27-4.脱兎のごとく

 保健室の窓は開いていた。

「すみません」

 ひょいっと中を覗く。

 回転いすに座って、中川美登利が自分の足に絆創膏を貼っていた。

「先生ならいないけど」

 言いながら顔を上げて正人だと気づく。

「どうしたの?」

「ワセリン、塗ってもらいたくて」


 美登利は立ち上がり慣れた様子で戸棚を漁った。

 裸足のまま正人に近づいてくる。

「どうしたの?」

 もう一度訊かれて正人は正直に答える。

「窒素で凍った花に触った」

 窓越しに両の手のひらを向ける。少しヒリヒリしてきたと思ったら赤みが差してきていた。

「馬鹿だなあ」

 なにも反論できない。


 手のひらを上向けさせて、美登利がワセリンを塗ってくれた。

 されるがままになりながら正人は彼女の足元を見る。つま先やかかとが絆創膏だらけだ。

「靴擦れ?」

「ちょっとね」

 履きなれない靴であんなに動き回れば当然だ。


「待ってて、このままじゃべたべたするよね」

 また戸棚を漁って今度はディスポ手袋を持ってくる。

「よく知ってるな」

「そこそこ常連だからね。満身創痍なんだよ、これでも」

 この人は、偉そうに人をあごでこき使って、騙して、利用して、傷つけて。そして自分もぼろぼろになっている。だけどそれを人には言わない。

 今なら正人にもそれがわかる。わかるけど、なにもできない。


「池崎くんはさ、これから活躍する人なんだから、気をつけなきゃ駄目だよ」

「なんだそれ」

「なにって……」

「先輩!」

 背後から叫ばれてびっくりした。片瀬修一が廊下から息を切らせてこっちを見ている。


「池崎も、ちょうど良かった」

「なんだよ」

「先輩のお兄さんと、池崎のお兄さんが来たんです」

「……!」

「!!」

「いま生徒会室に……」


 皆まで聞かずに美登利がぐっと正人の肩を掴む。

「え……」

 押しのけられたと思ったら、美登利は窓枠を乗り越えて外に走り出していた。裸足のまま、脱兎のごとく。

「…………」

 正人と片瀬は呆然と見送るしかなかった。




「兄貴!」

「弟よ! 懐かしの再会だ。さあ、兄ちゃんの胸に飛び込んでおいで」

 さあ、と本当に腕を広げる兄の勇人に正人はぶるぶるとこぶしを震わせた。

 変わらない。この兄は本当に変わっていない。相変わらず短く刈り込んだ髪にメガネという、おまえは体育会系なのか文科系なのか、という格好をしている。

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