その五十四 雫、強めに迫られる

「え!?」


 唐突と云えば余りに唐突な申し出に、雫は唖然とする。


「そもこのように幕府の内情を明かしてしまった以上、最早お城に桜の居場所は御座いません。じきに知られるところになれば、忽ち見つけ出され、重ねて四つに斬られるが落ち。裏切り者の汚名を着るくらいなら、信じがたきあるじの元を離れ、心からお仕えできるお方に付くがよいと、そう思った次第に御座います」


「さ、さようでございますか……」

 どう応答してよいか判らず、雫はひたすら困惑する。


「先の鴉の護神様との戦いのときも、この身の程知らずを木刀一振りで華麗にお救いくださいました。強き尊き御剣様には、海よりも深きご恩が御座います。どうかどうか御剣様、この桜を、お側に置いてくださいまし」


 陶酔したかのような眼差しで、澱むことなく桜は言い募る。


「身を粉にして働きます。水だけ与えておけば生き延びます。くのいちとして役に立たずとも、馬子、端女はしため、飯炊き――いっそ、いっそ慰み者にでもッ」

「さ、桜ちゃん……?」


 先とは違う意味で雫は慌て出す。

 雫は単に今まで通りの友達づきあいをしたかっただけなのだが、桜は奴隷扱いも辞さぬ勢いで必死に言葉を連ねる。しかも、些か異様である。

 むしろ、それを望んでいるような――。


 一頻り云い終えた桜は、唐突に力を失ったかの如くがくりと頭を下げ、その場で動かなくなってしまった。動揺しすぎて眼が泳ぎまくりながらも、雫は何とかしなければ、と辛うじて思った。深呼吸して、何とか気持ちを落着かせる。


 向こうは雫のことを男と思っているはずである。そして雫の体型ならば、すこぶる遺憾ながら上半身だけなら男と云っても通る。

 やむを得ず、雫は腰回りだけに手早く手ぬぐいを巻くと、ざばりと湯から上がった。そして桜の肩を取り、身を起こさせた。


「桜ちゃん、大丈夫……?」


 これがいけなかった。

 桜は己の肩に添えられた雫の手をすかさずそっと握る。

 蕩けるような瞳をした桜は――。

 熱い声音で囁いた。


「桜は、御剣様を、お慕い申し上げております――」


 間近に見える頬は火照ほてり、眼は潤み、桜のつぼみの如く控えめなその唇はふるふると震えている。

 雫は思った。


 ――まずい。

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