9-3.ボコボコにされてしまえばいいのだ

「本当は知らないんでしょう」

「知ってるっつってんだろ」

「なら言ってみなさいよ」

「言わないっつってんだろ!」

 正人が吼えたとき、


「あいや待たれよ、ご両人」

 時代がかった台詞が投げ込まれた。皆が視線を向けると、日の丸の扇子を持った人物がそこに立っていた。

「なんの騒ぎかと思えば、廊下の向こうまで聞こえていたよ」


 二年生で体育部長の安西史弘である。際立った運動能力の持ち主で『万能の人』と呼ばれるほどの人物だ。

 ちなみに性格は謎。彼の思考回路を解析できる者は皆無である。

 そういう性格を反映してか競技においても彼のやり方は実にでたらめで、故に彼の記録は非公式に留められている。まともな人間から言わせれば、まさに宝の持ち腐れな人物なのである。


「なによ、あんたが口出すなんて珍しい」

「ここには有望な一年がそろってていいよなあ」

 拓己から片瀬へ、そして最後に正人へと視線が向けられた。

 きれいに日焼けした顔の中から茶色の瞳が正人を見据える。勢い余って握り拳を握っていた正人は思わず真正面から安西を睨み返してしまった。


「はははははは」

 途端に安西が笑いだす。

「きみ! きみ、いいねえ! えーと」

 こめかみに人差し指をぐりぐりしながら安西は一瞬目を閉じる。

「ああ、そう池崎! 感心だねえ、きみは。売られたケンカは買わずにいられないタイプだろう」

「そうね。売られる前から買うタイプだね」

 美登利がまたしみじみ言うものだから正人は余計にムカついて目を吊り上げた。

「あんたに言われる筋合いはない」

「さっきからなんなの、その態度」


「ああ、そう。それなんだけどね」

 閉じた扇子でぽんと手のひらを叩きながら安西がにこにこ笑った。

「こうしたらどうだろう。いいだろうこれなら! おもしろいし楽しいし」

「だからなにさ」

「だからね、ゲームにすればいいのだよ」

「ゲーム?」

 船岡和美がオウム返しに訊き返す。

「そ。ゲーム」

 楽しくてたまらない。うきうきした様子で安西はばっと扇子を開いた。





「聞いたか? またおもしろいことがあるらしいぜ」

「今度は体育部長の提案だろう。こんなことしてばっかだな、この学校」

 翌日の朝。同じ一年生が話しているのを聞きながら校門をくぐった小暮綾香は、深々とため息をついて教室に上がった。


「おはよ、綾香ちゃん」

 廊下で須藤恵に手招きされて立ち止まる。

「聞いた?」

「まあ、なんとなくは」

「池崎くんと中川先輩の勝負だって。なにをするんだろう」

 もういっそ、一度ボコボコにされてしまえばいいのだ、池崎正人なんて。そうしたら彼の眼も醒めるかもしれない。綾香は物騒なことを考えてしまう。

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