32-5.大切にしなくちゃダメだ




「まさか巽くんが彼女連れで来るとはなあ」

 仕事が終わって引き上げながら淳史が漏らす。

「いい感じの人だね、おもしろいし。ちょっと変わってるけど巽くんに合ってる。結婚するのかな? 先越されちゃうなあ」

 なんの返事も返ってこなくて、淳史はあれ? と振り返る。

「みどちゃん?」

 一緒に廊下を歩いていたはずの美登利がいなくなっていた。





 拓己の家でがやがやと夕飯を食べた後くだらない話に夢中になって、花火を始めるのが遅くなってしまった。

 庭でやるつもりだったが騒々しくしては申し訳ないと、神社の広場までバケツと花火を持って移動した。


 月の明るい夜で林道を歩くのも灯りがいらないくらいだった。

「すごい! 月の光で影ができるんだね!」

 都会っ子の反応に正人も拓己も苦笑する。


「線香花火は最後だぞ」

「わかってる」

 四人で花火を始めると辺りは一気に火薬のにおいと煙が充満した。

「煙たい、臭い」

「でもキレイ」

 みんな昼寝をしたからこんな時間でも元気だ。無駄にテンションが高い。


 それでも締めの線香花火をするときにはしんみりした空気になった。日本文化の不思議だ。

「終わっちゃったね」

「ね……」

「いや、まだ夏は終わりじゃないし」

 苦笑いして拓己はバケツを持ち上げる。


「須藤、ゴミ袋持ってきたよね。社務所の水道で片づけしちゃおう」

「うん。行ってくるから待っててね」

 綾香に言い置いて恵は拓己と行ってしまう。

 急に静かになってしまったことに戸惑ったが正人が先に立って遊具の方に向かったので綾香も後に続く。


 そちら側からはなにも遮るものなく水平線が見えた。海面に月の光で道ができている。

「きれいだねぇ!」

「うん」

「来てよかった」

「うん」

 大好きな人とふたりでこんな素敵な景色を見られることが嬉しくて幸せだった。だからこそ、もう少し、もう少しと心が欲張りになる。


 もう少し……隣に立つ正人に手を伸ばす。気がついて手をつないでくれた。

 嬉しくて綾香は笑顔になる。つないだ指先がどきどきと脈打つのがわかった。恥ずかしいけど俯いたりしない。


 そんな綾香の笑顔を見て正人は思う。

 大切にしなくちゃダメだ。素直で優しくて嘘のないまっすぐな好意。そんなものこそ自分には必要で、大切にしなければダメだ。

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