第9話 ウソをつき続けるというのは、簡単なことじゃない。

 僕はずっと、暗闇の中を歩いていた。

 当たっていた白い光は段々と弱くなっていき、最後にはなくなってしまった。なので、視界は真っ暗。足は動かしているものの、どれくらい進んだのか、見当もつかない。

「このまま、永遠に歩いていくとか、そんなこと、ないよね……」

 僕はつぶやいてみるも、ひっそりと静まり返った黒の世界に反応はない。

 果たして、僕はどこへ向かっているのだろうか。

「そろそろ、起きて」

 不意に、どこかで聞いたことがあるような声が耳にうっすらと届いてきた。

「誰?」

「そろそろ、起きてくれないと」

 相手の口調は、どこか困った感情が混じっているかのようだった。

 起きるも何も、僕は真っ暗な空間を歩いてるはず。

 いや、これはもしかして、単なる夢なのでは。

 僕が思うなり、本当なのではないかと感じるようになってきた。

 なら、まぶたを開ければいいはず。

 僕は意を決して、やってみた。

 気づけば、僕は白い天井にある蛍光灯に照らされた。

 眩しさで、自分の顔を手で覆う。

「ここは……」

「やっと気がついた」

 聞き覚えのある声。

 顔を動かせば、ひとりの少女がいた。

背中まで伸ばした黒髪。端正な顔つきには細い瞳にアイシャドウを施していた。シャツにジャケットを着て、下はミニスカ、足にはニーソ、ヒールを履いた格好。全体は黒で統一されており、かっこいい女といった感じだった。首のネックレスや腕に巻くブレスレットが蛍光灯に反射し、光っていた。

「あれ?」

「久しぶり」

「久しぶりも何も、その、リタ、さんですよね?」

 僕が問いかけると、リタはおもむろに歩み寄ってきた。

「気分はどう?」

「何だか、体が重い気分です。後、ちょっと動かそうとすると、色々なところが痛い」

「そうだね。まあ、何か所も骨折してるから、無理もないけど」

「そうなんですか」

「でも、いずれは治るから」

「それはよかった」

 僕は安堵のため息をこぼそうとして、リタに重要なことを聞くことを忘れそうになった。

「その、おかしいですよね」

「何が?」

「自分、リタさんのこと、覚えてます」

「それだけじゃないと思うけど」

「それだけじゃないって、あっ」

 僕は口にするなり、妹の美々や間戸宮姉妹のことが頭に浮かんでいた。そして、明日香に殺されかけたことも。

「話が、違うような……」

「はじめは、本当に記憶を消そうと思ったんだけど」

 リタは言うなり、僕が横になるベッドの脇に腰掛けた。

「でも、よく考えたら、それも不憫だなと思って」

「それで、記憶を消さないことにしたんですか?」

「だけど、その代わりというか、制約はある」

「制約?」

 僕が問い返すと、リタは表情を険しくした。

「君はこれから、記憶喪失したという自分を演じなきゃいけない」

「演じるって、それは、周りに記憶をなくしたとウソをつき続けろってこと?」

「そう」

 うなずくリタ。

 僕は考えるなり、けっこう難しいのではと感じた。

「そんなの、すぐにバレると思うけど」

「バレたら、その時点であの世行きだから」

「えっ?」

 リタの言葉に、僕は驚きを隠せなかった。

「あの、それって、どういう……」

「君はずっと生き続けたいなら、ずっと、記憶喪失のフリをしないといけないから」

「けっこう、無茶な要求ですよね?」

「でも、現実はそうなってるから」

 淡々と話すリタに対して、僕は腹が立ってきた。

「そんなのって、厳しすぎますよ」

「でも、わたし的には、記憶喪失の方が君にとって、もっと厳しいと思う」

「何でですか? 今の方が厳しいと僕は思います」

「記憶を忘れてる状態っていうのは、自分が誰なのかもわからない状態だから。それと比べれば、今の方がまだマシだと思うよ」

「それはあくまで、リタさんの考えなだけで」

「わたしはそういう記憶をなくした人を何人も見てきたから」

 口にするリタの表情は悲しげだった。

「わたしは死神だから。だから、普通に生き返らせることとかできないから。できるとしたら、代償として、死を司ることしかできないから」

 僕はリタに対して、ぶつける言葉が思いつかなかった。

 忘れていた。彼女は死神だ。そんな相手に対して、単純に生き返らせてくれとか、無茶ぶりな要求だ。頼むなら、天使とかになるのだろうか。いや、逆が悪魔だから、話は異なってしまうか。

 おもむろに額へ手をやれば、包帯が巻かれていた。そばには点滴の袋がぶら下がるスタンドがある。さらに奥には白いカーテンが開けられた窓があり、どす黒い雲が立ち込めていた。よく見れば、雨がポツリ程度に降っている。今は車に跳ねられてから何日目なのだろうか。きっと、僕は意識不明でずっとここに寝かされていたはずだ。

「わかった」

 僕の声に、リタは視線を向けてきた。

「何とか、生きてみる」

「そう」

「とりあえず、ありがとう」

「お礼はいい」

「いや、ここはお礼しとかないと。本当に生き返ることができたんだし」

「でも、これからは記憶喪失というウソをつき続けないといけない」

「それは大変だけど、しょうがない。記憶があるということをプラスに思えばいいしね」

 僕は笑みを浮かべた。

「だいたい、リタさんの選択肢はどれも、デメリットだらけだったし。だから、このデメリットもしょうがないと受け止めるしかないかなと」

「何だか、ごめん」

 リタはベッドから離れ、頭を下げた。

「はじめから、君の希望通り、記憶を消しとけばよかった」

「でも、リタさんは僕のことを考えて、こういうことをしたんですよね?」

「さん付けはいい。リタって呼び捨てでいいから」

 リタは言うなり、僕と目を合わせる。

「君はすごいね」

「自分はそうと思わないけど」

「すごい。一度は死にかけたし、今は生きてるとはいえ、記憶喪失のウソがバレたら、あの世行きだというのに、平然としてる」

「あの世行きというのは怖いけど」

「怖いんだ」

「怖くない方がおかしいと思うけど」

 僕の声に、リタは何がおかしいのか、笑みをこぼす。

「おもしろいね、君」

 あの暗闇で僕にかけた言葉を、リタは再び口にした。

「それで、これからはどうするの?」

「どうするって、とりあえずはケガを治して、それで、学校にまた行けるようにして」

「でも、記憶喪失というウソはつかないといけない」

「そこは何とかしようかなと」

「わたしはしばらく、ここにいるから」

「えっ? ここって、この世に?」

「そう」

 リタは背を向けて歩くなり、病室の扉前で足を止める。取っ手を掴み、まさに開けようとする寸前だ。

「ウソがバレそうになったら、言って。何とかするから」

「何とかって、リタ、は、別に僕の近くにいるとかじゃ……」

「その内わかる」

 リタは言い残すと、扉を開け、場から立ち去ってしまった。

 取り残された僕は、おもむろにどんよりとした空模様を映す窓を眺めた。

「バレそうになったらって、ウソつくの苦手だからなあ……」

 今さらになって不安が迸ってきて、僕は無意味に身震いしてしまった。別に寒くはないのにだ。

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