その七十六 雫、鈴を鳴らす

 しかし、此処へ来て困ってしまった。屋敷の正面の大きな扉はぴったりと閉ざされ、到底入れるようには見えない。妖怪あやかしで内が満たされている以上それも当然で、確か桜でさえも中に入れなかったと話していた。

 雫も馬から下りて、それを近場に繋ぐと、試みに厚い木の扉を力任せに蹴ってみる。が、足が痺れんばかりに痛むだけでびくともしなかった。門前から見えるのは、中に生えているらしい立派な桜の木の枝が、高い塀越しに飛び出している様子だけだった。


 枝にはぷっくりと、桃色の綺麗な蕾が幾つも幾つも付いていた。この熱さで、成熟が早まっているのかも知れない。

 いや、そんなことより。


(どうしようか……)


 塀は高く、乗り越えられそうもない。雫は腕を組んで考え込んでしまう。すると、ふと思い出した。

 袖からさっき渡された、根付ねつけの付いた鈴を取り出す。


(鳴らせ、とか言ってたな……)


 首を傾げながら、雫は数度鈴を振った。

 りん、りん。

 爽やかな音色が響いた。

 暫し、時間が経つ。

 しかしこれと云って、何も起こらない。

 口をへの字に曲げて、雫は鈴を見直した。


(なんだこれ……?)


 だが、その時である。

 ばさばさという羽音と共に、足下に暗い影が出来る。

 雫は眉間に皺を寄せると、

 空を見上げた。


「――ぁぁぁぁぁあああああい、到着ッ」


 剛毅で鯔背いなせな女の声が聞こえるやいなや。

 空から数羽の恐ろしく大きな鳥が、勢いよく舞い降りてきた。


「えええええ!」


 無論それらに乗ってやって来たのは、巴、桜、岬の三人である。鳥のうちの一羽は、足に何か長持のような箱を掴んでいた。

「いやあよかったよかった。行き先、突き止められたみたいだね」

 軽い調子で巴は云うと、ひょいと鳥の背から降りる。炎の熱さに頬を染めた色っぽい彼女は、今は着物を襷掛けにして動きやすい格好をしていた。半ば呆れて雫は云う。


「こんなあっさり来られるなら……」

「いやだから、火車の後を直接追っていたら忽ち火でも噴かれてみんな墜落してしまってたんだよ。こうするしか手はなかった。雫の御陰だ。有難うね」

 この状況でも、にっこり巴は笑ってみせた。流石この歳で旅籠を取り仕切る女将だけのことはある、と雫は感嘆した。

 続いて岬、桜も降りた。岬は雫の顔を見るや、ぱたぱたと駆け寄って来て雫の焼け焦げた着物の裾を掴む。態に似合わぬ相変わらずの鉄面皮であるが、これでも心配してくれていたらしい。


 そして桜は――暗い色の忍者装束に身を包んでいた。

「桜ちゃん!」

「少少お恥ずかしゅう御座いますが――やはりこれでなければ」

 雫に見られてもじもじとしながらも、桜はそう云った。ぴったりとした無駄のない服装が、桜にはよく合っている。

「さ、て、と。今はどうした具合かな」


 巴は長持の上に色気無くどっかと腰を下ろすと、雫に問うた。雫は事の次第を掻い摘んで説明する。桜は雫の傍で静かに片膝をついており、岬は三羽の鳥のうち二羽に命じて、何処かへ帰らせていた。

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