15-3.「怒るって、わからないんだよね」

「先に言っておけば良かったね。僕ね、怒ったことがないんだ。怒るって、わからないんだよね。腹が立つっていうの、なったことがなくて」


 亜紀子の瞳を色素の薄い茶色の瞳が覗き込む。

「つくづく僕って感情が欠けてるんだ。ああ、でもね」

 くすりと笑って彼は話し続ける。


「友人が言ってたんだけどね。僕が高校生のときにね、妹に触ろうとしたやっぱり高校生の男の子の腕の骨を折りそうになったことがあってね、あのときは鬼みたいだったって言うんだよ」


 彼は微笑んで話し続ける。


「別にそのときだって、そんなつもりは全然なくて。嫌だなあ、汚い手で触らないでほしいなあ、この手どっかにやってくれないかなって思っただけで、怒ったわけではないんだよ」

「……」


「また別の友人が言ったんだけどね、どうせおまえは恵まれてるから悲しいとか苦しいとか恨めしいとかがないんだろうって。僕の友人てみんな酷いことしか言わないね。でも仕様がないね。きっと僕がそういう人間だからなんだ」

「……」


「その通りなんだ。僕は恵まれてる。尊敬できる父がいて、明るくて優しい母がいて。勉強だってなんだって、やりたいことはやらせてもらってきた。子どもの頃はね、おかしな話だけど、そういうところに息苦しさみたいなものを感じてた。喜んだり笑ったり、そんなこともあまりなくて、いつも空が曇ってるみたいで」


 でもね、と彼は淡く微笑む。


「あの子が産まれてすべてが変わった。世界に光が差して、色が付いたみたいに。あの子は本当に、天使みたいにきれいでかわいくて、みんなが喜んでた。僕もそのとき、はじめて嬉しいって思えたんだ」


 亜紀子はこらえきれずに手で口元を覆う。


「嬉しくて感謝の気持ちでいっぱいになった。きっと、僕が母のおなかの中に忘れてきてしまったものを、あの子がかき集めて持ってきてくれたんだって思った。でもね、やっぱり怒りっていうのだけはよくわからなくて。あ、ちなみに妹はね、けっこう怒りっぽいんだよ」

 怒った顔もかわいいんだ、と彼は穏やかに言う。

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