第38話 誤ったルートは訂正不可能なのか。

「待っていました」

 明日香は僕と顔を合わせるなり、スマホをスカートのポケットにしまった。

 先ほどいたところとは別の薄暗い路地。上下紫っぽいジャージでなく、私服姿だ。

「何で、君が、間戸宮さんのスマホを?」

「あなたには関係ないです。別に、妹のわたしが姉さんのスマホを持っていても、問題ないです」

「いや、問題というか、そこは家族とはいえ、プライバシーとか」

「とにかく、あなたには関係ないです」

 明日香はぶっきらぼうに言う。

 僕はふと、不安に思ったことを聞くことにした。

「あのう……」

「何ですか?」

「まさかだけど、間戸宮さんを殺してなんかいないよね?」

「何を言っているんですか?」

 明日香の口調には、棘があった。

「わたしが姉さんを殺すわけないじゃないですか。あなたは、わたしのことを冷徹な殺人鬼とでも思っているんですか?」

「ごめんごめん、その、変な質問した」

「まったくです」

 明日香は言うなり、肩まで伸ばした黒髪を指でいじった。そばにある電灯の明かりに照らされた彼女の表情は不機嫌そうだった。

「じゃあ、わざわざ姉さんのスマホを盗んでまで、僕を呼び出した理由を教えてほしいんだけど……」

「盗んだのではありません。あくまで、姉さんから、こっそりと借りてきただけです」

「こっそりはダメなんじゃ……」

「細かいことを、あなたが気にする必要はないです」

「わかったよ」

 僕が口にすると、明日香はスカートの裾あたりを両手で掴みつつ、視線を向けてきた。

「わたしを殺してください」

「えっ?」

「わたしの言ったこと、聞こえなかったんですか?」

 明日香の苛立ちが混じったような問いかけに、僕はかぶりを振った。

「そうじゃなくて……」

「じゃあ、何ですか?」

「今言ったことって、冗談、だよね?」

「冗談じゃないです」

 明日香ははっきりと答えた。

「わたしを殺してください」

「その、僕には訳がわからないのだけど」

「言葉通りの意味です」

「それはわかるよ」

「じゃあ、何がわからないのですか?」

「だから、その、何で僕が殺さなきゃいけないのかってこと」

 僕が問いかけると、明日香の表情に陰りが走った。

「姉さん、家であなたとスマホでSNSをしていて、楽しそうでした。姉さんがいなくなった後、このスマホを覗いてみました。あなたは、姉さんとたわいもない話をしていたんですね。学校の話とかです」

「まあ、そうだけど……」

「わたしの、姉さんに対する想いは、もう叶わないと思いました」

「想い?」

「あなたは既に知っていますよね」

「君が姉さんを好きなこと?」

「はい」

 明日香はゆっくりと首を縦に振った。

「だから、わたしとしてはもう、生きていくのが辛いです」

「それは大げさな気もするけど」

「大げさじゃありません」

 気づけば、明日香の瞳が潤んでいた。

「わたしは告白もできずに、恋に破れたんです。悔しいですけど、あなたの勝ちです」

「勝ちって、いや、君の場合は姉さんじゃなくても、相手はいくらでも」

「わたしは、姉さんじゃなきゃ、ダメなんです」

 明日香はこぼれてきそうだった涙を手で拭った。

「姉さんの恋人になれない人生なんて、生きていてもしょうがないです。ですから、本当は姉さんに殺されるのが本望ですが、そんなこと頼めません。だから」

「僕に君を殺せって?」

 僕が尋ねると、明日香は黙ったまま、うなずいた。

 当然だが、明日香を殺すなど、できるわけがない。

 前の今日であれば、僕は逆で、明日香に殺されそうになるというのに。

 どこで、こうなることになってしまったのだろうか。ゲームみたいな、途中の選択肢を間違えてしまったという奴だ。

 だが、別のルートなら、明日香に殺されるかもしれない。生死の世界をさ迷えずに、あの世へ直行という道だ。

 で、僕はどうすればいいのか。

 目の前にいる明日香は俯き、僕の返事を大人しく待っているようだ。

 仮にだが、明日香を殺さない場合、僕はどうなるのか。

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