすリム。深夜の薄暗い部屋に、一糸まとわぬ白い裸身がぼんやりと映えた。


 くびれの少ない腰回りなど全体的にまだ肉づきが物足りず、幼い肢体。だから余計、豊満な胸元に目が吸い寄せられる。あどけなさとは対極にある淫靡な色香に、平常心を掻き乱される。その魔性は、まさに魔族だ。


「ねえ、お兄ちゃん……」


 リムが自分の人差し指を咥えて、物欲しそうに目尻を下げた。


「リムとしよ♡」


 シイガは固まったまま、誘う『妖女』をじっと眺める。ピンク色の目が妖しく光り、虹彩に術式のような紋様が浮かんだ。ゾクリ、と体の芯が震える。次の瞬間、


「……っ!」


 シイガの中で何かが爆ぜた。弾かれるように右腕をあげ、手を伸ばす。たわわに実る果実のような、リムの乳房に――


                 ◆ ◆ ◆


「はっ!?」


 目が覚めた。宙空に伸ばされている右手は、扇情的な薄い布に包まれた乳房に届く寸前で止められている。朝だ。


「あーあ、起きちゃったかあ。まだまだ、これからだったのになあ……」


 夢と同じくシイガの体にまたがり、リムが「ちえっ」と唇を突き出した。顔を歪めて黙るシイガにニヤニヤ笑い、いたずらっぽく問いかけてくる。


「えへへ、おはよう。いい夢視れた、お兄ちゃん?」


「…………」


「視れたでしょ? ねえ、どうだった? 気持ち良かったあ? ふふっ……このまま、夢の続きする? リムのおっぱい――」


「重い」


 吐き捨てながらリムをどけ、体を起こした。リムが「ひゃああっ!?」と悲鳴をあげ

て転げ落ち、シイガの視界から消える。


「よし。ちゃっちゃと身支度、済ませちまうか!」


「……待ちなさいこら」


 床の上でひっくり返っているリムが、ベッドから離れようとするシイガのことを低い声で呼び止めてきた。翼をはためかせて飛び起き、シイガに迫る。


「何それ? なんなの、その態度っ! あたしが誘ってあげてるんだよ!? 人も魔族も動物も魔物も、みんな夢中の虜になっちゃう、このリムちゃんが――」


「へえ」


「へえじゃないっ! すかしちゃってさ……ほんとは欲情してるくせにい!」


「してねえよ。勝手に決めつけんなガキ」


「ガキじゃないもん、百九歳だもん! お兄ちゃんより年上だもんっ!」


「……じゃあ『お兄ちゃん』とか呼んでんじゃねえよ、ババア」


「ババア言うなあ、クソガキい!」


 ポカポカポカポカ。リムが拳でシイガの背中をなぐりつけてくる。


「なんだよ、興奮してるくせにいっ! 夢の中ではリムのこと、めちゃくちゃにしてたくせにいい!」


「し、してねえっての……」


「嘘! 絶対してるでしょ!? 口ではそう言い張ってても、ほら――『ここ』は元気になってるじゃないっ! カラダの方は正直だねえ、むっつりスケベなお兄ちゃん♡」


「…………。寝起きだからだ」


 絡んでくるリムをあしらい、衣装用の異空間からコックコートとエプロン、スカーフを取り出す。


「出てけ。着替える」


「いいよ、手伝ったげるから。服を脱がすの――」


「さっさと出てけっ!」


 寝間着のズボンに手をかけてくるリムを叩き出し、部屋の外へと閉め出した。

 リムがガンガン扉を叩き、何やらわめき散らしていたが、無視する。


「やれやれ……まさか、いきなり夜這いをかけてくるとはな」


 今夜はしっかり鍵をかけて眠ろう、と思った。性欲を持て余す魔族が、二度と入ってこられないように。


                 ◆ ◆ ◆


 ――ブォン! 振り向きざま、風切り音をあげて薙がれた竜切り包丁がリムの前髪をかすめる。


「うひゃあああっ!?」


 斬り飛ばされて少し短くなってしまった前髪を撫で、リムが抗議してきた。


「危ないじゃない、お兄ちゃん! リムを殺す気っ!?」


「……人が鍛錬してるところに、黙って近づいてくるお前が悪い」


 竜切り包丁を肩に担いで、嘆息をこぼす。

 起床してから半刻ほど経った早朝。シイガは魔王城の庭園に出て、一心不乱に包丁を振っていた。毎朝行う仕込みの前のトレーニングは、料理人の嗜みである。


「……お前、どうせあれだろ。こっそり近づいてきて、抱きつこうとでもしたんだろ?そういう邪な気配を感じたぜ」


「し、してないよ! リムは、ただ……シイガお兄ちゃんを押し倒して、無理やり精気を搾り尽くしてあげるつもりだっただけだよ?」


「そうか。殺せば良かったな」


 あと一歩でも踏み込みが深ければ、前髪じゃなく首を切り飛ばせていただろう。


「ひどくない!?」


「いや、ヤられる前に殺ろうかと」


 愕然となるリムに対して、悪びれもせずシイガは言った。


「ていうかお前、魔族じゃん。しかも高位の……俺が本気で殺ろうと思ったところで、簡単には殺られねえだろ」


「まあね~。あたし、これでも貞操観念強いから」


「バカ。そっちの『ヤる』じゃねえ」


 貞操観念が強いとかいうあからさまなボケには触れず、放置する。リムが舌を出し、肩をすくめた。


「う~ん、どうかな。殺られちゃうかも? 魔力量には自信あるけど、筋力とかは全然ないし。押し倒されて組み伏せられたら、抵抗できずヤられちゃうかも~♡」


「……はいはい」


「ねえ」


 無視して鍛錬を続けようとしたら、リムがスウッと距離を詰めてくる。一瞬、本気で襲われるかと思ったが、シイガを見つめるリムの眼差しは真剣だった。


「魔王さまから聞いたんだけどさあ。お兄ちゃん、クロを一人でやっつけちゃったんだってね? 信じらんない……クロ一匹で、街一つを壊滅させたこともあるのにっ!」


「まじかよ!?」


 その街、どんだけ防備が薄かったんだ。リムは驚くシイガに三白眼を注いで、


「しかも魔王さまの目の前で、とか……絶対死ぬでしょ。殺されるでしょ! なのに、どうして生きてるのかな?」


「うーん。それはまあ、あいつが俺の料理を気に入ってくれたから――」


「だけじゃないよね?」


 ずいっと顔を寄せてくる。ピンク色の目が細まった。


「普通なら、料理を食べてもらえる前に殺されちゃってるはずだもん。クロを殺して、魔王さまに目をつけられて、それでも無事に生き延びられるだけの『強さ』がなくちゃ無理だよね? ただの料理人が、人間が、そんなにも強いかな?」


「…………」


「シイガお兄ちゃん、何か特別なチカラを授かってるんじゃないの? すごい武器と

か魔道具とかさ。『あの女』みたいに――」


「〈魔功〉だよ」


「…………。まこう?」


「ああ。俺の師匠が教えてくれた、秘伝の技だ。体に流れる魔力をコントロールして、ある一箇所に集中させる。そうすると、肉体強度や身体能力が瞬間的に高まるんだよ。例えば、足に魔力を集めてやれば……」


 シイガは眉をひそめるリムに邪魔な竜切り包丁を押しつけると、跳躍。シイガの体が、天高く舞いあがった。


 リムの姿が小さく見える。上空で右拳を握り、


「おらあっ!」


 足から腕へと魔力を移動。着地と同時に叩きつけた。シイガの拳打で石だたみが砕け散り、浅いクレーターが生まれる。

 シイガは無傷の拳をさすり、エプロンの土ぼこりを払った。


「――と、まあこんな感じだな。全身から足、足から腕に魔力を集めて、拳を強化したんだ。目に集めれば視力を高められるし、舌に集めれば味覚が鋭敏になったりもする。料理にも役立ってるよ」


「……すご」


 竜切り包丁を抱きかかえて放心し、リムが呟く。シイガは笑った。


「これでも、四割くらいだけどな。ルイーナにかけられてる魔法のせいで、魔力の量がすげえ減ってて……このていたらくを師匠が見たら、内臓破裂じゃ済まされねえぜ」


 ぼやきつつ、立ちすくんでいるリムの胸へと手を伸ばす。手を出されるとでも思ったのか、ビクッと怯えるリムの胸元から包丁を取り、


「んじゃ、俺は仕込みがあるからもう行くな? お前も、暇ならのぞきに来いよ。今

度こそ、美味い料理を食わせてやるから」


 リムにひらひらと手を振ると、シイガはルイーナが待つ城の中へ戻った。

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