27-5.「僕の大事な妹だろう」

 実際には文武両道の猛者である池崎勇人はやれやれと腕を下ろして残念そうにつぶやいた。

「なんだ、人前だからって恥ずかしがることないだろうが」

「なんでここにいるんだよ」

「なんでって……」


「ところで、うちのお姫様は?」

 話を思い切りぶった切って涼しい声が問いかけてくる。

 中川巽。色素の薄い髪と瞳の色は、写真で見たままだ。物腰の穏やかさが澤村祐也に似ている。


「先輩は……」

 口ごもる正人の横から、片瀬がへろっと言った。

「逃げちゃいました。しかも裸足で」

 美登利が置いていった上靴を掲げて見せる。


 口元を押さえる一ノ瀬誠の横から一歩踏み出して、中川巽はくすりと笑った。

「仕様のない子だなあ」

 片瀬の手から上靴を取り、そのまま窓際へ近寄った。窓を開ける。

「ちょ……ここ、二階!」

 制止の間もなく飛び下りた。すとんと、普通に地面に着地してそのまま歩いて行ってしまう。


 窓から身を乗り出した正人はあんぐりと口を開けてその姿を見送った。

「羽でも生えてるんすか、あの兄妹」

 それでも驚かないな。誠はただ苦笑いした。





 自分でもわけがわからないまま美登利は逃げていた。だって、こんなの不意打ちすぎる。


 ずっと練習してきた。次に会ったらちゃんと笑えるよう、考えて、気持ちをコントロールして。きっと笑えるように。最大限に努力した。

 でも意気地のない心はなかなか覚悟が決まらなくて、逃げて、逃げて。

 往生際悪く今も。今だから。


 今は特に駄目だ。髪をなくした。

 ――じゃあ、きらない。

 唯一守ってきた約束を断ち切った。

 そのすぐ後で、こんなぐちゃぐちゃの気持ちのままでは、平静でいる自信なんて、あるわけがない。


(会いたい)

 人の多いグラウンドを避け、園芸部の菜園の影に駆け込む。

(本当は)

 苗木の向こうから人影が現れて、

(会いたいんだよ)

「見つけた、僕のお姫様」


「……っ」

 とっさに美登利は頭を押さえて後ろを向いた。

「見ないで」

「どうしたの?」

「だって、髪を、切ってしまって」

 巽はそっと妹の手を取る。

「馬鹿だなあ。髪が長くたって、短くたって、僕の大事な妹だろう」


「……」 

 涙が出そうになってまともに顔を上げられない。

 約束なんて、意味はない。そんなこと知っていた。なにひとつ、守られた約束なんかない。

 それなのにこだわったのは。長い髪にも、学校にも。

 こんなにもこだわってしまうのは、

(好きだから)

 ただ、好きだから。

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