その七十五 雫、辿り着く
走りながら、鞍上から雫へ斬りつけてくる。
「くっ!」
咄嗟に雫は叢雲でその刀を受ける。甲高い音と共に火花が散った。
武者は凄まじい力でごりごりと押してくる。この勢いで走る馬から地面へ落ちれば、即ち終わりである。雫は馬の首筋にしがみつくようにして、必死に刀を返す。どちらも一向に引こうとしない。
二頭の馬は並んだまま、江戸の通りを
さしもの雫も、妖物の怪力にはそうそう敵わない。懸命に丁丁発止の斬り合いを続けるが、こんな不安定な状態で如何にして戦うかなど教えられたこともなく、一方無表情な面を付けた武者は、苦しむ様子もないまま容赦無しに斬りつけてくる。
(
余裕が無くなり、雫が顔を顰めたときだった。
前方に、武家屋敷の方へ通じる木橋が見えた。
当然のように
――一か八かだ。
雫は馬の速度を上げると、武者より先に橋へ駆け込んだ。蹄が木を叩いて高い音を立てる。案の定炎の所為で板は付け根からぐらついて、今にも崩れそうだった。下は深い川である。
橋から最後の一歩を踏み出すとき、雫は思い切り鬣を引いた。
馬は力一杯跳ねる。
雫の馬が後足で蹴ったのを最後に――。
堪えきれなくなった橋は、がらがらと崩れていった。
雫の後に続いて走っていた武者と馬は、それと共に無言のまま、川へと転落していった。
大きな水音を背にして、雫はただただ、走り続けた。
遂に火車が、空中でぴたりと止まった。そうしてそのまま、ゆらゆらと降り下っていく。雫は馬上から、その先をしかと見定めた。
魔物は広大な武家屋敷の一つの中へと降りていった。
――
おそらく、あれが浄瑠璃姫の元いた屋敷なのであろう。
改めて周囲を見廻してみれば、初めからその公算だったのであろう、その屋敷の周囲や他の屋敷にも、殆ど火はついていなかった。加えて、大きな屋敷が続く割にいやに人影がない。城の方がお触れでも出して、危険な妖怪屋敷の周りから人を払ったのかも知れなかった。
とうとう雫は、敵の本拠の前まで辿り着いた。
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