三皿目 食欲と性欲の戦い

タルタル? タルタルとは、どういう意味だ

「お待ちどう。〈デスゲイズ・コカトリスのチキン南蛮〉だ」


「ほう? これは先日、森で獲れた魔物か。まだ残っていたのだな!」


「ああ。なかなかの大物だったからなあ……一日や二日じゃ食べ切れねえよ。まだまだたくさん余ってるから、たんと食え」


「うむっ! いただこう」


 シイガの言葉にうなずくや、ルイーナはタルタルソースがたっぷりとかけられている巨大な胸肉の唐揚げをフォークでぶっ刺し、豪快に食いついた。


「美味あああぁ――――い!」


 口の周りを白いソースでベトベトにしたまま、ルイーナが高らかに吼える。


「この前食べた唐揚げも美味であったが、これはその進化系だなっ! 肉も美味いが、こってりとしたこのソースが実に美味しい! 甘くて酸っぱく、コクがあり……細かく刻まれておる野菜のシャキシャキとした食感が、良いアクセントになっておるのう」


「へへへ。だろ? マヨネーズに茹で卵とマンドラゴラのピクルス、みじん切りにしたタマネギや黄金草を加えて作ったタルタルソースだ」


「タルタル? タルタルとは、どういう意味だ」


「…………。さあ?」


「知らぬのか。では『マヨネーズ』や『ナンバン』は?」


「さ、さあ……」


「……それも知らぬのか」


 拍子抜けするルイーナに、シイガは後頭部を掻きながら答えた。


「うーん。どっちも、師匠に教えてもらったもんだからなあ」


「師匠?」


「ああ。俺が弟子入りしてた人だよ。すげえ料理人だ。知識も技術も、俺とは比べ物にならねえ。この世界を旅してる最中、俺は色んな料理人と出会い、色んな料理を食べてきたけど……師匠がダントツ一番だ。はっきり言って、次元が違う。一人だけ、どこか別世界から来たみたいな存在だったぜ」


「ほほう? 貴様にそこまで言わせる者がおるのか。それは、ぜひ会ってみたい

な……会って、我のものにしたいぞ! 会わせろ」


「無理だ。二年前、別れたきりだし……」


 会えるものなら、シイガも会いたい。そしてあわよくば、シイガを魔王の元から救い出してもらいたい。しかし、師匠は根なし草の風来坊だ。今どこで何をしているのか、皆目わからなかった。


 ルイーナが「むう」と唸る。


「残念だが、まあいいだろう……我には貴様がいるからな。貴様の料理が食べられれば良い。我は貴様の料理が好きだ」


 恥ずかしげもなくそう言うと、ルイーナはタルタルソースをたっぷり絡めた唐揚げを一口。すぐさま、炊きたての米を口へ運んだ。よどんだ空に向かって叫ぶ。


「うんみゃあああああぁ――――い!」


「ルイーナ……」


 相変わらず、いちいちリアクションが大げさな魔王だ。シイガは微笑ってナプキンを出し、ソースで汚れた口元をぬぐってやった。


 ルイーナはくすぐったそうに目を細めるだけで、特に抵抗してこない。そんな魔王のことを、シイガがつい『可愛いな』と感じてしまったときである。


「あ、いたいた。魔王さまあっ!」


 中庭に面する城の回廊、シイガの斜め後ろから、声がした。甘ったるくて粘っこい、水飴みたいな少女の声だ。響きからして、かなり幼い。


「あん?」


 いぶかしみつつ顔を向けると、背中に生えた黒い翼をはためかせ、真っ直ぐこちらに飛翔してくる痴女がいた。


「うおおっ!?」


 淡いピンクのショートヘアに牛を思わす二本の黒い角、裸と変わらぬ薄い衣装を身にまとい、細い尻尾をなびかせ迫る『痴幼女』が。


「ふええっ、人間!? わわわわわっ!?」


 驚くシイガに驚いて、幼女がピンク色の目を見開いた。


 そのせいで制動をかけるのが遅れてしまい、着地しながら勢い余ってたたらを踏んだ幼女がシイガの胸に飛び込み、むぎゅっと抱きついてくる。柔らかい感触がした。


 小柄な体がピクッと震える。


「ご、ごめんなさいっ! あの……怪我とか、してないですか?」


 上目遣いにシイガを見あげ、幼女がおどおど訊いてきた。


 潤んだ双眸と艶やかな唇、悩ましげな表情が、幼女らしからぬ色気を漂わせている。


 それに加えて――


「なんならあたし、お詫びをさせてもらいます! 言葉や気持ちだけじゃなく、もっとあなたが悦ぶような方法で……」


 などとささやき、幼女がそっと体を離した。押し潰されていた双丘が元の形を取り戻し、ゼリーみたいにふるふる揺れる。


 見た目は十代前半くらいで背も低く、華奢な体つきをしているのだが、なぜか異様に胸が大きい。軽く小ぶりなスイカくらいはあった。


 そのアンバランスな胸元に目を見張っていたら、幼女がにたりと唇を歪め、もう一度くっついてくる。指でシイガの胸板を突き、撫でるように動かしながら、


「ねえ人間のお兄さん、何してほしい? なんでもいいよ? あたしにしてもらいたいこと、したいこと……言ってごらん。ねえ――」


いかずち!」


 黒雷が奔った。幼女とシイガは二人同時に体を離し、撃ち放たれた魔法を躱す。

 幼女が「ちょっ!?」と狼狽し、甲高い声でわめいた。


「何するんです、魔王さま!? もうっ、危ないじゃないですか!」


「……ふんっ。貴様が妙な真似をするからだ、リム。人間の雄だからといって、誰かれ構わず誘惑するのはやめろ。この色情狂めが」


「人聞きの悪いこと言わないでください! あたしは人間の雄だけじゃなく雌も亜人も動物も魔物も、なんでもメロメロにしちゃいますけど!?」


「ソウダナー」


 棒読み口調であしらうルイーナ。幼女が小走りに近づいていき「魔王さま! ねえ、魔王さまっ!」と肩を揺すった。


「そんなことより大変なんですよ! アルマンデを侵攻してた、あたしの〈リムちゃん好き好き大好きまじ愛してる隊〉が――」


「ええい、うるさいっ! 食事中だぞ、後にしろ!」


 幼女の腕を振り払い、ルイーナが声を荒げる。


「……食事?」


 言われて初めて気づいたように、幼女がキョトンとした。


「あたしたちには必要ありませんよね? どうして、そんな無駄なこと……」


「無駄か……ふふ。そうだな、我も最初はそう思っていた。だが――」


 ルイーナが笑み、穏やかな目でシイガを見やる。


「我はこやつに教えられたのだ。美味なる料理がどれほど素晴らしく、価値あるものなのかということを」


「はあ」


 幼女が顔をしかめた。シイガのことを指差し、尋ねる。


「……なんですかそれ。意味わかんないです。まさかとは思いますけど、魔王さま……この人間にたぶらかされてませんよね?」


「それはない。我がたぶらかされているのは、料理だ。こやつではない!」


「ふ~ん。まあ、どっちでもいいんですけど。この人間が魔王さまを、ねえ……?」


 指を咥えてシイガを眺める双眸が、妖しく光り輝いた。

 ペロリと唇を舐め、腕にむぎゅっと抱きついてくる。突拍子もないその行動と前腕を包み込む柔らかな感触に、シイガは「うおっ!?」と声を漏らした。


「お兄ちゃん! なんてお名前?」


「……シイガだ」


「シイガお兄ちゃんっ! あたしはリムだよ。これでも魔王軍の幹部で、アルマンデの侵略を任されてる魔族なの~」


「へえ」


「今日は大事な報告があって、お城に戻ってきたんだけど……魔王さま、忙しいみたいだからさ。その間、リムと『イイこと』しないかな?」


「は、はあ……?」


 どうやら格好だけじゃなく、中身まで痴女らしい。辟易するシイガに構わず、リムはぐいぐい胸を押しつけ、妖艶に身をくねらせる。


「リムがごちそうしてあげるよ、お兄ちゃん。料理なんかより、ずっと美味しいものを……んふっ♡」


「こらあ、リム! 誘惑するなと――」


「いや。遠慮しとくわ」


「え?」と惚けるリムをやんわり離れさせ、シイガは言った。


「俺、料理人だし。自分の仕事をほっぽり出して、どっか行くとかできねえよ」


「えー。いいじゃん! 料理はもう作ったんでしょ? なら一休みすればいいじゃ

ん! 魔王さまが食べ終わるまで……」


「いや、いい。俺にはこれが休憩だ。会ったばかりの女となんかするより、俺の料理を美味そうに食う魔王を眺めてる方が、遥かに『イイこと』だからな」


「おお、よく言った! ふふっ……それでこそ、我の見込んでやった男よ」


 シイガがきっぱり断ると、ルイーナが顔をほころばせて喜ぶ。上機嫌にチキン南蛮を頬張り、米をガツガツと掻き込んだ。


「美味いっ! おかわり、もう百杯だ!」


「そんなにねえよ」


 苦笑しながら空の器を受け取り、二杯目をよそいに向かう。その途中ふと、シイガはうつむいたまま沈黙しているリムに目を向け、呼びかけた。


「おい。お前も食うか?」


「…………」


 反応はない。ルイーナがフォークでチキン南蛮を刺し、リムに勧める。


「ほれ、せっかくだから食うてみい。お前もきっと虜になるぞ?」


「魔王さま……」


 リムがのろのろ面をあげた。眼前に差し出されているチキン南蛮をまじまじ見つめ、かぷっと食らいつく。


 リムの小さな唇が、白いソースと肉汁で汚れた。


「……っ!?」


 リムは微かに目を見開いた後、ゆっくりと顎を動かし、呑み込んで――

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