30-5.兄貴以外にも

 尻尾を巻いて逃げていく彼女らの背中をまだ睨みながら美登利はぎゅっと兄の手を握る。

 巽はなにも言わずにそんな妹の手を握り返した。


 そういうことかと達彦は美登利の行動の意味を悟った。

 大好きな兄に悪い虫がつかないか心配というわけか。


 巽が会議で帰りが遅れた日、達彦は先に学校を出て美登利と会った。

「手伝ってあげようか?」

 相変わらず警戒心むき出しの冷たい表情で達彦を見る。

「学校にいる間は僕がオニイチャンを見張ってあげる。様子をいろいろ教えてあげるよ」

「わたしは別に」

「心配なんだろう、オニイチャンが」

 瞳がかすかに揺らいだ。初めて見る兆候だ。


 更に言葉を重ねようとしていると、また邪魔が入った。

「美登利」

 あの少年だ。

「お待たせ、行こ」

「うん」

 話が途中だというのに美登利は踵を返す。

「さようなら、村上サン」

 ふたりで何か話しながら信号を渡って行ってしまう。

 美登利が彼に向けた笑顔を見て達彦は少なからず衝撃を受けた。兄貴以外にもあんな顔ができるのではないか。


 敗北感とも喪失感とも言えそうなこの感情。

 自分はまだあの子と交流らしきものを持ててもいない。これは由々しき問題だ。

 そもそもここでムキになる必要はまったくなかったというのに、達彦は完全に目的を見失ってしまっていたのである。





 なんの成果もないまま時は流れた。達彦たちは二年生に進級し新入生を迎えることができた。

 ここでまた巽を悩ませる出来事が頻繁に起こるようになった。新入生たちのラブレター攻撃だ。

 なにせつい先日まで中学生だった少女たちはまるで恐れを知らない。集団で押し寄せてきて大量の手紙を置いて逃げていく。


 巽はそれを読みもしないで生徒会室に置いてある大きな缶の中に放り込む。臭い物に蓋をするように。


 あの子に教えたらなんて言うだろう。

 怒って眉をひそめるだろうか、こんな兄に呆れるだろうか、悲しむのだろうか、喜ぶのだろうか。想像もつかない。

 自分はあの子のことをなにも知らないのだから。





 劇的な変化が起きたのは間もなくのことだ。

 いつものようにロータリーの隅のベンチに美登利が座っている。その日の彼女は珍しいものを手にしていた。

「お手玉?」

 尋ねると、いつもより格段に力のない疲れた表情で彼女は答えた。

「昔の遊びをやってみようって授業で……。両手でふたつはできるけど片手ができない」

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