一皿目 生殺与奪のクッキング

痴女が女王してるとか、どんなハレンチ種族――

「……ま、魔王? ははは、冗談きついわー。痴女が女王してるとか、どんなハレンチ種族――」


いかずち


「あばばばば!?」


 黒い雷が落ち、シイガの体を感電させる。


「貴様。もう一度言ってみろ」


 言ってみろと言われても、雷を喰らった直後のシイガに言葉を発する余裕などない。

 しかし、魔王は不愉快そうに顔をしかめてシイガの頭を足蹴にすると、理不尽に脅迫してきた。


「おい。どうした、言ってみろ。我の命令に従わぬなら、殺すぞ人間?」


 不吉な音がバチバチ鳴っているから、恐らく本気なのだろう。瀕死の体に鞭を打ち、シイガは震える声で答えた。


「ち、痴女が女王してるとか……どんな変態ハレンチ種族――」


「一言多い。雷!」


「あぎゃぎゃぎゃぎゃ!?」


 また黒雷を落とされる。もっと優しくツッコんでくれと言いたい。


「……ふんっ。我の配下を手にかけたことといい、大した度胸をしているではないか。そこは認めてやるぞ人間? 我の雷獄魔法〈ヘルスパーク〉を三発喰らって、息があるのも褒めてやろう。だが――」


 魔王がシイガの髪をつかんで、無理やり面をあげさせてきた。目を合わせ、笑む。


「だからこそ、生かしてはおけん。見たところ、まだ二十年も生きていないようだが。その未熟さで上位竜バハムートを屠るとは、侮りがたい人間よ。早急に潰させてもらおう。我らに仇なしたこと、死して後悔するがよい」


「あ、仇なしてなんか、ねえ……」


 魔王の瞳をにらみ返して、シイガは呻いた。


「知らなかったんだ。まさか魔物に『ご主人さま』がいて、しかも魔族の女王とか……誰が想像できるかよ」


「ほう。つまり敵意はなかったと?」


「ああ。襲われたから、やり返しただけだ」


「ふむ」


 魔王がつかんだ髪を離して、少し気配を和らげる。


「なるほどな。クロが貴様を襲わなければ、貴様もクロを殺さなかったのか?」


「いや、まあ殺してたけど」


「なら殺す」


「待て、早まるな! 俺が魔物を狩るのには、ちゃんと理由があるんだよ」


「ほう? 言ってみろ」


「食べるんだ」


「た、食べる……だと? 魔物をか!?」


「おう。もちろん、そのまま食うんじゃないぜ? 食材として使うんだ」


「贖罪? 貴様がクロを殺しよった罪なら、我がこの手で贖ってやるつもりだが」


「その『しょくざい』じゃねえ! 料理に使う食材だ」


「りょうり?」


 魔王が首を傾けた。それから、ぽんっと手を打ち合わせ、


「おお。料理か、料理! 馴染みの薄い文化ゆえ、すぐには浮かんでこなかった。魔力を糧に生きる魔族は、食事を摂る必要がないのでな。我も生まれて三百年ほど経つが、未だ何かを口にした経験はない」


「……………………は?」


 顎を落として固まるシイガに、魔王が「ぬ?」と眉をひそめた。


「なんだ、その反応は? 心なしか、我が『魔王』だと告げたときより、狼狽しているように見えるが」


「当たり前だろ!」


 シイガは両手で顔を覆い、突っ伏す。


「三百年間、何も食わずに生きてきたとか……あ、あり得ねえ。痴女が魔王をやってることより、あり得ねえ」


「おい貴様。今度『痴女』呼ばわりしたら殺すぞ?」


 シイガは顔を持ちあげて、殺気立つ魔王を眺めた。体の大事な部分だけがかろうじて隠されている、もはや服とも呼べない服を見て、大仰に溜め息をこぼす。


「はあ、そうか……美味い料理を食ったことがねえから、こんなにささくれた心をしてやがんだな。かわいそうな痴女――あばばばば!?」


 脳天に黒雷をぶち落とされた。


「違うわあっ! 我がこうして荒れているのは、貴様がクロを殺してくれたからだよ。何が料理だ、人間め! そんなくだらんもののため、クロは命を――」


「くだらなくねえ」


「む?」


「料理は、くだらなくなんかねえ……」


 体を起こし、魔王をにらむ。今の言葉は聞き捨てならなかった。どれだけダメージを喰らわされていようが、相手が魔族の女王だろうが、そんなことは関係がない。


 大地に十指を食い込ませて、シイガは猛る。


「マトモに食ったことねえ奴が、料理をバカにしてんじゃねえぞ!? 食事を摂る必要がないから、料理を口にしていない? はははっ……だとしたら、てめえはとんだ間抜けだぜ。あんな素晴らしいもんを知らずに、三百年も生きてきたんだからな!」


「き、貴様……」


 魔王の顔に浮かんでいるのは、憤怒や驚愕よりも濃い困惑だった。


「……バカな。四発目の雷を受けた直後に立ちあがれる、だと? な、なぜ……」


「なぜ? 俺が料理に、命賭けてるからだよっ!」


 叫ぶと同時に空間魔法を行使し、跳ね起きる。

 手元に開いた異空間の入口に右腕を突っ込み、鉈のような形状の小剣――否、両刃の菜切り包丁を引き抜いた。


「ぬおおっ!?」


 体と同時に跳ねあげられた刃を、魔王がバックステップで躱す。


「くたばりやがれ!」


 シイガはすかさず距離を詰め、左手付近に開いた異空間から牛刀を引き抜いた。

 魔王の無防備な頸動脈に、鋼の刃を叩き込む。

 ――が、宙を舞ったのは血しぶきではなく牛刀だった。魔王の肌に薄く張られた魔力結界〈マジックバリア〉に、斬撃を防がれたのだ。


「雷!」


 お返しとばかりに撃ち放たれた黒雷を回避し、いったん距離を取る。斬りつけられた喉を撫で、魔王がジト目を向けてきた。


「……何をする? 我の柔肌を傷つける気か」


「うるせえ、何が柔肌だ。竜の鱗より硬えじゃん……」


 化け物じみた強度をしている。調理用の刃物では、まったく歯が立ちそうにない。


「チッ……やっぱ『戦闘用』じゃなきゃだめか、くそっ!」


 魔王と対峙することをやめ、シイガは駆けた。地面に転がる大剣じみた巨大〈竜切り包丁〉と、盾の代わりに使用している金剛鉄アダマンタイトの丸底鍋を回収しようとする。


「ぶっ!?」


 包丁の柄をつかみかけたシイガの顔面に、魔王の蹴りがめり込んだ。もんどり打って倒れるシイガの腹を踏みつけ、魔王が嗤う。


「随分とまあ、活きの良い人間だ」


 高々と振りあげられた右手には黒い雷が集められ、闇色の稲妻を撒き散らしていた。

 その量は、シイガがこれまで浴びせられたものの優に数倍。


「だが、もう終わりだよ」


 魔王が浮かべた笑みを消し、冷酷な声で命じる。


「命が惜しくば、ひざまずけ。クロを殺してすまなかったと詫びるのだ。そうすれば、我の気が変わるやもしれんぞ?」


「断る」


 シイガは即答。魔王の顔をにらみあげ、吐き捨てた。


「こちとら美味い料理を作るのに、命と人生賭けてるんだよ! 俺はあの黒竜を料理

してみたいと思った、だから狩り殺そうとした。命を賭けて臨んだ食材調達クエストに、後悔はねえ! それが料理人のプライドだ。るなられよ、魔王さま」


「……ふんっ、愚か者めが。――雷っ!」


 つまらなそうに鼻を鳴らして、魔王が腕を振り下ろす。

 衝撃。そして激痛。黒い光に視界が染められ、


「料理、か……」


 ぽつりと呟く声を聞いた瞬間、シイガの意識は闇へと堕ちた。


                 ◆ ◆ ◆


 再び意識を取り戻したとき、シイガは魔道具らしき鉄鎖で体をぐるぐる巻きにされ、鮮血のように真っ赤な敷き布の上に転がされていた。


 短い階段の先、頭上には立派な黒い玉座が置かれ、痴女と見紛う姿の女性――魔王が腰かけている。脚を組み、肘かけに頬杖をつくという偉そうな態度で。


「お。起きたか人間、気分はどうだ?」


「……最悪に決まってんだろ」


「最悪? おかしいな。怪我は治療してやったはずだが」


「ん――」


 言われてみれば、あれほどあった痛みや傷は綺麗さっぱり消えていて、多少のだるさはあるものの、体調はほぼ万全に近かった。


 シイガは胡乱げな目で魔王をにらみ、周囲に視線を巡らせながら言う。


「ああ、なるほどな……こいつら手下どもと一緒に、俺をとことん嬲るつもりかよ」


 広い部屋には数十匹もの魔物が集められ、身動きできないシイガと魔王が座る玉座の周りを、ぐるりと取り囲んでいた。


「ふふ、そうだなあ。瀕死にされては回復され、回復されては瀕死にされて、皆の慰みものになる。場合によっては、そんな末路を迎えてしまうやもしれんなあ?」


「――場合によっては?」


 魔王の言い回しに引っかかりを覚え、訊く。すると、魔王の笑みが深まった。


「うむ。助けてやらんでもないが、一つだけ条件がある」


「……なんだよ? 俺がお前の配下を殺したことなら、謝らねえぞ」


「それは良い。この期に及んで謝られても、赦さんからな」


「じゃあ、どうしろっつうんだ……」


「料理しろ」


 脚をほどいて立ちあがり、魔王が玉座から降りる。シイガに近づいてきながら、


「貴様が殺したクロを料理し、我に食べさせるのだ。貴様の料理で我を満足させることができたら、処遇を考えてやろう。できなければ、嬲り殺しだ……ふふふ。貴様の言う『料理』とやらが、クロの命にふさわしいものであるのかどうか、我が直々に確かめてやる! 命を賭けると豪語する料理で、自らの命を勝ち取ってみよっ!」


「…………。へえ?」


 嗤う魔王にシイガも笑った。

 見下ろしてくる魔王を見あげ、自信に満ちた声で応える。


「上等だ。なら、存分に味わわせてやろうじゃねえか。料理の魅力や価値、美味しいっつう感覚を。あんたの舌と、胃袋になあ!」


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