35-5.「先輩は、震えてた」

 達彦がこっちに近づいてくる。身構える正人の反対側から美登利に顔を寄せて囁いた。

「黙っててあげるよ。棺桶に入るまで」

「……」

「その代わり、僕の頼みも聞いてよ。琢磨の不味いコーヒーが飲みたいんだ。そろそろ僕を店に入れてくれって君から頼んどいてよ」

 美登利は返事の代わりに横目に視線を流す。

 達彦は笑って土手を上がっていった。


 正人は体ごと美登利に向き直る。

「前にあの人に嫌な目にあったって」

「うん、そうなんだけどね」

 ふうっと眉間を撫でながら美登利は正人を見据えた。

「どうして余計なことしたの?」

 怒っている。

「私は大丈夫だったのに」


 正人はぐっと顎を引き、思い切って彼女に逆らった。

「大丈夫なんかじゃない」

「なに言って……」

「だって、震えてる」

 握ったままの彼女の手を少し持ち上げて見せる。

「先輩は、震えてた」

「……っ」

 美登利はなにも言わずに俯く。

 手を振り払われるかと思った。だけどしばらくそのまま、美登利は俯いたままで動かなかった。


「放して。もう、大丈夫だから」

 離したくない。でもこれ以上この人を疲れさせたくなくて、その手を放した。

「池崎くん、出かけるところだったんじゃないの?」

「あ、うん。昼飯買いに」

「一緒にロータス行く?」




 昼時だというのに喫茶ロータスは相変わらず閑古鳥が鳴いていた。

「なんだよ、珍しい組み合わせ」

 カウンターの一番奥で雑誌を読んでいた宮前仁が目を丸くする。

「タクマ、池崎くんにご飯あげて」

「おまえは?」

「私はいい」


 宮前のそばに寄るとその足をゲシゲシ蹴る。

「っにすんだよ、コラ」

「どいて、私がそこに座るの」

「普通に言えねえのかよ、おまえは」

 文句を言いつつ宮前は席を譲って自分は後ろのテーブル席に座る。

「誠は元気か? 勉強邪魔しちゃ悪いと思ってこっちからは電話もしてないけど」

「元気なんじゃない」

「おまえなあ」


 ふうっと壁に寄りかかって美登利はだらしなく頬杖をつく。

 カウンターの先でどんぶりをもらって食べ始めた正人を眺めながら、美登利は琢磨に言った。

「ねえ、タクマ。村上さんの出入り禁止を解いてあげてよ」

「はあ? なんだいきなり」

「あんたのコーヒーが飲みたいんですって。数少ないお客でしょう」

「……おまえが言うならしょうがない」

「うん」


 ため息をついて目を閉じる。琢磨が心配そうに眉を上げる。

「どうした?」

「もうみんな、好きにすればいいよ。私は疲れた」

 美登利は目も上げずに返事をする。

 覇気のない様子に男たちはただ顔を見合わせた。

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