第10話 シスコンは自覚があっても、なくても、シスコンだ。

 目覚めてから、数日が経った。

 自分がいる場所は変わらず、ベッドの上だ。医者からは数週間の入院が必要と耳にしている。普通に考えれば、あり得ないほどの回復ぶりらしく、数か月はかかるものらしい。なので、リタのおかげなのだろうと漠然と思った。死神なのに。世間で言われる、奇跡というのはこのことなのだろう。

 傍らには、妹の美々がいた。

 同じ中学生の明日香とは身長が同じくらい。でも、ボブカットぎみの髪型と華奢な体は今やっている卓球が影響しているのかもしれない。練習を早めに切り上げたせいか、格好は体操服の上下ジャージ姿だ。顔つきは丸っこい瞳とこじんまりとした唇で、どこか愛くるしさを感じる。多分、兄である自分がシスコンだからなのかもしれない。いや、自覚はしてないけど。

「お兄ちゃん」

 美々は横になっている僕に目を合わせてきた。

 一瞬、「何?」と躊躇せずに返事しようとしたけど、寸前で僕は堪えた。

 僕は今、記憶喪失という状態になっている。というフリをしていた。

「ごめんなさい」

 美々は僕が記憶喪失ということを思い出してか、頭を下げた。

「い、いいよ。うん。別に、僕のことを、兄として見ていても」

「でも、記憶、ないんだよね? 美々のこと、覚えてないんだよね?」

 美々の表情は悲しげだった。

 けっこう辛い。

 でも、僕は記憶喪失のフリをし続けなければいけない。

 でないと、僕は死神のリタによって、あの世へ連れて行かれてしまうからだ。

 生き返った上での代償。

 僕はおもむろにため息をついてしまった。

「おにい、卓お兄さん?」

 美々が他人行儀な呼称で僕に声をかける。「卓お兄さん」というのは、美々が口にし始めた、僕に対する新しい呼び方だった。でも、美々にとっては、慣れず、ぎこちなさが嫌でもわかる。

「何だか、その、ごめん」

「あ、謝ることなんてないよ! しょうがないよ。あれは事故だったんだから」

「事故……」

 僕は美々の言葉を素直に受け入れることができなかった。

 当たり前だ。

 僕が車に跳ねられたのは、明日香のせいだ。

 明日香からナイフを突きつけられ、逃げた挙句、道に飛び出し、車に跳ねられてしまったのだ。危うく、死ぬところだったけど、リタのおかげで生き返ることができた。改めて思うと、死神に助けられたというのは変な気持ちだ。

 だから、美々が僕を気にかけて、事実を隠しているのだろうと思った。ましてや、記憶喪失になってしまったことになっているのだ。そんな僕に明日香のことを話したら、混乱すると考えているのかもしれない。

「その、事故だけど、僕以外に誰かケガをした人とかは?」

「いないよ」

「そうなんだ」

「卓お兄さんは、事故、のことが、気になるの?」

「ちょっとね」

 僕は思わせぶりに答えつつ、自分の頭を撫でる。

 見れば、美々の表情に陰りが走っていた。

「その、川之江、さん?」

「卓お兄さんは、事故のことが、そんなに気になるの?」

「えっ?」

 僕が間の抜けた声をこぼすと、美々が真っ直ぐな眼差しを僕の方へ向けてきた。

「事故のことは、美々が何とかするから」

「何とかって、その、川之江さんが何とかできるようなことなの?」

「それは、やってみないとわからない」

 美々は言うなり、俯き加減な格好になった。どうしようというのだろうか。もしかして、明日香に復讐とかを考えているのだろうか。いや、そもそも、僕にナイフを突きつけたのが、明日香だと知っているのか。わからないのだとすれば、犯人捜しをするという意味かもしれない。

「その、あんまり、無理するようなことだったら、別に……」

「大丈夫です」

 美々は顔を上げた。

「難しいかもしれないけど、頑張れば、何とかなると思います」

「頑張ればか……」

「だから、卓お兄さんは早く退院できるように頑張ってください」

 美々は話すと、おもむろに僕の手をぎゅっと握ってきた。

「あ、ありがとう」

「ごめんなさい。その、急に手を握ったりして……」

 美々は口にするなり、僕から手を離した。

 変に距離感があるというのは、僕にとっても、美々にとっても、よくない。

「それじゃあ、美々は行きます」

「まあ、もう、暗くなってきたしね」

 僕は病室の窓へ目をやる。薄暗い外。目覚める時に降っていた雨は一日で止んだので、今は雲がなく、星がいくつか見える。

 美々は学校の鞄とスポーツバッグを持つなり、立ち上がった。

「その、卓お兄さんには申し訳ないですけど……」

「何?」

「いつか、『お兄ちゃん』と呼べるような日が来ることを待っています」

「それはまあ、僕は構わないけど、そういうことじゃないんだよね」

「そうですね」

 美々は悲しげな表情を浮かべるも、すぐにかぶりを振った。

「ネガティブな気持ちになっちゃダメです。少しでも可能性があるなら、期待すべきです。お医者さんも、記憶が戻ることはゼロではないと言っていましたから」

「そうだね」

 僕はうなずきつつ、本当のことを話したくて、しょうがなかった。記憶はあり、だけど、それを伝えた途端に、僕は死んでしまう。だから、ある意味、僕の記憶が戻る確率はゼロだ。医者の希望的観測は間違っているということだ。

 美々は手を振るなり、病室から去っていった。僕の見舞いにやってきたのは、今のところ、両親と美々だけ。クラスメイトの東郷や春井はまだやってきていない。いや、わざと行かないだけだろう。記憶喪失になった僕に対して、どう接すればいいかわからないだろう。または、両親や担任から止められているか。僕にとっては、ひとまずありがたかった。記憶喪失というウソをつくということは大変だ。両親や美々、医者に対しては常にバレやしないかと緊張を強いられた。

 僕は痛みがあり、重さを感じる自分の体をベッドで横にしつつ、頭を巡らす。

 明日香は今、僕のことをどう思っているのだろうか。

 車に跳ねられ、記憶喪失になったという情報は彼女に届いてるはずだ。姉の麻耶香にもおそらく。

「まさか、夜中にまた、襲われるとかってないよね」

 僕は言った後、乾いた笑いをこぼしたけど、内心はおかしく感じなかった。

 どこか、現実味がある気がして、背筋に寒気が走ってきたからだ。

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