ご覧の通り、ぼっちですけど

「……嘘だろ」


 ローストドラゴンがこんがり焼きあがるくらいの時間、森を歩き続けたシイガは足を止め、目の前の光景を呆然と凝視していた。


 木の幹。そこには何か、巨大な刃物が突き刺さっていたような傷痕が刻まれている。それはまさしくルイーナが投げつけてきた、竜切り包丁のもので――


「なんで戻ってきてんだよ?」


 シイガはしっかり方角を確認し、真っ直ぐ南へ進んでいたはずだ。にもかかわらず、なぜ元いた場所に戻ってきてしまうのか。後頭部を掻き、途方に暮れる。


「い、意味わかんねえ……」


「ぁ」


 そのときシイガの背後から、若い女の声がした。振り返る。


「――お?」


 そこにいたのは、蜂蜜色のサラサラとした長髪に瑠璃のような深い碧眼を持つ美少女だった。


 銀色の軽鎧に手甲と足甲、太ももの半ばまでが露出するほど短いスカートに巻かれた腰の革ベルトには、ひと振りの剣が提げられている。


 歳は恐らく十代半ば。随分若いが、魔物に備えた装備をしっかりしていることから、冒険者だと思われた。ちょうどいい。


「こんにちは!」


「……っ!?」


 にこやかにあいさつしてみたら、ビクッと怯えられてしまう。


「ど、どうかした……?」


「あ、すみません! えっと、その……こんなところで、人に会うとは思わなくて……こ、こんにちはっ!」


 目を泳がせながら謝り、女の子があいさつを返した。なぜか、やたらと挙動不審だ。

 シイガは胡乱な目で女の子を眺め、尋ねる。


「あんた、冒険者だよな? ギルドの依頼で魔物を狩って、生計立ててる――」


「え? あ、はい……そうですね、一応。ご覧の通り、ぼっちですけど」


「ぼっち?」


「い、一匹狼ってことですっ! と、友達くらいちゃんといますし? 犬とか猫とか、妖精さんとか……」


 小さな声で呟いて、女の子がうつむいた。そのまま、立ち去ろうとする。


「じゃ、じゃあ、わたしは先を急ぎますから――」


「ちょっと待て」


「…………。何か?」


「気をつけろ、この森なんかおかしいぞ。ちゃんと真っ直ぐ進んでんのに、元いた場所まで戻ってきちまったりするんだ」


「えっ!?」


 女の子が驚いた。シイガのことを振り返り、目を丸くして訊いてくる。


「あ、あなた……まさか、なんの下準備もせず〈惑いの森〉に来てませんよね?」


「惑いの森?」


「な、名前すら知らないんですか……」


 女の子が愕然とした。そんな風に反応されても、シイガをこの森まで連れてきたのはルイーナだ。森の名前は疎か、正確な位置すらもよくわからない。

 女の子が額を押さえ、これ見よがしに溜め息を吐く。


「はあ。あのですね……この森には何か幻惑魔法のような力が働いていて、森を普通に進むだけでは抜けられないようになってるんです」


「……まじか」


「まじです。だから、きちんと『対策』をして入るんですよ」


 女の子が革袋をまさぐり、青い魔石を取り出した。本来は首から下げるものなのか、細い鎖がついている。


「〈静藍せいらんのアミュレット〉です。心を正常に保つ効果がありまして、この魔道具を身につけていれば、こちらの精神に干渉してくるような魔法の効果を防げるんです」


「へえ? なるほど……そういうことか」


 合点がいった。ルイーナがシイガを放置したのも、この森が持つ性質をわかっていたからなのかもしれない。逃げたくても逃げられないだろう、と。


 だが、もしそうならば――


「あのさ。一つお願いしたいんだけど、俺も一緒に……」


「いいですよ」


 頭を下げて頼み込もうとしたら、女の子は渋々ながらも承諾してくれた。


「このまま見捨てて、立ち去るわけにもいきませんからね。森の出口までで良ければ、ご一緒しても構わないです」


「まじか、助かるっ! ありがとう、ええっと……」


「グレイスです」


「おう、グレイス。俺はシイガだ」


 女の子――グレイスに手を差し出して、シイガはニイッと歯を見せる。


「短い間だけど、よろしく。仲良くやろうぜ?」


「……はい、こちらこそ。よろしくお願いします、あの……シ、シイガさん?」


 慣れない人付き合いに、緊張しているのだろうか。まだ少し硬い表情と声音で応じるグレイスに、シイガは深く感謝していた。


 自力で抜けることが困難な森。そこでたまたまこんな出会いがあるとは、ルイーナも予想していなかっただろうから。


                 ◆ ◆ ◆


「はあああっ!」


 裂帛の声と同時に振るわれた剣が、鶏の頭を刎ね飛ばす。断面から鮮血が噴き、首をなくした魔物の巨大な体が、ぐらりと傾いだ。


 直後。毒蛇が牙を剥いてのたくり、グレイスに襲いかかった。


「そらよっ、と!」


 シイガはすかさず両手で竜切り包丁を一閃し、鶏の胴から生えている蛇の尻尾を斬り飛ばす。鶏の頭部と蛇の尻尾を断たれた魔物は今度こそ力を失い、地面の上で弱々しく痙攣していた。


 グレイスが剣を収める。


「ふう……手強い相手でしたね。さすがは、この森のあるじ――デスゲイズ・コカトリス、一瞬たりとも気の抜けない戦いでした」


「鶏の頭と目を合わせちまったら終わりだもんな? 蛇の毒牙に咬みつかれても終わりだし。グレイスの情報がなきゃ、出会い頭に殺られてたかもしんねえわ……」


 呟くシイガの周囲には、コカトリスとの交戦中に乱入してきた魔物の成れの果て――奴と目が合い、石にされてしまった魔物たちの亡骸が、ゴロゴロと転がっていた。


死の視線デスゲイズ』の名は伊達じゃない。


 額の汗をぬぐうシイガに、グレイスが「いえ」と微笑む。


「わたしも助かりました。一人では、危なかったかもしれません。あなたがいてくれて良かった……強いんですね、シイガさん」


「そうか? 大したことねえよ」


 答えつつ、シイガは包丁の血を振るい落とした。


 ルイーナにかけられている魔法のせいで力が衰えているのか、普段より重く感じる。体も鈍いし、シイガとしては不満の残る戦いぶりだった。


 もしも師匠がこの場にいたら、シイガの腹に怒りの〈肝臓レバーパンチ〉が飛んできていただろう。シイガがミスをするたび一つ、内臓を破裂させられたのは、いい思い出だ。


「お前の方こそすげえ強えじゃん、グレイス。途中、完全に目閉じてたろ? よくあの猛攻を躱せたよなあ」


 デスゲイズ・コカトリスの武器は魔眼と毒牙だけじゃない。鋭い爪の一撃は大怪我を負いかねない威力だし、クチバシには魔眼ほど強力ではないものの、触れたものを石化させる能力が備わっているらしかった。


 それを死角へ回るでもなく真正面から迎え撃ち、魔眼もろとも打ち破ってしまったのだから、まったく恐れ入る。


「いやあ、剣の腕には自信がありますからね! 気配を読むのも得意なので……ふふ。空気を読むのは苦手ですけど」


 ぼそぼそとつけ加え、グレイスがうつむいた。次の瞬間、


 ――ぐおおおおおおおおおっ!


 竜の咆哮を思わす、ものすごい音が響いた。グレイスが「ひょえああああ!?」と慌てふためき、真っ赤になって腹を押さえる。


 シイガは「お?」と反応し、グレイスの顔をのぞいた。


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