Episode 10 ある命題
10-1.なに言ってるの、この人
「実は僕、妹のことが好きみたいなんだけど、これっておかしいのかな?」
なに言ってるの、この人。
榊亜紀子がそう思ってしまったのも仕方ない。今まさに彼に告白し、交際を申し込んだ相手に向かって言うセリフとしてはどう考えてもオカシイ。
だけど亜紀子は彼とどうしても付き合いたかったので、辛抱強く真剣に彼の発言について考える。
それは妹さんと寝たいということなのでしょうか、とはさすがに言えない。
「幸い、あの子を欲しいと思ったことはないけれど」
亜紀子はほっとしてこわばった頬になんとか笑みを浮かべる。
「ああ、それなら。よくある話じゃないかなあ。おかしくはないと思うけど」
「そうか……」
彼は曲げた指を唇にあてて少し考え込む。
カフェの窓際の席。光が差して色素の薄い彼の容貌をますます淡くはかないものにする。それでいて光の縁取りが目にまぶしい。
(ああ……)
今すぐスケッチブックを開いてデッサンしたい! 禁断症状に震える右手を握りしめる亜紀子に彼はふわりと笑いかける。
「そう、それでね。僕と付き合いたいって話だったよね」
「はい!」
「さっき言ったように、僕は妹が大好きで、いちばん愛していて、あの子以外大切なものなんてなにもない。もしあなたと妹が死の病で僕の心臓を必要としているとして、僕はあなたを見捨てて迷わず妹に命を捧げるけれど、それでもいいかな?」
亜紀子はたらりと汗をたらしたまま硬直する。
「これはもう命題なんだ。変わらない。変えられない。それさえ呑んでくれたなら、あなたとお付き合いするのはかまわないけど」
どこまでも優し気な柔らかな表情。だけどその奥につよくつよくつよく撓んで歪んで渦を巻いたものがあるはずだ。
本当の彼を形作っているもの。光と影があるように、人の心はひとつではないから。外見の美しさだけではない。その内のいびつなものまで見出して描き切りたい。
そのためには、彼のパートナーになるのがいちばん手っ取り早いのだ。だから。
「お願い致します」
至上の選択だったはず、なのだが。
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