えっ。何それ、お前デレてんの?
「……よし。大体こんなもんかな」
翌日の朝。アルマンデ大陸の北西にある港町を訪れたシイガは、市場の青果店で買いそろえた野菜を袋ごと異空間にしまった。
後ろを振り向き、呼びかける。
「悪い。待たせた――」
「ねえ、君。ここには一人で来たの?」
「可愛いね! もし良かったら、僕らと一緒に回らない?」
「ん?」
シイガの位置から少し離れた後方で、二人の若い男たちに絡まれている女性が一人。
黒い丈長のワンピースドレスを身にまとった女性は、可憐な容姿に似つかわしくない剣呑な目で男たちを睥睨し、
「なんだ貴様ら。消し炭にするぞ?」
「消し炭? あはは! 君、おもしろいねえ~。消し炭にはされたくないけど、近く
に美味しい屋台があるんだ。炭火で焼いた串焼きの……」
「ほう? 案内するが良い!」
「待て待て」
シイガは駆け寄り、女性の肩をつかんだ。
「チョロすぎだろお前。食いもんに釣られんな!」
「……む。どうした、嫉妬かシイガ? 我が他の男についていこうとするから……」
「ちげえよ。誰がおめえに嫉妬するかよ。俺以外の奴が作った料理に、ホイホイ惹かれてるんじゃねえって言ってんの」
絶対、俺の方が美味いし! などと張り合うシイガに、女性が呆れる。
「なんなのだ、その嫉妬の仕方は……まあ、良いではないか。特に期待はしておらん。試しに食べてみるだけだ。我を満足させるような味でなければ、消し飛ばす。この男らと、店ごとな?」
「やめろ」
「あるいは街ごと――」
「物騒なこと言うんじゃねえ、ルイーナ!」
シイガは思わず声を荒げて制止した。
二人のやり取りを見た男たちが顔を見合わせ、すごすごと立ち去っていく。
その後ろ姿を見送りながら〈魔王〉ルイーナが鼻を鳴らした。
「……ふんっ。男連れだとわかり、去ったか。痴れ者め」
「いや、あんたがやばい奴だと悟ったんだろ……」
賢明な判断である。痴女みたいな服装をやめ、清楚な町娘を装ったところで、魔王は魔王だ。関わらないに越したことはない。
「それで? 買い物は済んだのか」
「おう。バッチリだ」
「よし、ではもう滅ぼしても良いな!」
「いいわけねえだろ!?」
「……なぜだ? 良かろう」
「だめだ! 今日ストックしたものが切れたら、また買いに来る。これから何度も利用すんだから、潰すな。俺の料理が食えなくなっちまってもいいのか?」
「むう……」
ルイーナがむくれ、唇を尖らせる。
というのも、ルイーナは流通の要所であるこの港町を滅ぼす気まんまんであり、前々から目をつけていたらしいのだ。
ルイーナはしばし多くの人々でにぎわう市場をにらみつけていたが、シイガの言葉で思いとどまったのか嘆息し、出口へ向かって歩きはじめた。
「……やむを得ん。美味い料理を食するためだ、攻め落とすのは先延ばしにしておいてやる。その気になればこの程度の街、いつでも壊滅させられるしな」
「まじかよ。俺の料理が街を救っちまった……やっぱチョロいな、魔王さま」
「おい」
紫色の半眼が、シイガにじろりと注がれる。
「魔王と呼ぶな。ルイーナと呼べ」
「……へいへい」
肩をすくめて歩き出し、隣に並んだ。
「『城の外では我の正体がバレぬよう、魔王ではなくルイーナと呼ぶがいい』だろ? わかってる。城に着くまではそうさせてもらうよ」
シイガが口調を真似しながら言うと、ルイーナは不機嫌そうに顔をしかめて、
「別に、ずっとその名で呼んでもらっても構わんのだが……」
「えっ。何それ、お前デレてんの?」
「デレとらんわいっ!」
「あっそ。別に、どうでもいいけどな。魔王なんかに好かれても嬉しくねえし、迷惑なだけ――ぐふっ!?」
「魔王と呼ぶなと言ったはずだが」
腹に手刀を突き入れられて崩れ落ちるシイガを、ルイーナが見下ろす。
「また失言をするようなことがあったら、首の隷呪で屈辱的な思いをさせるぞ駄犬?我の足を舐めさせてやる」
「死んでも嫌だ」
俺、美味いものしか口にしたくねえし――とぼやいている途中で、横っ面を蹴り飛ばされた。隷属魔法で弱っているのか、やたらと痛い。
派手に吹っ飛び、石だたみを転げるシイガに、道行く人の視線が集まる。
「なら、死ぬか?」
シイガを見やる魔王の目は
「……いえ。結構です、ルイーナさま」
「肝が大きいのか小さいのか、よくわからん奴だな。ころころ態度を変えよって」
――あんたこそ、と心の中でツッコんだ。
微笑ましくて親しみやすいと思ったら、魔王らしい恐ろしさをのぞかせたりもする。
だからシイガも対応に困るというか、油断するとつい緊張感を失くしてしまうのだ。相手が自分の命や、この世界を脅かしている存在だということも忘れて。
「ふんっ……まあ良い」
シイガが微妙な顔をしていると、ルイーナも微妙な表情になり、腕を下ろした。髪を払って踵を返す。
「帰るぞ。そして料理を作れ。貴様の存在価値は結局、
「待てよ、ルイーナ」
「なんだ?」
「まだ帰らねえ」
「……なぜだ。買い物はもう済んだのだろう?」
「ああ、買い物は終わったよ。けど……」
眉をひそめるルイーナに、シイガは立ちあがりつつ答えた。
「一番大事なものを手に入れてねえ。俺の料理に使うメイン食材は『魔物』だからな。食事の前に、ひと狩り行こうぜ?」
◆ ◆ ◆
「
魔王の手からほとばしった黒雷が宙を切り裂き、魔物の体に突き刺さる。
次の瞬間、額に角を生やした兔の魔物――アルミラージはバリバリバリッと感電し、真っ黒焦げの消し炭と化してしまった。
魔物に手の平を向けたまま硬直するルイーナに、シイガは笑顔で言ってやる。
「お疲れ。すっ込んでていいぞ」
「なっ!? ま、魔王の我に命令するとは……何さまのつもりだ、貴様?」
「……あのな、俺は食材を獲りに来てんの。炭を作りに来てるんじゃねえ……力加減ができねえんだったら、手出ししないでもらえねえかな。邪魔だから」
「邪魔……」
にべもなく一蹴されて、ルイーナがショックを受けた。
魔王の魔法を喰らった魔物は見るも無残な焼死体と化し、プスプス煙をあげている。これでは、まったく使いものにならない。
港町から転移魔法で移動し、森を訪れてしばらく。これまで既に十匹以上の魔物が、ルイーナの手で炭へと変えられていた。シイガは深々と溜め息を吐き、
「もういい、後は俺がやる。あんたは大人しく――」
刹那。虚空に手を突っ込んだルイーナが素早く何かを抜き放ち、シイガの顔目がけて投擲してきた。
「ひっ!?」
黒刃が頬をかすめる。恐る恐る振り返ってみれば、背後にある木の幹に巨大な包丁が深々と突き立っていた。
「こ、こいつは俺の――あだっ!?」
後頭部に硬いものがぶつかる。
「おいこら、てめえ! なんてもん投げつけんだよ、殺す気か!?」
「我を『邪魔者』呼ばわりした罰だ」
ふてくされるように呟いて、ルイーナが顔を背ける。その足元に、白く輝く魔法陣が浮かんだ。
「帰る」
吐き捨てた直後、魔法陣が輝きを増し、目を覆わんばかりの光があふれる。その光が収まってから瞼を開くと、ルイーナの姿は跡形もなく消えていた。
「……まじかよ」
自分だけ、転移魔法で戻りやがった。と、いうことは――
「俺、自由の身じゃね?」
シイガにかけられている隷属魔法は、確か『隷呪が効果を発揮している限り、魔王が力を込めて言い放った命令に逆らうことはできない』というようなものだったはず。
つまり魔王の言葉が聞こえなければ、問題はない。
呪印自体は残ってしまうが、厄介なのは能力の低下だけだし、時間をかければ解呪の手段も何かしら見つかるだろう。
「よし。逃げるか」
魔王が戻ってくる前に。もし追いつかれても、魔物を狩るため場所を移動しただけだとでも言えば、うまく誤魔化せるはず。
「あばよ、ルイーナ……二度と会わないことを祈るぜ」
幹に刺さった〈竜切り包丁〉を抜き、地面に転がる丸底鍋を拾いあげると、シイガは森の奥へ歩を進めた。
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