その四十二 雫、鳥相手に反省する

 あれやこれやで血が上って訳が判らなくなった雫は、三度みたび飛んできた鴉に向かって、半ばやけくそで走り込んだ。


「御剣様ッ」

「お、おい雫、危ないッ」


 二人の言葉も聞かずに雫は跳び上がると、木刀をたたき込もうとした。相手の頭に斬り込んで前後不覚にするほか、もう術はないと考えたのである。そのまま気負いよく、一刀に振り下ろす。


 ところが。


「……え、え、え、ちょっと、いや!」

 跳び上がっても頭には全く届かないばかりか、丁度嘴の届く範囲に来たものだから、鴉は雫の着物の襟首を咥えて、あっさり持ち上げてしまった。

「やめ、やめて、なに、おい、こらぁ!」

 じたばた暴れて木刀を振り回す雫だが、かつんかつんと嘴に当たるばかりで鴉はびくともしない。


 そうして、雫をぶら下げたまま――。

 鴉は天高く、舞い上がった。


「いやだあああああああああああああああああああ!」



 ――周りの空気が、一気に冷たくなる。


 秋の空は、冬へ向けて既に変わり始めているのだなあ――などと雫は、真っ白になった頭の中で思った。

 見れば、手の届きそうな場所に、眩しく満月が輝いていた。

 遙かに眼下の町は、本当に真っ暗だった。灯りと云えばろうそくちようちんあんどんとうろうくらいしかないこの時代、夜半の空から町を見下ろしたところで、見えるものなど何もない。ただひたすらに暗い。そしてそれが、余計に怖い。


 兎に角静かで冷え込む上空を、鴉は焦らすようにぐるり、ぐるりと旋回する。


「……あの、妖怪あやかしだったら、言葉が通じたりはしませんか」

 雫は自尊心も何もかなぐり捨てて、したに出た。

 鴉は何も応えない。

「ひょっとして、初めから全部分かってやってたり……」

 鴉は何も応えない。

「ええと……反省、してます。本当です。悪かったと思っています」

 鴉は何も応えない。

「許していただけるとは思いませんが……どうかご勘弁を」

 鴉は何も応えない。

「あの……」

 鴉は何も応えない。


 雫の堪忍袋の緒が、音を立てて切れた。


「……何か言え!」


「があ」


 鴉は鳴いた。


 そして。

 嘴が開き――。

 雫は落ちた。


「本当に私のぶぁかあああああああああああああああああ!」


 ぐるぐると回りながら、雫は江戸の町へ墜ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る