『砂の惑星』回想

平 一

『砂の惑星』回想

 『砂の惑星』(原作1965年、映画1984年)のYoutube動画を見て、懐かしく色々なことを思い出しました。( Chapter 02 - The Guild Navigator's Orders )



Ⅰ 3つの特徴 


 この映画の原作小説には3つの特徴があります。



(1) 懐古趣味的な物語を可能とするSF設定

……未来に中世社会を再現するような、設定がなされています。それは、特殊な力場による発射物・ビーム兵器への制約、人工知能の反乱からくる電子頭脳への使用制限や、ギルド(宇宙航行協会)による各惑星の文明への干渉などです。

 これは、その後の日本アニメ『宇宙戦艦ヤマト』において、戦艦大和を宇宙戦艦にすることを求めた遊星爆弾による地球の焦土化や、『機動戦士ガンダム』において巨大ロボットによるチャンバラを可能にした、ミノフスキー粒子によるレーダーの無効化に先立つものです。

 これによるミスマッチ感は、あたかも恋愛アニメにおけるギャップ萌えのように(笑)、新鮮な知的刺激を与えてくれます。


(2) 現実世界との関わり

……物語には、香料スパイス・メランジという重要物資が登場します。

 これは、砂漠の惑星アラキスでしかとれない薬物で、人間の寿命を延ばし、精神的能力を高め、さらには宇宙航行に必須の物質です。

 主人公は、その生産を破壊するとの威嚇により、ギルドによる皇帝を通じた間接支配を打破しますが、その後に同様の構図で石油ショックが起きました。

 薬物で人間の能力を向上させるという発想は、ベトナム戦争における兵士の薬物禍などに触発されたのではないか、という解説も読んだ記憶があります。

 ギルドの他にも、ファウフレルヒェス(→ヒエラルキー)、モアディブ(→マフディー)など、世界史で習った西欧中世やイスラム圏の用語が出てきます。

 他方で、皇帝と諸侯達の間には核兵器による恐怖の均衡があり、冷戦後のテロとの戦いを思わせる暗殺者戦争も行われています。

 歌は世につれ、世は歌につれ、物語もまた然り……という感じでしょうか。


(3) 文明論的な設定

……まず題材モチーフというか、素材として、科学・技術、物的資源、経済・社会活動、人的資源、制度・政策、そして自然・社会環境といった文明要素の全てが、西洋からも、東洋からも、過去からも、未来からも、良いものからも、悪いものからも集められ、相互の関連性と共に描かれています。

 主題テーマについても同様で、『人類は超空間航法を開発し、星間帝国を建設できた。しかし人工知能や電算組織は禁止され、代わりに人間自身の資質を向上させる技術はあるが、限られたものである。そんな社会はどうなり、どうなってゆくべきか?』という、大きなものだと思います。

 『砂の惑星』はこれにより、現在の未来予測とは異質だが魅力的な、人類の『もうひとつの未来』を描き出し、文明のあり方を考えさせる作品となっています。



Ⅱ 美しきディストピア


 作品世界は、特に欧米の人々には過去をしのばせ、異国(異星?)情緒も溢れる美しいものだと思いますが、それと同時に、一種のディストピアでもあります。


 映画やその後のTVドラマにおいても、そうした理由からか、その社会は様式美や未来感と共に、奇妙さや違和感も見せるものとなりました。特に鬼才といわれるデヴィッド・リンチ監督が手がけた映画版では、妖しさ全開(笑)の仕上がりとなっています。


 ギルドのナビゲーター(航宙士)達は、薬物メランジにより人類の姿を失いながらも、超空間航法の航路計算ばかりか未来予知に近い予測までできるような、高度演算能力を獲得しました。


 彼らは星間輸送を独占すると共に、惑星上の統治制度や社会を中世の段階にまで退行させて、間接支配しています。


 それを終わらせるのは結局、女性結社ベネ・ジェセリットの秘密計画による人工交配が生んだ〝メンタート皇帝〟、すなわちナビゲーター以上の論理演算能力に加え、ベネ・ジェセリットがもつ人心の理解・制御能力も備えた地上人=主人公です。


 また、それを支えるのは、アラキスの過酷な環境と、同地を支配してきた領主の過酷な迫害による淘汰を経て、無敵の皇帝親衛軍よりも高い資質を得たフレーメン(砂漠民)の兵士達です。


 後に私が小説で、これまでよりも人道的で公平な、人間自身を向上させる方法を描きたいと思ったのは、銀英伝やトリ・ブラ、星界シリーズのような日本SFの名作だけでなく、この作品の影響もあると思います。


 原作小説は、防御力場とレーザーがぶつかると大爆発を起こすとか、人工交配は不確実だが、当時遺伝子操作は未開発だったので出てこないとか、宇宙船の構造や駆動原理などは描かれないとか、技術的な設定にはおおざっぱなところがあります。


 しかし、人間性に関わる部分の設定は詳しいです。例えば、人間の知的活動能力を高めるメランジや関連薬物の描写についていえば、ナビゲーターやメンタート(人間計算機)など男性では論理的な演算能力が高まり、ベネ・ジェセリットの教母のような女性では自分と他者がもつ感覚や欲求の把握・制御能力が高まるというように、設定がとてもきめ細かい。


 同様に、メランジを生むアラキスの生態系など自然環境や、統一宗教経典の影響を受けた文化など社会環境も、詳細に描かれています。



Ⅲ 映画の特色


 映像化にあたっては、限られた時間で分かりやすく描く必要もあり、技術的な設定のアラがさらに拡大されたり、人間や社会、自然に関する細やかな設定が描き切れなかったりする難しさもあったかもしれません。


 特に劇場映画では、原作にはなくて何だかイタい(笑)音波兵器まで出したのに、主人公たちが砂虫という巨大生物に乗って操り、核兵器で途中の山脈を爆破して首都になだれ込むというキケンな展開はそのまんま、気流の変化で降り出した雨を、皆喜んで浴びるというおまけもついて、さらにアブなさ増量(笑)。


 他方、自らも地獄の監獄惑星で親衛軍兵士を淘汰・選別している皇帝の、『アラキス全土を緑の楽園に変えるのか?』という皮肉の問いは端折はしょったので、主人公の『神は信仰深き者を鍛えるためにアラキスを作り給うた。神の言葉に逆らうことはできない』という政治的な返答も、ただのアブない独白に(笑)。


 最後のライバルとの決闘場面でも、説明の省略がありました。原作では主人公が、決闘相手はいざという時のために(!?)ベネ・ジェセリットの手で、動きを止める合言葉を仕込まれていることが多い、と教えられています。ところが彼が、相手の隠し毒針のせいで窮地に陥った時、それでも思わず『そんな手は使わん!』と言ったら、なぜか相手が止まって負けちゃったという、偶然の美談か単なる石頭か、人の悪い試練か分からない(笑)展開があります。映画ではそんなところも、明確に示されてはいません。

(その代わり、自分が隠してた小型の音波兵器は使わなかったという設定にしたのかもしれませんが……。)


 説明がないと、そこが分かっているSFファンはキタコレー!と喜ぶが、知らない他の人は何これ!?と引いてしまう(笑)、そんな作品のようにも感じました。虚実皮膜論ではありませんが、限られた条件で色々な角度からバランスをとって、人間のウラ側も描きつつ、夢も与える壮大な物語を描くのは、難しいのかもしれません。


 しかしそれでも映画版は、TOTOの音楽やおカネのかかった映像により、劇的で見ごたえのあるものとなり、原作のファンには面白いものとなりました。Youtube には、その後に作られたゲーム版の実写ドラマ部分も上がっており、その劇的な面白さも含めて(笑)、楽しませていただきました。


 懐かしい作品です。

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