二皿目 こだわりの厳選食材
なあ、魔王さま……お願いがあるんだけどさ
「美味あああぁ――――い! な、なななななんだこれはあ!?」
スプーンを握りしめた魔王が、高らかに叫ぶ。
魔王城の中庭。今日も今日とて真っ赤なクロスが敷かれた一人用のテーブルにつき、食事を愉しむ『ご主人さま』に、シイガはにやりと笑って答えた。
「シチューだよ」
「しちゅー?」
「ああ。黒竜の舌で作った〈竜タンシチュー〉だ。七日前、ローストドラゴンの次に竜挽き肉のハンバーグを作ってやったのは覚えてるよな?」
「うむっ、はっきり覚えておるぞ! ほぐれるような食感といい、洪水のごとき肉汁といい、ドロドロした茶色いソースとの相性といい、実に美味だったからなあ……む? そういえばこのシチューとやらの味、あのとき食べたソースの風味に似ているような。はてさて、あれはなんと言ったか……デ、デ……」
「デミグラスソース」
「それだ、それに似ておる! 似ておるが……はむっ。こころなひか、あのほひよりもふかみがまひておるひがふるな」
「食うかしゃべるか、どっちかにしろ! だけどまあ……深みが増してるっつうのは、悪くねえ感想だ。あれからさらに七日間煮込んで、丹念に仕込んだからな。竜タンも、とろけるみてえに柔らかくなってる」
「うむ。驚くべき柔らかさよな……あむっ。かまなくへも、ひたのうえでかっへにとけへなくなるっ!」
「食いながらしゃべんなっつーの」
シイガの注意が聞こえているのか、いないのか。魔族の女王には似つかわしくない、とても幸せそうな表情で「美味い美味い」と漏らしつつ、魔王がシチューを食べ進めていく。それを眺めて、シイガも思った。幸せだ、と――
「はっ!?」
我に返った。
(……いかんいかん。何ほっこりしちまってんだ、俺! 相手は、魔王――俺をぶっ殺そうとした挙句、無理やり従わせてきた傍若無人オンナだぞ!? 惑わされんじゃねえ、シイガっ! ま、惑わされるんじゃ……)
「おかわりだ!」
「え? まだ食うの?」
「うむ。貴様の料理は大変美味であるからな! これっぽっちでは満たされん。いくらでも、いつまででも食べていられる」
「ん……そ、そうか? へへっ」
頬が自然とにやけてゆるむ。ニヤニヤしながら空の器を受け取って、火にかけてある寸胴鍋から追加のシチューをたっぷり注いだ。
丹精込めて作った料理を褒められ、美味しく食べてもらえるというのは、シイガたち料理人にとって最高の――
「……って、だからあああ!」
勢いよく首を振り、芽生えた邪念を振り払う。シチューを受け取ろうとしていた魔王が「ぬおおっ!?」と器を取り落としかけた。
「バカ者っ! 危うく料理が無駄になるところだったぞ、気をつけろ!」
「す、すまん……」
憮然と食事を再開する魔王に謝り、シイガは溜め息を吐く。
魔王の城に来てから七日、思えばずっとこんな調子だった。一日一回、魔王に料理を作ってやるのが、シイガの主な仕事なのだが……。
(……めちゃくちゃいい食いっぷりなんだよなあ、こいつ)
ローストドラゴンからはじまり、竜挽き肉のハンバーグ、直火で炙った竜カルビ丼、霜降り竜肉のシャトーブリアンステーキ、さっくり揚がった赤身肉の竜カツ、あっさり風味の竜肉じゃが、数種類の内臓を使用した竜もつ煮込み……と、黒竜の肉であれこれ作ってみた結果、魔王は全部気に入ってくれ、ほとんど一人で平らげていた。
おかげで、シイガもつい張り切ってしまい『今度は何を作ってやろう』とか『どんな料理で驚かせてやろう』とか、そんなことばかり考えていて、気がつけばなんとなく、今の立場を受け入れはじめてしまっていた。
――このままでは、まずい。
「なあ、魔王さま……お願いがあるんだけどさ」
「ぬ? なんだ?」
「街へ行かせろ」
「だめに決まっておろう」
即答される。
「逃がさないと言ったはずだが? 逆らうのなら――」
「待て待て、逃げようってわけじゃない! 食材を仕入れたいんだ」
不穏な気配を発する魔王を制し、シイガは続けた。
「野菜とか調味料とか、料理に使う材料がぼちぼち切れかかってるんだよ。竜肉はまだ余裕あるけど、色んな食材があれば料理の幅も広がるし。もっとたくさん美味い料理を食わせてやれると思うから」
「ふむ……」
魔王が顎に手を当て、目を伏せた。沈黙の後、首肯する。
「良かろう。ならば明日にでも、我と出かけることにしようか」
「よっしゃあ!」
シイガはガッツポーズをして喜びながら、内心『してやったり』とほくそ笑む。
魔王城から逃げ出す際に最も大きな障害となるのは、次元の穴とアビス海――凶悪な海の魔物が巣食う大海原だ。つまりそれさえ乗り越えられれば、逃げ出す機会はいくらでも――
「ああ、そうそう。念のため忠告させてもらうが、城の外に出たからといって妙な気を起こさぬ方が身のためだぞ?」
「え? ははっ、何言ってんだよ。起こすわけねえだろう? 俺は食材を手に入れたいだけなんだから……」
「ならば良い。貴様の首には、我の隷属魔法〈スレイヴリング〉が刻んであるからな。その呪印が効果を発揮しておる限り、我が力を込めて言い放った『
「…………は?」
慌ててスカーフをほどき、首を触って確かめてみるが、違和感はない。シイガが狼狽していると、魔王がどこからともなく手鏡を出し「ほれ」と向けてきた。
鏡面に映る首には毒々しい紫の術式が絡みつき、脈打つように発光している。
「なっ!? いつの間に、こんなもん……」
「貴様を城に拉致したときだ。抵抗されても面倒だからな。あらかじめ、首輪を嵌めておいたのだ」
「て、てめえ……っ!」
歯ぎしりしてにらむシイガに魔王が笑い、鏡をしまった。
「ふふっ、案ずるな。隷属魔法はただの保険だ。滅多なことで発動させる気はないよ。我は心優しき魔王ゆえ――」
「……極悪非道な痴女魔王だろ」
ぼそっと悪態を吐く。魔王の眉がピクンッと跳ねた。
「黙れ」
魔王が低い声で命じる。それに対して、言い返そうとするシイガだったが――
「……っ!?」
声が出せない。というか、口が動かない。開こうとする意思に反して、シイガ自身の唇は、ぎゅうっと引き結ばれたまま。
シイガの額に汗がにじんだ。魔王が嗤う。
「思い知ったか? これが『隷呪』の効果だよ。貴様は、我に逆らうことができない。黙れと命じられれば黙るし、死ねと命じられれば死ぬ。必ずな?」
ふざけんなっ! と叫びたかったが、無理だった。唇が、言うことを聞かない。
「しかも呪印は貴様自身の魔力を糧として、
魔王が優雅にスプーンを取る。冷や汗を垂らすシイガを満足げに眺めつつ、
「
そう言うと、再びシチューを口に運んだ。腹が立つほど、美味そうに。
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