料理とは、かくも素晴らしいものだったのか!?

「これが『料理』……」


 紅いクロスが敷かれた一人用テーブルの前。椅子に腰かけた魔王が、料理の皿をしげしげと眺めた。


 配下の魔物たちも近くに集まってきて、見慣れぬ品に注目している。


 シイガは腕組みをしてテーブルの正面に立ち、魔王が料理を口にする瞬間をドキドキしながら待っているのだが――


「……ふむふむ、なるほど。なるほどなあ、ふむ……」


 などとひとりごちるばかりで、一向に手を出そうとしない。その反応を怪訝に思い、シイガが声をかけようとしたときだ。


「おい。どう食べればよいのだ?」


「どうって……好きなように食え。料理に、正しい食い方なんてもんはねえ。あんたが食いたいように食い、味わいたいように味わえよ。ただ、そうだな……敢えて言わせてもらうなら、やっぱり最初は付け合わせじゃなくメインの肉から――」


「そうではない」


 魔王が憮然とした表情で、シイガの言葉をさえぎった。皿の左右に置かれたフォークとナイフを指さして言う。


「どういう風にこれらの道具を使えばいいのか、訊いておるのだ」


「あ? ああ、そうか……食事すんのは初めてだもんな。それじゃあ、まずは皿の左に置かれたフォークを左手で持て」


「こうか?」


「ちげえよ。なんで逆手に握ってんだよ……ああもう、めんどくせえなあ!」


 シイガは腕をほどいて近づくと、魔王の手からフォークを奪い、実演して見せた。


「こうだ、こう! 左のフォークで食べるもんを刺し、右のナイフで食べやすい大きさに切る。そんで、そのままフォークを口に持っていく。ほら、口開けろ」


「ぬ?」


「食わせてやるから」


 ついでに切った肉をそのまま、魔王の顔の前に掲げる。魔王が目をパチクリとさせ、戸惑いながらも口を開いた。


「あ、あーん……」


「――っと、悪い。その前に」


「…………。なんだ、早うせい」


 魔王が開いた口を閉じ、シイガをにらむ。

 シイガはいったん肉を下ろすと、合掌して目を閉じた。


「いただきます」


「……なんだ、それは?」


「食事の前のあいさつだ。食材への感謝の気持ちを示す言葉で『あなたの命をいただきます』って想いが込められてるんだよ。やってみな?」


 魔王が「命」と繰り返し、盛りつけられた肉を見つめる。


「クロ……」


 魔王の口から亡くした配下の名前が漏れると、途端に空気が重くなり、葬式みたいな沈黙が降りた。やがて――


「いただきます」


 魔王が手を合わせて瞑目し、おごそかに呟く。瞼をゆっくりと開け、


「さあ、あいさつは済ませたぞ? 我に料理を……貴様がクロを狩り殺し、命を賭して作りあげたというものを、味わわせてもらおうか」


 不敵な笑みを浮かべると、餌を待つひな鳥みたいに「あーん」と大きく口を開いた。魔王の尊大な態度と、間抜けで無防備な姿のギャップがおかしい。


 シイガは「おう」と微笑ってフォークを取りあげ、口まで持っていってやる。


「召しあがれ」


 ――ぱくっ! 魔王が料理を口にした。瞬間、


「~~~~~~~~っ!?」


 雷にでも打たれたみたいに、魔王がビクンッと体を震わせる。

 目を見開いて停止した後、恐る恐るといった様子で、顎を動かしはじめた。ひと噛みひと噛み丹念に咀嚼し、肉を味わう。


 魔王の喉が、ごくりと動いた。唇を噛み、深くうつむく。


「……………………」


「おい、魔王。ど、どうだった……?」


 しばらく待ってもまったく反応がないので、こわごわと問うシイガだったが、魔王は無言。顔を伏せているため、表情もよくわからなかった。


 シイガの不安と緊張が、ピークに達しようとしたとき。紅いテーブルクロスの上に、ぽたりと雨滴のような雫が落ちる。


「!? なっ――」


 泣いていた。魔王がぽろぽろ涙をこぼし、肩をぶるぶる震わせながら嗚咽していた。

 主を見守る魔物の群れが殺気立ち、シイガの背筋を嫌な汗が流れる。


「……おい」


 低く重たい声が届いた。魔王が瞳をギラつかせ、シイガをにらみつけてくる。


「何をしている? とっとと二口目をよこせ」


「へ? あ、ああ……悪い」


 シイガは命じられるまま、フォークで竜肉を刺し、魔王に食べさせてやった。魔王が目を閉じ肉を食む。


「次!」


「お、おう……」


 何も言わずに要求してくる魔王に狼狽しつつ、シイガは肉を切ってやり、グレイビーソースをたっぷり絡めて、ほしがる魔王の口へ運んだ。


「……あの。料理を食った感想は? ほら、号泣するほど美味かったとか」


「やかましい! 少しクロのことを思い出してしまっただけだ……いいから、早く次を食わせろ」


「すげえ気になってんだけど。こっちは自分の生き死にが――」


「ええい、うるさい! よこせ、バカっ!」


 シイガの手からフォークとナイフを引ったくり、魔王が自分で料理を食べる。シイガが切った肉の残りにフォークをぶっ刺し、あむっと食らいついた。慣れていないため口の周りがソースでべっとり汚れるが、気にしない。


 夢中になって肉を頬張り、ナイフを握りしめた手を、一口ごとにぶんぶんと振る。


「ん~~~~っ!」


 マナーも何もあったものではないが、そんなことはどうでもよかった。

 涙をぬぐうこともせず、一心不乱に手を動かし続ける魔王――それを見つめるシイガの胸に、じんわりと温かい感情がにじんだ。


 一度に呑み込みすぎたのか「んぐっ!?」と喉を詰まらせ胸を叩く魔王に、水の入ったグラスを差し出し、シイガは笑う。


「落ち着けよ。そんなに急いで食わなくたって、料理は逃げたりしねえんだからさ……もっとゆっくり味わったらどうだ?」


「ほんなほほひっはっへ、ひょうがなひではないひゃあっ!」


「口に物を入れたまましゃべんじゃねえよ。口の周りもベトベトじゃねえか、あーあ。ったく……おい、じっとしろ。動くんじゃねえ」


 シイガはポケットからナプキンを出し、魔王の口をぬぐってやった。

 鬱陶しげに顔を歪めて、魔王が文句を言ってくる。


「何をする? 食事の邪魔をするでない!」


「邪魔してねえよ。だから、落ち着けっての」


 シイガは苦笑し、ナプキンをしまった。


「さっきから肉ばっかじゃん。そろそろ、付け合わせにも手を出したらどうだ? 薬草ハーブソルトとバターで味つけされたじゃがいもだ。ホクホクしてて美味いぞ~。グレイビーソースをつけて食ったり、肉と一緒に食ったりしてもいい」


「好きに食えと言いおったのに、指図するのか? ふんっ……まあ、良いだろう。微妙だったら殺すだけ――ふおっ!? ふおおっ!? ふおおおっ!?」


 最初にじゃがいもだけを食べ、次にソースをつけて食べ、肉と合わせて食べた魔王が悶絶し、身をくねらせる。


「んんん~っ!? 良いぞ、もっとだ……もっとたくさん指図するのだ! 我におすすめの食べ方を教えるがいいっ!」


 魔王の変貌っぷりに、魔物たちが当惑している気配が伝わってきた。シイガは、頬がゆるんでしまうのを抑えられない。


「そうだなあ。んじゃあ、今度は薬味をつけて食ってみ? マンドラゴラをちょこっと取って、肉の上に載せるんだ。どっしりした竜肉の旨味に、さわやかなマンドラゴラの辛味が合わさって、最強の味わいになる」


「ほほう? どれどれ……むっはああああああ!?」


 シイガおすすめの食べ方を試した魔王がフォークとナイフを取り落とし、両手で頬を押さえる。瞼を閉じて肉を噛みしめ、嚥下した。


 口の端からよだれをこぼし、とろんとした目で言葉を漏らす。


「――美味い♡」


 魔王が瞳をキラキラとさせ、その未知なる感覚に身を打ち震わせた。


「噛むたびにあふれ出る芳醇な肉汁、とろけるように甘美な脂……また、肉だけでなくかけられているソースや添えられたじゃがいも、アクセントのマンドラゴラなどが渾然一体となり、竜肉の味を一層引き立てておる! あの複雑な工程が、この調和を生んでいるのか? 料理とは、かくも素晴らしいものだったのか!?」


「ああ。そうだよ、魔王さま」


 興奮しながらまくし立てる魔王に、シイガは微笑む。自信を持って問いかけた。


「……どうだ? 生まれて初めて食う料理、気に入ってくれたかよ」


「うむ、気に入った。最高に『美味しかった』ぞ!」


 屈託ない笑顔でそう言われ、シイガの胸がいっぱいになる。料理人として最も嬉しい瞬間だった。それが生死の懸かったものなら、尚さらだ。


「へへっ、そうか。じゃあ、約束通り――」


「うむっ! 貴様がクロを殺したことは不問とし、殺さずにおいてやる。むしろ、感謝をせねばなるまい。貴様の料理に比べれば、クロの命など安いものだよ」


「魔王……」


 喜ばしいやら面映ゆいやらで、シイガは熱くなった頬を掻く。張り詰めていた緊張が解け、全身から力が抜けた。だが直後、


「――と、いうわけで」


 魔王のまとう気配が変わる。食器を置いて立ちあがると両手を広げ、傲岸不遜に要求してきた。


「我のものになれ」


「え?」


「我の臣下に加えてやろうと言っておるのだ。貴様が作る料理には、その価値がある。城に身を置き、我に仕えて、美味い料理を食べさせるがいい!」


 などといきなり勧誘されたシイガは、しばし硬直。後頭部を掻きながら訊く。


「……俺に『魔王専属の料理人』になれと?」


「そうだ!」


「このお城に住み込みで、あんたのために、死ぬまで料理を作り続けろと?」


「そうだっ!」


「なるほど」


 シイガは首肯し、はっきり答えた。


「断る」


「…………。なぜだ?」


 魔王の表情が強張る。シイガは努めて明るい口調で、理由を話した。


「いやあ、お誘いは嬉しいんだけどさ。俺、まだまだ修行中っていうか? 自分の足で世界中を回って、食材探して、色んな料理を試してみたいと思ってるんだよ。どっかに腰を落ち着けるのは、まだ早いかなって」


「…………」


「つうか、あんたら魔族じゃん。人間の俺がいたら浮くだろ、確実に。そんなところでやってく自信とかねえわ。無理、絶対に無理っ!」


「……………………」


「だけどまあ、俺の料理が食いたいんだったら、また作りに来てやるよ! アビス海の真ん中にあるから、俺一人じゃ来られねえけどな。迎えをよこしてくれるんだったら、年一回くらい――」


「おい、貴様。勘違いをしておるようだな?」


 しゃべるシイガに声をかけ、魔王がにっこりと笑む。


「これは勧誘ではない。命令だ。貴様に、拒否権などないよ?」


 しかしシイガを射貫く瞳は、微塵も笑っていなかった。

 シイガの額に汗が湧く。


「待て。話がちげえぞ、魔王さま? 俺の料理であんたを満足させることができたら、見逃すんじゃなかったのかよ!?」


「ああ、見逃すとも。命はな。だが貴様は逃がさない……手放してなど、やるものか!クロのことはもう綺麗さっぱり赦すと決めたが、それとこれとは話が別だ。我は貴様が気に入った。貴様の作る料理に惚れ込んだのだ。だから、貴様を手に入れるっ!」


「嫌だと言ったら?」


「撤回させる。城に囚えて監禁し、貴様が首を縦に振るまで拷問し続けてやる。逃がしはしない。必ず我のものにしてやるっ!」


「くっ……」


 なんて魔王だ! シイガはぎりっと奥歯を噛みしめ、拳を握りしめた。

 魔王が嗤う。有無を言わさぬ口調で尋ねた。


「どうする? 大人しく我の命令に従うか、我に逆らい抵抗するか。もう一度言うぞ、我のものに――」


「わかったよ」


「……む」


 シイガがあっさりうなずくと、魔王が拍子抜けしたように固まる。


「わかったとしか言えねえだろう、こんな状況……」


 周囲に首を巡らせながら吐き捨てた。

 魔物の群れに取り囲まれて、正面には魔王。竜切り包丁と金剛鉄アダマンタイトの丸底鍋も奪われたままだし、うまく城から逃げおおせたとしても、待っているのは次元の大穴と絶海――そんなもの、どう乗り越えればいいというのか。


「ふふっ。賢明な判断だ」


 シイガが肩を落としていると、魔王は満足そうに破顔し、食事再開。竜肉を頬張り、身をよじらせる。


「ん~~~~っ、美味い! こんな料理が、これから毎日味わえるのか……幸せすぎてたまらんな! 無論、不味ければ即死刑だが」


「し、死刑って……」


 悦ぶ魔王に戦慄し、シイガは早くもげんなりとした。自分の命が懸かった料理をこの先ずっと、死ぬまでさせられ続けることを思うと、胃が痛すぎてたまらない。


 二年前、旅立つ自分を送り出してくれた人の顔がふと脳裏に浮かぶ。


(……師匠。俺の『料理を極める旅』はどうやら、ここでおしまいみたいです。すげえ不本意なんですけど……はあ。不出来な弟子で、すいません)


 ――魔王城の料理人。考えるだに壮絶なその職業と、これからはじまる過酷な日々に想いを馳せて、シイガは昏い空を仰いだ。

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