美味い料理が食いたいんだろ?
「……暇潰し? お前ら、そんな理由でちょっかいかけてきてんのか?」
「うむ。我ら魔族には『寿命』という概念がない。三百年も生きておるとな、毎日暇で仕方ないのだ」
言いながら腕を組み、魔王が嘆息を漏らした。
「魔界には何もないしの。闇の地平が広がるばかりで貴様らが住む世界のような自然も存在しておらず、娯楽といえばもっぱら戦争であった。だが魔族同士の争いに勝利し、我が魔界を統治してしまったら、やることがなくなってなあ……時間と力を持て余した我ら魔族は次元を越える術を生み出し、他の世界を侵略することにしたのだ」
「しょ、しょうもねえ……」
てっきりもっと壮大な野望か、資源不足など切実な事情があるのかと思っていたが、これである。侵略される側はたまったものじゃない。
「だから――」
魔王が紫色の双眸を細めた。火にかけられている鍋を眺め、呟く。
「試してみようと思ったのだよ。貴様のような人間が、その短い生命を費やしてまで、追求している『料理』とやらを……まあ、大した期待はしておらぬがな」
魔王の声は冷たく乾ききっており、諦念にも似た寂しさが含まれていた。その言葉
を聞いたシイガの胸に火が灯る。
「……ああ。わかったよ」
「む?」
怒りではない。シイガは自身の胸中に芽生えた温かい、情熱にも似た想いを眼差しに込め、魔王を見あげた。改めて、言い放つ。
「そんなに暇で退屈だっていうんなら、俺が教えてやろうじゃねえか。戦争なんかよりずっと楽しく、素晴らしい生きがいを」
「…………。ほう?」
魔王が頬を歪めた。紫色の目を爛々とさせながら、応じる。
「おもしろい。できるものなら、やってみろ」
◆ ◆ ◆
「お待たせ。それじゃ、開けるぞ?」
まだ燃やしてない薪を使って蓋の上に積もった灰を落としつつ、隣を見やる。
魔王が「うむ」と首肯した。
「早うせい。なんなら、我に開けさせろ」
「んー。そうだな、せっかくだから開けさせてやるか。ちょっと待ってろ。蓋を開けるときは、鉤つきの棒を使って――」
――パカッ!
「素手で行ったあああ!?」
上下から熱せられた鍋の蓋は高温であり、火傷は必至。しかし、魔王はケロッとした顔で蓋を持ち、反対の手をひらひらと振る。
「案ずるな。〈マジックバリア〉が張ってある。熱ごときにはやられんよ」
「あ、ああ……そ、そうなのか」
さすが魔王だ。驚嘆するシイガから視線を外し、魔王が鍋の中をのぞいた。
「……ううむ。なんだか、あまり変わっておらんな? 香りは良いが」
散々待たされ、期待値をあげられたせいなのか。蒸された野菜と葉っぱの香り、肉の匂いが混ざった湯気に鼻をひくひくさせながらも、魔王はどこか不満げである。
「まあ、肉は最初に焼いてあるからな。見どころはこれからだ」
シイガは異空間から鉄串を引っ張り出すと、肉の中心に数秒突き刺して抜き、先端を下唇に触れさせた。ほんのりと、人肌程度に温かい。
「……よし、火の通り具合は問題ねえな」
「おお! では、ついに完成――」
「こっから、しばらくこいつを冷ます」
「まだできんのか!?」
「焦んなよ。粗熱を取り、肉汁を落ち着かせるためだ。あんたも落ち着け」
言いつつ、トングで肉とじゃがいもを出し、トレーに移す。熱々の蓋と一緒に重たいトレーを押しつけられた魔王が「おい」と唇を尖らせた。
「次はどれくらい待つのだ?」
「そんなに長くは待たねえよ。最後の作業が終わったら、すぐ切り分けてやる」
「最後の作業?」
「ソース作りだ。あんたにも手伝ってもらうから、とりあえず肉を調理台に置いてきてくれ。蓋も頼んだ!」
「魔王使いの荒い奴だな!? 貴様、我を誰だと――」
「美味い料理が食いたいんだろ?」
「……微妙だったら殺す」
殺意をみなぎらせて吐き捨て、魔王が調理台へと向かう。
その間、シイガは鍋の中から月桂樹の葉と底網を取り除き、代わりに白ワインと水を加えた。おたまで香味野菜を掻き混ぜながら煮立たせ、鍋の底にこびりついたお焦げや肉汁などを溶かし出す。
魔王が戻ってきて、興味深そうに尋ねた。
「ほう、それがソースか?」
「ああ。グレイビーソースだよ」
「グレイビーとは?」
「肉汁って意味だ。肉汁には、肉の旨味が溶け出してるからな。無駄なく利用するんだよ。そこに白ワインと香味野菜を加えることで、味に深みを出していく」
「ほほう……このソース作りも、やはり時間がかかるのか?」
「いや、すぐにできるぞ。グレイビーは、食べる直前に作るソースだからな……よし。魔王、出番だ! 両手で鍋を持ってくれ。かまどの上から、どかしてほしい」
「うむ」
魔王が素手でぐわしっと鍋をつかんで、持ちあげた。
シイガは新しく準備したフライパンを火の上に置き、その上空で持ち手がついた円錐形の金網を構える。魔王が不思議そうにした。
「……それは?」
「濾し器だよ。今回切った香味野菜は『
「野菜自体は食べんのか?」
「ああ。だから、すじや皮つきのまま切ったんだ。その方がたくさん旨味を抽出できるし、搾りカスの身はいらねえからな」
「ほう? 使えるものだけ奪い取り、使えぬものは容赦なく処分するのか……ふふふ、良いやり方だ。貴様は、果たしてどちらだろうな? 汁か、身か――」
「おい。ぐだぐだしゃべってねえで、あんたが持ってる鍋の中身を早く濾し器に注い
でくれ魔王。こぼさないよう、慎重にだぞ?」
「…………。うむ」
何か言いかける魔王だったが、あきらめたのか口を閉じ、仏頂面で指示に従う。
鍋を傾けながら小声で「微妙だったら殺す、微妙だったら殺す、微妙だったら……」などとぶつぶつ呟いていたのは、聞かなかったことにしておこう。
野菜が残った濾し器を魔王に押しつけ、シイガはソースの仕上げに入った。
濾したスープにしょうゆを加えて余分なアクを取り除き、水溶き片栗粉を入れると、円を描くように掻き混ぜる。
魔王が「お?」と眉をひそめた。
「とろみがついたな」
「肉にかけたとき、よく絡むようにするためだ。最後にバターをひとかけら落とせば、グレイビーソースの完成」
「おおっ!」
拍手する魔王。シイガは水魔法〈アクアバレット〉で火を消すと、フライパンを手に調理台へと戻る。
その途中。ふと目につくものがあり、シイガは歩みを止めた。すぐ後ろをついてきていた魔王が、シイガの背中に顔をぶつける。
「ぶっ!? なんだ、いきなり止まりよってからに……」
「おい魔王、あれってマンドラゴラだよな?」
庭の片隅。マンイーターやアルラウネなど、魔物化した植物が生い茂る中、そこだけぽっかり空いた地面に、青々とした葉が生えていた。
魔王が鼻をさすりながら答える。
「ああ、奴はキングマンドラゴラだ。毒こそないが、引き抜いたときの叫びがとにかくすさまじい。魔王の我でも、しばらく耳鳴りが止まなくなるほど――」
「あれ、もらってもいい?」
「……なんだと?」
「料理に使いたいんだよ。あいつがあれば、美味い料理をさらに美味しくできると思うんだ。いいだろ魔王? 魔王さまっ!」
「ううむ。料理のためなら構わぬが……」
「よっしゃ!」
シイガは喜び、魔王にフライパンを渡した。両手に濾し器とフライパンを持たされた魔王が「おい」と低い声を出したが、聞こえないフリをして歩きはじめる。
料理を傍観していた魔物たちがどよめき、耳を押さえたり退散したりした。シイガは宙空から鉄串を引っ張り出すや、
――ドスッ!
マンドラゴラの根本に突き刺す。
反対の手で葉っぱをつかんで引き抜くと、地面の中から、人間のような形をしている不気味な根っこが現れた。
絶叫はない。シイガの鉄串に胸の辺りを穿たれ、息絶えている。
「ほう、一撃で仕留めよったか……」
「おう。獲り慣れてるからな」
唸る魔王に笑いかけ、シイガは調理台へ向かった。
マンドラゴラを水魔法でよく洗ってから端に置き、波刃の包丁を構えると、冷ましておいた竜肉と対峙する。
「よし。切るぞ?」
「う、うむ!」
一度魔王に確認してから、まな板の上で鎮座している肉のかたまりに、スウッと薄く刃を入れた。こんがり焼けた表面が切れ、現れたのは――
「……っ!」
外側から内側に向かって、赤身肉が綺麗なグラデーションを生み出している、見事な肉の断面だった。
ほんのりとしたピンク色から鮮やかな赤色、ミディアムからレアへ。火の通り具合で微妙に色が異なる赤身肉には白い脂がほどよく走り、艶やかで透明な肉汁がたらたらときらめきながら伝い落ちている。
魔王の口から、吐息混じりの声がこぼれた。
「美しい……」
「ああ。完璧だ」
シイガもたまらず笑みをこぼし、束の間、美しい断面に見惚れた。一枚一枚、丁寧に包丁を入れ、竜肉をスライスしていく。
一枚だけでも充分大きな肉をたっぷり五枚、扇状に重ね合わせて木皿に並べた。
そして、皮つきのまま一口大に切ったじゃがいもを添え、フライパンからグレイビーソースをかけると――
「今度こそ完成か!?」
「いや、まだだ……あともう少し!」
「ぬううっ、焦らすのう」
シイガは先ほど獲ったばかりのマンドラゴラを切り、その根っこ部分を、おろし金ですりおろす。そうして出来た『おろしマンドラゴラ』を皿の端にちょこんと盛りつけ、葉っぱ部分を千切って飾れば、
「お待ちどう」
――出来あがり。
もう待ちきれない様子の魔王に皿を差し出し、シイガは告げた。
「〈魔王さまのローストドラゴン〉だ。生まれて初めて食う料理、とくと味わってくれ魔王さま」
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