その十六 雫、人は身形が十割と知る

「……颯太」

「ん――」

「颯太」

「なんだ雫」

「この、着物は……」


 百畳余りもある広広とした呉服屋に無理を云って奥で着替えさせてもらった雫は、暫くしてから店の表に出てくるなり、颯太に面と向かって尋ねた。


「……これは、男物なんだけど」


「よく似合っておる」

「答えになってない!」


 一切の断りなく颯太が勝手に選んだのは、深い紺の布地に黒の帯、色合いも作りも明らかに男の品である。さらしを巻いているとはいえ、胸元がすうすうして如何にも心許なかった。


 それから雫は桜に聞こえないよう小声で、しかし怒りも含めながら問い詰めた。

「だから私は女だと何度言ったら分かるの。それに百歩譲って着物はいいとして……いいとして、その……」

「うん」

「何で下着まで……」

 そう云って雫は、慣れない下穿きの感触にもじもじする。


 さっきまで穿いていたものは小さくくるめて袖の中に隠している。どうしたものか迷ったが、結局何となく流れで締めてしまった。

 それを聞くと颯太は小声で訝しげに云った。


「嫌なら締めなければよいではないか」

「締めなかったらフンドシ手に握りしめて表に出てこないといけないじゃない! 要らないって言ってるのに買うから……」


 雫が何に怒っているのかよく判らぬ様子の颯太は、不思議そうな顔をしながら、雫のぐるりを廻って着物の具合を確かめだした。


「先まで着ておったあの珍しい衣がよく似合っておったから、この色を選んでやったというのに。雫は色白ですらりとして肌も綺麗だから、濃い色の着物の方が引き立つだろう」

「なっ……」


 異性から褒められることに慣れていない雫は、これくらいの言葉ですぐに動じる。

 頬が熱くなるのを感じ、気づかれていないかと咄嗟に颯太の顔を見遣るが、向こうは別段どうというつもりもないようだった。単に思ったことを思ったまま云っているだけらしい。


 腕組みをした颯太は、満足そうに告げた。

「髪も黒黒と艶やかだ。派手派手しい身形みなりをせずとも充分美しいから心配せずともよい。絵描きの目を信じろ。なあ桜」

「は、はい、よくお似合いで御座います、つるぎ様」


 口元に手を当て、何故か仄かに赤面しながら、傍らに立つ桜は小さな声でそう応えた。これでは雫としても文句は云えない。押し黙ったまま、雫は頬を人差指で掻いた。


 こうして身支度を整えた三人は、揚揚と江戸見聞へと歩み出した。

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